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②原田伸郎さんインタビュー第2週、3月14日 ジュリーにチェックイン!

2023年03月18日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)
 

原田伸郎さんインタビュー第2週、3月14日 ジュリーにチェックイン!



(田)これもリスナーの方から、追っかけをされていた方から
証言をいただいているんですけど
当時、生放送が多かった歌番組の中で、この
ヤンヤン歌うスタジオは、すべて当時 録画でされて
いたんですよね。歌のセット、コントのセット
セット転換の間、観覧者も別室で待機・・
(原)ウンウン
(田)多分、待たされるようなかたちで
(原)ふんふんふん・・・・ハイハイハイ

(田)一回、ジュリーが多分、サムライの
新曲キャンペーンの時だったと思うんですけど
(原)ほうほうほう
(田)普段もこの方、多分追っかけだから、
ずっと見ていたと思うんですけど、ジュリーが一回だけ、
セットに文句を言っていたことがあった。
(原)はいはいはい

(田)サムライ、このイメージちゃうねんな・・・
よく見たら舞台の端っこに甲冑が置いてあったみたいで
ちょっとちゃうねんな。
サムライの歌、今だったらわかりますけど、
お侍さんの意味じゃないと
(原)ちょっと違うよね
(田)わかりますよね
それを多分、ちょっと呟やかれたみたいで ジュリーが。
そしたら、プロデューサーがすぐに来られて
御免なさい!セット変えますと、その場で変えて
これでどうですか?という一幕があって
御免ね我儘言って、という一幕があった、という証言があって
(原)はぁあ~あ・・
(田)それぐらいTVの時代が盛り上がっていたという
ことですよね、
(原)はいはいはい
(田)今だったらもう、その当日に言われても、みたいな
ことになっちゃいますよね。

(原)何とかしないとダメみたいな、覚悟がみたいなものありましたよね。
それは準備が出来ていなかったということに対して
御免なさいと、沢田さんに謝ったんだと思いますよ。
(田)へぇ・・

(原)言う事はチャンと言う人でしたからね
僕らが一緒に、ジュリーのことをアドリブで
歌を歌っていたんですけど、いい歳をして
こんなことをやっているジュリー、みたいなことを
言ったんですよ。それで後で、オンエアを見てて
また違う日に朝、おはようと来られて、
あのな このあいだ、オンエアを見たんやけどもな
あれは俺は、やらされてるんやけどな、俺は
(田)はい(笑)
(原)やらされて,そんなこと言われると、ちょっとしんどいな、
といわはったんよ、だから僕らは本当に申し訳ないな
僕らは何でもわかってくれはると思って言ってるけど
この部分は許してくれはるけど、ここはアカンよと
いう所を、ちゃんと持ってはる人やなと
(田)でも、そう言って下さるのも有難いですね。
(原)普通、そういうのはマネージャーが言いにくるんですよ
(田)また変に伝わって、怒ってたで、というよりも
有難い、
(原)本人がどういう気持になったのか、ということは
有難いでしょ、本人がどういう気持になったのか
ということ、うわぁ・・スゴイな、と思いますね。
(田)はい

(原)みんな、思っていることはひとつで、面白い番組を
作ろうよ、楽しい番組にしたいというのは
みんな一緒なんですよ、それにはどうしたらいいのか
みんな、一緒なんですよ。それにはどうしたらいいのか
1人1人がどうしたら自分はいいのか
考えていたと思いますね、本当に真剣勝負やったし
思いっ切り、リラックスして楽しもうよ、っていう
そういうのが有りましたね。両面がありましたね。
うん
(田)今日は貴重なおはなしを有難うございました!!
(原)いやいやいやいや、有難うございました。
(田)原田伸郎さんでした!


2週に渡って、原田伸郎さんに伺いました。
決してね、言葉で語るのではなくて、お仕事の中で
語る。笑いにも全力投球でやってくれるし
また気になる所はそこは、面と向かって言ってくれる。
お人柄が伝わる、そんなエピソードト-クでしたよね。

お人柄が伝わるというのは、原田伸郎さんもそうですよね
そういう雰囲気を、作られた方だったんだ。
だから、今回のインタビューもほんとに
色んなことをお伺いできたな、時代の雰囲気を
しっかりとお伺いできたなと、思いました。
本当に原田伸郎さん、有難うございました。

また、このインタビューの感想など、来週もね
聞かせていただくと嬉しいです。
原田伸郎さんにもお伝えしたいと思います。

それではリクエストは、なかなか 
かけることが出来なかったということもありますが
ラジオネーム、たゆさんからのリクエスト曲
おかけしましょう。「憎みきれないろくでなし」の
B面、昭和52年の発売 沢田研二さんで
「俺とお前」

作詞 阿久悠、作曲大野克夫

お人柄が伝わるといえば、今年もオフィシャルに
3月11日に、東日本大震災の日に更新されて
いましたね。こういうことにお人柄が伝わて
きますよね。来週もそんなジュリーの話題
伝えていきたと思います。

(以上)



随分前になりますが、チェックインコーナーに原田伸郎さんへのインタビューをお願いして、それが実現して大変ありがたく思います。(^^)

原田伸郎さんが、もうとっくにお忘れかもしれない・・と思っていたことを、今でも覚えていて下さったことが(比叡山フリーコンサートや、ねのねの何でも修行中)大変嬉しい!

そして、当時のジュリーの仕事への真面目で全力を出そうとする姿、それを受け止め、さらに盛り上げようとしている、制作側の向き合い方もわかりました。

今では無くなりましたが、70年代から80年代当時は、歌とコントのあるバラエティ番組が全盛の時代でした。そこでアーティストだからコントはやらない、と気取ることなどなく、歌にもコントにも取りくむジュリーには、随分 楽しませてもらいました。ジュリーのファンでなくても、そういう姿は多くの視聴者に届いていたと思います。

原田伸郎さんに、当時の番組作りの裏話、熱気を語って頂けて、とても感謝しています。取り上げていただいた田名部さんにも、お礼を申し上げます。


「俺とお前」を歌う若いジュリーの声が、今よりもずっと細い硬さの有る声で、それが聴く者に一本気な若さを感じさせて、ジュリーの当時の姿を思い起こさせ、ジュリーの気持ちの持ちようにも思いを馳せました。


 

「チェックイン」コーナーのあと、ハニー・ナイツの「ふりむかないで」が流れて、70年代の思い出が またまた蘇って、懐かしいったら ありゃしない(笑) 

ふりむ~かないで~ 〇〇のヒト~♪と歌う、シャンプーのCM!!エメロンだったのか。大学の同級生を思い出しました(^^) 

広島から神戸に出てきたという同級生の自慢は、高校生の時に「ふりむいて下さい」というシャンプーのCMに出たことでした。実家が洋品店の社長令嬢だという彼女は、姫路の田舎から出てきたばかりの私の服装とは、ぜーんぜんファッションが違って、あか抜けていました。

向こうは私のダサい姿を見下しているのが、ミエミエ(笑) 高校生から大学生になって着る服も持たず、我ながらダッサーと自覚していたので、見下されてもそれほど気にしません。反対に彼女のことを、中身が無いと思ってた(笑) 我ながら何様や~ お互いさまやがな(^^;

懐かしいな、彼女は今はどうしているのかしら?きっと、お金持ちのとこに嫁にいったのでしょう。ハニー・ナイツの「ふりむかないで」のお陰で、50年近くも前の同級生のことを思い出しました(^^;

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