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②1975年7月20日「比叡山フリーコンサート」

2016年07月21日 | 比叡山フリーコンサート

比叡山の前に、J友様からお知らせです。有難うございます(^^)

吉井和哉さんが、KinKi Kidsに楽曲提供をしました。*7月発売の『薔薇と太陽』

今日、吉井和哉のFacebookに“KinKi Kidsの特設サイトに吉井和哉メッセージ掲載”とあったので、

見たらなんと!ジュリーの文字が目に飛び込んできました!!!
URLを貼りますね。⇒ http://je-kinkikids.com/151/

 



金曜日の夜は、ジャネットさんのラジオ番組があります。
エンディングでジュリーの曲がかかりますが、明日の22日と来週の29日は、アルバムの曲がかかります。
ぜひお聴きください。 

さくらFM 78.7MH 22時より 番組名「My Favorite Things」です。

 


続きです

②1975年7月20日「比叡山フリーコンサート」

夏の太陽が照りつける暑い日中、会場の後ろの方でジュリーはまだかなーと、

何時間もグダーっとしながら、J友さん達と汗をふきふき待っていた。

当時、ジュリーはフジカラーのCMをしていたので、フジカラー関係者の男性が

会場に何人も来ていて、ひまそうに席の近くをプラプラしていた。

近くにいた私達と、軽口でもたたいていたのだろう。

そして数時間も経ってから フジカラーさんから聞いた言葉に、私達はショックを受けた。

フジカラーさん『奥さんも一緒に来てるそうだよ』

我々『え~~~っ! こなくてもいいよ!!』 

予想していなかったのでとても驚き、友人共々 口々に

『見たくないわ!』

 お蔭で、私達は他のジュリーファンよりも早く、奥様も来るという事実を知っていたのだった。


あの頃は若かったので、今ほどトイレには近くなかったが、やっぱりジュリーの登場までに

トイレにいっとこうと、トイレ前の長ーい行列に並んだ。

トイレ横には、倒れた女の子たちの為の救護所があって、寝ている姿は丸見えだった。

かなりの時間、私達は並んで待っていたと思う。行列に並んでいたら

『もうじきジュリーが来る』 そういう話が聴こえてきた。


え~~!早い事すませて席に帰らなければ・・ と焦っていたら。。。

救護所で横になって寝ていた女の子達が、

『ジュリーが来る』 その言葉を聴いたとたん 

ムックリ起き上がり、さっさと席まで帰って行った。

き、気分が悪いのに、大丈夫なのかしらん??と私は心配になったけど

例え気分は悪かろうが、ジュリーが見たい!

その気持ちは ものすごくよく分かります。愛だよね、愛

ここまで来た比叡山、ジュリーを見ずして帰れるものか・・・

あの不屈の女の子たちは、今でもファンかなぁ


41年経っても、私が比叡山で特に今も忘れずに印象に残ったのは3つ

①それは比叡山へ向かう、延々たるバスの隊列

②ムックリ起き上がる女の子たちの姿。

そして、あともう1つはこの後で。


午後3時、ジュリーがオープンカーに乗って会場にやってきた。

ゲ・・・ 真っ青なアイシャドー

ドピンクのド派手衣装 なんだこりゃ・・ 

思いっきり悪趣味、キッチュ!

ここまで派手なお姿は見たことがありません。

コンサートが始った、J友様から前の席でご覧になったというコメントをいただきました。

羨ましい~☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

続きます

 

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①1975年7月20日「比叡山フリーコンサート」

2016年07月20日 | 比叡山フリーコンサート

1975年7月20日は「比叡山フリーコンサート」の開催された日。

当時の様子を伝える貴重な新聞記事を、J友様にコピーさせていただいていたので

ちょうど40年目の、去年の7月20日にアップする予定でいました。 

しかし去年はブログ引っ越しで忙しく、アップが41年目という中途半端になったのは残念ですが、

記憶が薄れてゆく前に書きとめたかったのです。少しだけど、日記に書いていた分もありました。

行かれたというJ友さん3名に、比叡山で記憶に残る事は?とお伺いしましたが

皆さんの答えは同じく 『暑かった・・・』

こんな事があったとか、私のブログに間違っているところがあれば

コメントをいただきたいと思います。

 

結婚の噂は前からあったが、それを現実の事とは受け止めていなかったので

結婚はたいそうショックだった。でも、フリーコンサートは行かなければ!

