ジュリーの「TOKIO」という曲は、一等賞には届かなかった。けれど発売から40年の時を越えても、曲がTVやメディアから流れ続けている。流行った頃のジュリーを知る人も、その後に産まれて全盛期のジュリーを知らない日本人も、間違いなく「TOKIO」を聴いたことがある。
現在では、一等賞を取ったジュリーの他の楽曲よりも広く知られた、間違いなくジュリーの代表曲になっていると思います。
24日放送のNHK「日本人のおなまえっ!」この番組は好きで良く見ています。同じ企画を前にもやったそうだけど・・ もう忘れちゃったわ💦
ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!【ヒット生んだ曲名真相告白SP】
番組内容ヒットの理由は曲名にあり!?「TOKIO」「君は1000%」「山口さんちのツトム君」「少女A」のタイトルに隠された真相を当事者へ直撃!衝撃秘話が明かされる。
詳細ヒットソングの“曲名”に隠された真相を当事者が告白▼沢田研二「TOKIO」。生みの親・糸井重里が語る思い「東京をカッコよくしたかった」
【司会】古舘伊知郎,赤木野々花,【出演】澤部佑,宮崎美子,【解説】森岡浩,【ゲスト】ミッツ・マングローブ,椿鬼奴,糸井重里,カルロス・トシキ,みなみらんぼう,売野雅勇,【語り】里村奈美
皆さま、お待たせしました。いや、お待たせしすぎたかもしれません。今回は日頃のモヤモヤを晴らすスペシャル企画。
トーキーオー!!
いや、懐かしいですね!1980年のヒット曲、TOKIO!
でも、この綴り 何故Yじゃなく、Iなの?
曲の疑問をヒット曲の産みの親に直接ぶつけちゃいます。
(糸井)ゴジラは東京を壊したけど、僕は東京を飛ばした
ハハハハ・・(^-^)
ヒットの理由は曲名に有り、大ブームの裏側が見えてくる。
その裏側の真相は?
ヒットを産んだ曲名!真相告白スペシャル!
(アナ)この企画の第二弾をやって欲しいと、視聴者の皆様から多々寄せられました。
(ミッツ)やっぱり視聴者の皆さんに、寄りそってないとね!
(澤部)前にも一回やったじゃないですか、一回じゃ全然足りないわけ。
(ミッツ)足りなそうだったでしょ?
(アナ)それではまいりましょう、皆さんが真相を知りたい曲名、まずはこちらです。
※TOKIOのイントロが流れて、アシスタントがスタンドマイクを置き、それを除菌してから、鬼奴さんが おもむろに登場。まさかの「TOKIO」を歌い、
(鬼奴)私が知りたいのはTOKIOの真相です。
1980年のヒット曲TOKIO、このタイトルで鬼奴さんが疑問に思う事は・・
(鬼奴)やっぱりアルファベットがTOKYOのÝが、Iになってるというのが、小さい時から気になっていました。Iで覚えちゃっている子供が多かったです。TOKYOのスペル。
ええ~という声
(古舘)だけど不思議なのは、この曲はヒットチャートで1位になったことがないんですよ。
ええ~!
(古舘)こんなにヒットしてたのに。ほんとですよ。
1980年当時の人気番組「ザ・ベストテン」でも5週連続2位。1位は獲得してない。
(宮崎)日本中の皆が歌っていたのにね。
(古舘)何週も1位だった気がするじゃないですか。
(ミッツ)ジュディ・オングに阻まれていたとか?(笑)
大ヒット曲「TOKIO」の作詞家、糸井重里さんを直撃。
今の君はピカピカに光って~♪の曲と共に糸井重里さん、登場。
百貨店の広告やジブリ作品で誰もが知るキャッチコピーを放ち、ジャンルを越えて活躍する日本屈指のマルチクリエーター。
TOKIOという曲名が登場した真相とは?