J友さんと、すぐに行くという話はまとまったんだと思う。

(日記を読み返したところ、ジュリーが結婚するという報道は当時い~っぱい出ていたので、報道のように10月くらいに結婚か?とは思っていたようです。でも、まさかそれより早いと思っていなかったので、急な事で大変ショックだったようです)

下はファンクラブから送られてきたハガキ、これがないと比叡山のフリーコンサートには参加できない。

当時、ファンクラブの会員は何人いたのだろうか。(参加は2万人ほどを予定していたようです)

J友さんたちと5人ほどで、姫路から参加を決めた。

当日はこの日の為にと買った、思いっきりかわいい 丸襟パフスリーブの

フワフワの花柄のワンピースを着ていった。

想い出が詰まって捨てがたく、いまだとってあるけど、サイズがもう合わない(笑)

 

私は当時住んでいた姫路から参加、出発はBコース、京都駅前の朝9時発。

同じく参加したという神戸、関東のJ友さん3人ほどに伺ったところ、

いずれも私と同じ、京都駅発、朝9時の出発でした。

早朝の朝7時発では、京都近辺の人以外は泊りになると思いますが

そのかわり、前の良い席で観られるわね。席もフリーだから。

フリーの名前のとうり、コンサートの料金は無料、バス代往復料金のみです。

これは、ファンクラブ会員以外でも 申し込めば入れたのかどうか、それは知らない。

※(会員以外でも、ファンクラブに直接お願いしたらOKだったそうです)

題名は「全国ツアー75 比叡山オープニングコンサート」になっている。

申し込んだら、これとバスチケットが届いた。

この裏面は京都駅前の地図だと思う。

当日、京都駅前のバス停車場に行ったら、 比叡山への大きなコンサート専用バスが

京都駅前のバスロータリーにいっぱい停まっていて、まさに

駅前ロータリーはジュリーのコンサートの為だけにあるようだった。

真夏の1日が、若い女の子の熱気でさらに暑くなっていくようだった。 

バスの年輩の運転手さんがニコニコしながら

『にんなに沢山の人で、ジュリーはたいしたもんだねぇ・・』

と笑顔で話していたのを思いだす。

しかし、このバスの台数の多さはどうだ。 

(※120台のピストン運送だったそうです)

同じ9時発なのに、すでに数台ものバスが、私の乗るバスの出るより前に

比叡山を目指して出ていった。

これでは着いても、絶対に前の席なんかに座れない!

それは、すぐにわかったわ(゜∀。)

しかも私には心配があった・・・ 

子供の頃からバスにはとても弱く、すぐに乗り物酔いをする性分なのだ。

この時はハイティーン、もう子供では無かったが、

行く前から比叡山は乗り物酔いすると

聴かされていたので、バスに酔ったらどうしよう~(´Д`) 

でも乗らない訳にはいかないでしょ。

(関西じゃ六甲山、比叡山、高野山が乗り物酔いしやすい場所らしい)

 

比叡山の山中のコンサート会場へと、延々と続く、

何台も何台もの、バスの行列・・・

それは40年前の私の薄れゆく記憶の中でも、特に今も鮮やかに思い起こす光景です。

蛇ゲ原スキー場で行われる会場まで、1時間くらいはかかったんだろうか??

運が良かったというべきか、気持ちが悪くなることはなく会場に無事に着いた。

あ~良かった・・

ただ、私以外の若い女の子たちで、バスが運行中から気分が悪くなった人は少なくなく

場所に到着しても、見るからに白い顔をして倒れそうで 気の毒だった。(*_*)

ジュリーはそんな女の子たちの苦労話はしらないでしょうね・・・

それにバスが着いたからといって、そこがすぐ会場ではない。

会場まで、また暑い中を数分歩いて やっとそこがコンサート会場です。

着いたなりダウンする女子達が続出で、そういう人や

会場で長いこと待たされ、熱中症になったファンのために

救護用の屋根のある場所が作られていて

すぐに横に寝かされていた。

 

会場は、蛇が池スキー場。 夏場はグラススキーもするらしい、

コンサート会場なのに緑の雑草が生えていた。

ジュリーの立つステージを囲むように、客席は大きく緩やかな すり鉢状になっていて

着いた時には、もう前の良い場所には 先に来た多くの人が席を占めていたので

私達にはステージからは とても遠い、傾斜のある場所しか座る残されてはいなかった。

これではジュリーがとっても遠い・・・ 大阪フェスの席より悪いかも ( ノД`)シクシク…

でも仕方がないわ。

 

席らしい席ではないけど、簡単に仕切った席にはジュリーのB4サイズ程度の大きさのポスターが置いてあった。 

その薄く化粧をして微笑むジュリーは、おそろしく色っぽかった。

余りに美しい・・ でも、余りに色気過剰だと思いました((+_+))

サンバイザーも置いてあったという事だけど、すでに私は忘れてしまっている。

9時に京都駅前を出発して、会場の席には11時頃には座れたのかなぁ?

お昼ごはんはどうしたのかな?水は持って行ったのか?

飲まず食わずでは丸一日を過ごすのは無理だと思うが、

当時の記憶は、もう全く残っていない。

 

ジュリーの登場は午後3時、そこまで まだ4時間以上もある。

7月の炎天下の下で、おとなしく待つしかないのだった・・・・

 

ジュリーまでは、まだまだ長い。

続きます・・ 

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ハッピーエンド?

2016年07月19日 | JULIE

カサブランカの花が咲き終わったら、関西地方は昨日梅雨明けしました。

商店街の子つばめちゃんは窮屈そうにギューギュー

巣の中で肩を寄せ合っていましたが、昨日覗き込んだら

空っぽになって、巣立っていました。28日の京都は暑いでしょうね。


 

J友様からです。 有難うございます(^^)

ANA機内放送 『オールナイトニッポンclassics』 アンコーさんがパーソナリティーで

ピーがゲスト 8月の1ヶ月間放送されるそうです。 アンコーさんだから

GS時代のお話が聞けそうですね。

 

こちらもJ友様からですが、村上さんの事はよく知りません。

染谷将太&二階堂ふみからエネルギーをもらった!?
村上虹郎が影響を受けた作品BEST3 
2位】『太陽を盗んだ男』

http://s.news.mynavi.jp/news/2016/07/18/160/

1979年に公開された昔の作品。沢田研二さんが主演を務めていて、菅原文太さん演じる刑事が、いくら倒されても死なないんです。その不死身さに“ヤバーッ!”と興奮しました。戦隊モノのエンターテインメント感もある王道な展開がとってもキザに進んでいて、結末もハッピーエンドで素晴らしい作品。こんな器の大きな映画は、現代ではなかなか作れないんじゃないかなと思います。人を幸せにする作品って大切なんだなと、改めて思わせてくれた映画でした。

戦隊モノという辺りに、若い人らしい感想だなと思いましたが

「太陽を盗んだ男」をハッピーエンド、人を幸せにする、という感覚はよくわかりません。

 


      我が家の顔、玄関のハンギングを夏仕様に変えました。

涼しげで大好きなカラジウムは、去年の球根を冬越しさせたものです。

              

                     

 

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②トップスターショー 歌ある限り ビッグ4(ジュリー、五木、森、布施)

2016年07月18日 | TV・ラジオ・CM・映画

続きです、番組は東京音楽祭に出場する、ジュリーを追いかけている。

この辺りから、ジュリー1人の為の番組になっている。



二谷さんが『銀賞おめでとうございます。密かにスタッフがあなたの姿を追いかけていました、VTRで見てみましょう』

(え?ひそかに?どこが?ジュリーにはバレバレやん・・・ まあいいか(゜∀。)

真ん中の女性は、当時のナベプロ副社長渡辺美佐さん

海外から番組出場のためにやってきた歌手の歓迎パーティー

 

3日前にはランニングやバッティングセンター、「ベストを出せるよう頑張ります。」

             

前日の音合わせ(井上さん、大野さんの姿が)

緊張してきたな 何でもいいです、何かもらえれば(笑) カスリもしなければ 恥かしいなと思うんですけど

 

                 当日、会場へ向かう  

               

リハーサル                   出番15分前

 

           出を待つジュリーの緊張感が伝わって来るような横顔

            

本番

 

   受賞者発表の前、笑顔のジュリーの心の内は いかばかりか・・・。

                 

 銀賞「勝手にしやがれ」と、名前を呼ばれ、ヤッタ!!  左にいるのはサリー?