(糸井)仕事を頼まれた形がちょっと特殊で、今度沢田研二さんのアルバムが出るのですけど、それのアルバムタイトルと全曲のタイトルを、糸井さん1人で作ってと頼まれた。
こんな曲名があったらいいなと、先に考える。(詞の)内容は考えてません(笑)
1979年若手コピーライター時代。(糸井さんの画像)
時は1979年、30歳の糸井さんにはある思いがありました。
(糸井)欧米に追い付けと意識してきた時代が長くて、日本としては追いつけるかわからないけど、東京という街に限定すれば、もしかしたら今まで先にいっていたモノに追い付いたり追い越したりできる可能性があるんじゃないかな?これからは、「東京」をもっと言おうっていう・・
(ナレーション)70年代の日本は高度経済成長も落ち着き、新たな時代を迎えつつありました。欧米に引けを取らない日本人デザイナーのファッションブランドが世界的に注目を集めたのもこの頃(コシノジュンコさんの写真)
新たな文化を産む町、東京。糸井さんはタイトルに「東京」を掲げることを思いつきます。しかし・・
(糸井)東京とつけることが、ちょっとダサかったんですよ。「東京」とついていることがカッコイイねと思われるように「東京」と付けようと思ったくらいで、ピークにいるようなポップスターが「東京だよ!」っていう、昔なら「東京だよ おっ母さん」になっちゃうんだけど。「東京」をテーマにした曲がいっぱいあったんで。
(ナレーション)東京をカッコよくするネーミング、ふとある文字が頭をよぎりました。
(糸井)フランスのシャルル・ド・ゴール空港で、飛行機にのっちゃってから外に見えた文字
看板には東京を表す、見慣れぬ文字が・・
(オシャレ~の声)
TOKIO、ヨーロッパで使われるその表記、たったひと文字違うだけで、異質なものを見た気がしました。
(糸井)沢田研二にそれを言わせたら、ものスゴくカッコイイなと思って、これから東京の時代になるんだよ
アルバムタイトルは「TOKIO」に、するとプロデューサーから思わぬ提案が
(糸井)ついては糸井さん、アルバムタイトルの曲「TOKIO」はご自分でやってもらえませんか?と言われた。僕はコピーライターとして、タイトルを作る仕事を引き受けたつもりでいたら、1個だけこの詞はあなたがやりなさい、と言われたんですよ。
なんとムチャぶりから作詞も担当することに。糸井さんは長年抱いていたあるイメージを詞にこめます。
詞の世界観
(糸井)野球場がすごく好きで、野球場をデコレーションケーキみたいに見てるんですよ。大好きな、で野球場が空を飛ぶ絵を、いつかポスターにしたいなと思っていたんですよ。それを広くして、東京を飛ばしちゃえばいいと。ゴジラは東京を壊したけど、僕は東京を飛ばした(笑)ハッハッハ・・・
こうして1980年1月1日、新時代が幕を開ける日に、沢田研二29枚目のシングルとして「TOKIO」が世に放たれたのです・
(ジュリーの歌声)TOKIOが空を飛ぶ~♪
(古舘)どうですか?こういうエピソードがあった。
(鬼奴)全く想像もつかなかったです。パリにTOKIOがあったってことですよね。
(古舘)それを糸井さんがパっとあのセンスで着眼するわけですよ。拾っちゃうんですよ、パッと掴んじゃうんですよ。そこでこれになたんですよ
(鬼奴)オシャレ、全部 オシャレでした。
ね~!
(宮崎)今見ててもジュリーが素、美しくて、全てがもう完璧で
(古舘)糸井さんと言えばもうコピーライターでも最高「今の君はピカピカに光って」も鮮烈デビューだったじゃないですか。
(宮崎)1980年。ピカピカのTOKIOに出てきたんだなと、40年まえを思い出してました。
(古舘)ではどうぞ!
宮崎さんの有名なミノルタのCMが流れる
専門家の森岡先生に質問
(ミッツ)日本語のローマ字表記「東京」だったら「TOKYO」が、欧米に行くとまた違う解釈で「TOKIO」にされちゃったり、オフィシャルの綴りが浸透してなかったりするじゃないですか?
(先生)基本的に地名のつづりは現地での言方を優先するんですが、東京など世界的に有名な都市は、地名の前に発音から先につづりを決めていて、現地で書かれていて、今更 直らないんです。
阿久悠さんが嫉妬したという「TOKIO」の歌詞。ジュリーのファンなら「TOKIO」がフランス語だってことは すでに知っていますが、糸井さんのイメージ「球場を飛ばしたい」が「東京を飛ばしたい」になったことが、すごくファンタスティック!✨
1980年代、これから何か素敵な事が始まる!そんなことを期待し、感じさせる高揚感のあるイントロにワクワクさせられ、そして糸井さんの浮遊感の有る歌詞と、ジュリーの突き抜ける声がさら聴く者の気持ちをかきたてます。
あのころ、カネボウが「レディ・エイティ」を募集していましたが、70年代から80年代に突入するという事は、大きく世界が変わろうとしている予感がしました。少なくとも2019年から2020年に変わった今よりも、ずーっとワクワクしました。2020年の今、この先に明るい未来を見通すことは難しい・・。だけど、70年代から1980年になる時は、日本という国も日本人も、来る未来は明るいと信じていたはず。それは次に来るバブルの予感だったんでしょうか。そして、ジュリーもファンもまだ若かった。
「TOKIO」は一等賞にはなれなかった。けれど40年の時を越えても色褪せない、ジュリーの代表曲になりました。加瀬さん有難う!! ただ、ザ・ベストテンでは最高2位だけど、オリコンでは最高でも5位くらいじゃなかったかな??この時、一等賞だった曲って何?
※ザ・ベストテンで、ずっと2位の「TOKIO」の上にいたまま動かず、まさに目の上のタンコブそれは、クリスタルキングの「大都会」。⇒こちら (ザ・ベストテンの1980年のリスト)
※糸井さんとジブリ作品⇒こちら