 

                 左はモーリス・アルバート、懐かしい名前です      

                 

(素直に喜びを表すジュリーはまるでデビューしたばかりの新人のようで、初初しく輝いている。去年は新幹線事件のせいで、各賞はのきなみ辞退の憂き目にあっていたので、その喜びはまた格別だと思います。)

 二谷『改めておめでとうございます。物凄く緊張しますか?』

 

Ⓙ『出るまでは緊張してましたし、プレッシャーもありました。カスリもしなかったら 恥かしいし・・・(笑)』

                

二谷『金賞との差が1点だった、残念ですね。』

Ⓙ『でも、この1点の差が世界との実力差が出たとしたら、大きな1点と思います。』

 

二谷『トレーニング、凄くいい顔をしていますね。ひたむきというか・・ 歌う時に訓練をするんですか?』

Ⓙ『精神的な問題が大きいですけど、やれば納得するというか・・』

二谷『エントリーする気になったのは?』

Ⓙ『仮にもフランスなんかでレコードを出して、人から世界のジュリーといわれて、始めて世界大会に出られたし、どこまでやれるだろうか?世界の名だたる人の中に混じって、どこまでやれるだろうか、チャレンジです。』

二谷『どういう歌手で有りたいですか?』

Ⓙ『この世界に入ったのはタイガース、PYG、ソロできたわけですが、タイガースというのは 凄く大きい位置を占めている。タイガースを越えるというのが目標で、今現在でも越えた自信がまだないです。』

二谷『自分に厳しい生き方をしているんですね。』

Ⓙ『ソロになって、30歳近くになると色々アドバイスしてくれますけど、僕自身は大人っぽくなるということより、いつまでも若々しく、無理に若々しくするんじゃなくて自然にできたら。30歳過ぎたら折り返すつもりで やっていきたい。

歌ひとつとっても、若い人の歌とか大人の歌とか決めたくない、僕はできるだけ今のままで そういう感じでやってゆきたいし、将来子供ができたとしても、パパがキンキラキン服着て大人の歌を歌っているのもいいな、本物と思います。』

二谷『30になってあなたは折り返すんだ。髪の毛が白くなってもジュリー。』

Ⓙ『ずっとジュリーと呼んで下さるようなジュリーでいいし、二谷さんみたいに髪が白くなってもジュリー。』 

            

 

最後に「勝手にしやがれ」を歌って終わった

 

             

ビッグ4で始まった番組は、最後にはジュリーの為の番組になっていました。

               


 

この放送時のジュリーの周りの状況がどうだったのか、たまたま先週アップした三波伸介さんの「お笑いオンステージ」の時に書いています。ほんとにマスコミが大騒ぎで大変だったんだよ~(´Д`) 下の方です。⇒http://blog.goo.ne.jp/nagatasatoko/e/97de99e8ce455786a8a03c620bb7760c

「お笑いオンステージ」1977年10月16日  - (移転しました)Saoの猫日和/old

「お笑いオンステージ」1977年10月16日  - (移転しました)Saoの猫日和/old

昨日の話題の三波伸介さんは、日曜夜のNHKの人気番組「お笑いオンステージ」の司会で国民的人気ものでした。ジュリーも時々、ゲストで出ていて、昔のある出来事を思い出...

goo blog

 

ジュリーが「勝手にしやがれ」で各賞有力候補だったからこそ、狙い撃ちされたんだと思いますが、心配で胸が押しつぶされそうでした。ジュリー自身、それを十分感じていての毎日だったと思います。

二谷さんの質問に答えるジュリーの受け答えを聴いていたら、ザ・タイガースがいかにジュリーにとって大きかったのか改めてわかりました。その後のジュリーはタイガースを越えたと思っている?思っていない?

『髪の毛が白くなってもジュリー』

ジュリーがこの時期にどれだけ今の自分を想像できていたのか、それはわかりません。少なくとも今現在『髪の毛が白くなってもジュリー』であるのは間違いがなくこの先も歌い続けてくれるであろうと確信しています。

 

二谷さんのインタビューに『世界大会に出たのは初めて』と答えるジュリー。そう、この前に『恋は邪魔者』で、 何も知らないお前に~♪ 東京音楽祭の国内大会予選に出た。

その時のジュリーが物凄くイキッていた。「イキってる」って関西弁なのか、意味が通じてますか? イキりすぎ、頑張りすぎ、という事。ジュリーはまだ若かった、この時の歌唱、衣裳、パフォーマンス、全てにあんまり頑張り過ぎて、張り切りすぎ張りつめ過ぎていました。

見ていて、ジュリーやりすぎ・・・ と思いました。そう感じたのは私だけ?その思いきりの頑張りにも関わらず、国際大会には出られなかったのです。出たかったんだろうな。

今思えば、ジュリーのいっぱいの気負いの感じられる「恋は邪魔者」でしたが、その気負いこそが、ジュリーの若さ、あの時はあれが最高のパフォーマンスであったと今は思えるようになりました。

でもやっぱり東京音楽祭といえば、なんたって私にとってインパクトは燦然たる化粧の船長さん、「oh!Gal」でっせ! 今なら何もでもありの世の中、今更さしたる驚きは無いけど、あの当時は誰もやらないことをやる、その与える衝撃は大きいのです。

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①トップスターショー 歌ある限り(ビッグ4)ジュリー、五木、森、布施

2016年07月17日 | TV・ラジオ・CM・映画

今朝は家から出たら10時前にまた戻り、11時になったらまた出かけ、あちこち行かなねばならない所があって、一日中バタバタと忙しかったです。

しかし午前中は是非、TBS1で放送される1977年のトップスターショーが見たかった。

ただいま、ブルーレイが故障中で録画が不可能なんです。(T_T)

私の日記によると、1977年の9月29日木曜日(☂)に放送されている。

http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/o1839/

 

トップスターショー 歌ある限り #39(五木ひろし、沢田研二、布施明、森進一)|音楽|TBSチャンネル - TBS

TBSが誇る本格的音楽番組「トップスターショー 歌ある限り」。今回のゲストは、五木ひろし、沢田研二、布施明、森進一という超豪華な4人。

TBS CS[TBSチャンネル]

 

BSが誇る本格的音楽番組「トップスターショー 歌ある限り」。
歌謡界の“トップスター”たちをスタジオに招き、豪華なステージが開幕!
ゴージャスなセットの中で歌い、踊り、語る。ここでしか見られない
コラボレーションも!司会は二谷英明、久米宏。
五木ひろし、沢田研二、布施明、森進一という超豪華歌手が、
「ビッグ・フォー」というコーラスグループを結成!?デビューも年齢も大体同じで、
若手四天王とも呼ばれた4人が今回のゲスト。五木ひろし「よこはま・たそがれ」
沢田研二「勝手にしやがれ」、布施明「シクラメンのかほり」、
森進一「港町ブルース」などヒット曲をそれぞれ熱唱する。



 この番組を心待ちにしていたのは、きっと綺麗な画像で見られるのに違いない!!そう信じていたからです。 始まって、ガッカリ・・・ 

デジタルリマスターしてないやん!ボケボケやん!昔のそのまんまを放送しているだけやん! ガッカリしていたら家人が「そんなもん、TV局は手抜きに決まっている」と冷たく言い放ち

そうなのか~"(-""-)" ほんとに手抜き( ノД`)シクシク… しかし当時の空気は伝わります。

画像だけ簡単に (憶えてないのでね)


 

デビューも年齢もだいたい同じ4人。(ジュリーが少しだけ後かな)

ジュリーの紹介には、東京音楽祭銀賞、いま一番のっています。

 

4人で、各人の代表的な持ち歌を唄う。 ジュリーの「危険なふたり」の声がちょっと鼻声に聴こえました。

 

服部勝久さんを囲んで

 

 

 

持ち歌の後は、皆でヒット曲を。

              

              「心もよう」を4人で歌った。

まず森さんが『さびしさの つれづれに~♪』 

低いドスの効いた声は陽水とは全然違う世界でしたが、これもありか。

確かに寂しさに迫力があり、ズンと伝わってきました。

皆で唄っても、この曲は4人4様の違う声が聴き分けることができました。

森さん、五木さん、布施さん、3人それぞれの特徴的な声。

そこにジュリーの声が埋没することなく、立っている。

ジュリー以外の3人の声と比べて、ジュリーの声がさらに特徴的だったのは

無垢といえるほど、幼いと聞こえるほどに 際立って声が甘い。

あの3人の声の中で歌ったからこそ よけいにそう思うのかもしれないけど

今、こう書いていて その声を思い出してココロがキュっとする✨

 

それぞれ、持ち歌の衣装に着替え、テーブルで談笑する。

            

和気藹々の楽しそうな雰囲気

 

 

東京音楽祭で銀賞をとったジュリーを、番組は追いかけています。それを紹介しましょう。と二谷さん。          

東京音楽祭というと、私には「勝手にしやがれ」よりも「OH!Gal」の衝撃です!

東京音楽祭とは⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A5%AD

 

明日は仕事なんで、続く

予定・・

 

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衝撃ニュースって何?

2016年07月16日 | JULIE

J友様からです、有難うございます。(^^♪

今日は刺激的なタイトルです(゜∀。)

タローさんのサイトから⇒8月9日(火)発売 週刊新潮 タローインタビュー『芸能史に刻まれた衝撃ニュースの主役』

衝撃ニュースって何?? 気になるわ~ タイガースなら、トッポの事かと思うけど、もう今更・・と思ったりして


告知ですタローさん、70歳のバースデーライヴ
11月19日(土) ラゾーナ川崎プラザソル 18時~ 7月21日(木)12時~受付開始

盛り上がりそうですね!

 


 

ツイッター情報です。
先日の 水谷豊さんの横浜ライヴに、サリーがゲスト出演しました。
豊さんが『一徳兄さん横浜にはよくこられるんですか?』
『沢田さんが住んでるので、たまにお邪魔したりしてます』

と言われていたとか!


梅雨明けをする前に、コリウスとビンカの寄せ植えを作りました。


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少年の名はジルベール

2016年07月16日 | JULIE

GRACEさんにツイッターによると、ジュリーのコンサートのリハーサルも始まったようです♪ いよいよ ライブの季節が近づきました。 


 

コメント欄に、嬉しい書き込みをいただきました。KEIKOさん、教えていただき 有難うございます。

『先日、漫画家:竹宮恵子の『少年の名はジルベール』を読んでいたらジュリーの名前が出てきました。
竹宮恵子が1970年に上京して『風と木の詩』が発表されるまでの話しなのですが(大雑把に言うと)
『風と木...』の構想は'70からあったものの、どの編集者にも取り合ってもらえず悩んでいたそうです。


そんな中、1974年に入りジュリーの『危険なふたり』と少年歌手グループのフィンガー5が
竹宮恵子にとって少しだけ味方になったとのこと。アンニュイな香りと、
少年の魅力を受け入れるような世間があったそうです。『風と木...』が発表されるのはその2年後です。
思わず何回も読み直して「ジュリーはやっぱりすごい!」と改めて思いました。』

もう30年も前に読んだ「風と木の詩」ですが、私も夢中になって読みました。 私はセルジュ派 しかし作品にジュリーの影響があったとは 思いも寄りませんでした。竹宮先生の「少年の名はジルベール」を読もうと思います(^^♪

             

 



J友様からです、発売中の「婦人公論」のサリーの記事の一部が、ネットで紹介されています。

http://www.fujinkoron.jp/number/003369.html

本屋で読んできましたが、兄弟でもライバルと感じる人、感じない人がいる、サリーはシローをライバルとは思わなかったそうですが、弟のシローは自分が売れていたからこそ、そう感じていたんじゃないだろうかと。

仕事が無い時期でも焦らなかったサリー。病気で入院中に誰も見舞いに来なかったというシロー。

自分たち兄弟の立場を穏やかに静かに話す、サリーの声が聞こえてきそうな記事でした。

今は大腿骨を折ってグループホームで生活をしているシローですが、藤山直美さんが、あの独特の間で芝居に出てほしいと言われていましたが、実現できたら 是非見に行きたいです。 まずシローにその気力が戻りますように。タイガースの一員として歌うシローの姿も、また見てみたいです。

武道館で、東京ドームで聴いた、シローの透明感のあるやさしい歌声は、タイガースのファンではなくても 心を動かされるに違いないと思えました。あの時流れた涙の感動を忘れません。




ついにVHSのビデオデッキが日本で生産終了になったそうです。ひとつの時代が終わったとTVで伝えていて、しみじみしました。

船井電機、VHSデッキ撤退へ…国内で唯一生産
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6207680

始めてビデオデッキを買ったのは、1979年でした。一般にビデオデッキが普及するのは、80年代半ばですから、私としては 一足早くきばりました。 

ジュリーが「源氏物語」の光源氏を演じる! それを是非永久に保存したい!!と、ボーナスで大枚はたいて買いました。あの当時はビデオテープは3000円くらいして、ジュリーの出演を録画しても その上からすぐに上書きしていました。今となったら、消さずに残しておけばよかったと後悔しています。あれだけ必死になって録画した「源氏物語」は後にDVDで発売されました。

日本は録画文化の国だそうです。 ジュリーはともかく、二度と見直さないと思うものでも録画していましたもんね。今はドラマを録画しても、時間がなくて 見ないままに終わってしまいます。

             

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あのヒット作、あの感動

2016年07月14日 | JULIE

J友様からです、有難うございます(^^)


今週発売の週刊現代、サウダージ1973年 7月13日~24日

あのヒット作、あの感動 「危険なふたり」

6枚目となるシングルでソロ初となるチャート1位を獲得した曲。

スタイリスト・早川タケジが付いたこの作品以降、沢田の斬新なファッションが

確立され、新曲のたび話題を呼ぶこととなった。

     



こちらもJ友様からです。

ほんまええとこ うえほんまち Vol.17【ゲスト】榊テルオ(ザ・リンド&リンダース)


いま大阪でもっともホットな街"上本町"から中将タカノリとまり­­­ながお送りする­コミュニティ番組第17弾。メインゲストは60年代のグループサウンズブームに加賀テツヤと並んでザ・リンド&リンダースのボーカルとして人気を博した榊テルオ。当時から近年にいたるまで、沢田研二はじめ音楽仲間たちとの思い出話を語ります。

※6分頃にジュリーの話題 途中別のコーナーで31分頃、 ジュリーの話題。

もうかなり前のこと、リンド&リンダースのボーカルだった人のライブを聴いたけど・・・ この人かな?

大阪の上本町は、難波にあった新歌舞伎座が移転して、ビルの中に入ってしまった街ではないだろうか。


 


毎朝、咲いた朝顔の数を数えています。


 

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疑惑の渦中、灰色のジュリー「お笑いオンステージ」1977年10月16日 

2016年07月14日 | JULIE メモリーズ

昨日の話題の三波伸介さんは、日曜夜のNHKの人気番組、「お笑いオンステージ」の司会で国民的人気ものでした。

ジュリーも時々、ゲストで出ていて、昔のある出来事を思い出した。1977年、10月の日曜日の放送回。前年の謹慎から一転して、1977年は「勝手にしやがれ」が売れに売れた年だった。

久しぶりのカテゴリー、ちょっぴり苦い思い出「JULIE メモリーズ」



 ※1977年の日記から一部のみを抜粋、実際はもっと長いです、黒字は現在のコメントです。

1977年7月 「勝手にしやがれ」は、6月の終わりから2週だけは2位だが、7月の終わりまで 
      ひと月以上も1位。連続では3週連続の一位。(途中、ピンクレディが割り込んだ)
      まさに大ヒット。めちゃ感激!


1977年9月26日  昨日の新聞に内田裕也さんが49年に大麻を吸ったと任意出頭したと載っていた。     あの人ならやりそうかも。

(裕也さんすいません)m(__)m


1977年9月29日 トップスターショーを見た。ジュリー、五木、森、布施のビッグ4。 面白かった。

(7月16日に、この回がTBS2で放送ですよ!)


1977年10月8日  新聞、週刊誌に(ジュリーが)大麻を疑われる。読みたくなかった、心配してもどうすることもできない。つらい・・


1977年10月10日  この重苦しさ、五里霧中。誰かこの霧をサーっと晴らしてください。ジュリー西ドイツへ、逃避行といわれる

(レコードのプロモーションで行っただけです)



1977年のこの当時 新聞、雑誌でジュリーは大麻を疑われていた。大麻疑惑の渦中にいた頃、もちろんファンは大変心を痛めました。日記を読み返してみて、今思い出せる自分の記憶よりも ずっとずっと深く傷つき、落ち込んでいたとわかりました。そうだったのか・・・ 

記憶はどんどんボヤケ、マイルドに漂白されていくものなのね。あの当時の、どうしようも出来なかった、自分の気持がほんとに可哀そう・・・( ノД`) 

1977年10月16日の日曜日は、三波伸介さん司会の「お笑いオンステージ」の放送日、ジュリーがゲスト。番組の始めにゲストとレギュラー陣との、お笑いコントがある。なのに、この日の放送ではジュリーは誰との芝居のからみもなく、1人だけ出て来て、短い数分を一人だけで喋って、一人だけで動いて引っ込みました。

何で今日は、ジュリーだけの一人芝居なの? はたと気がつきました、これって 

いつでもジュリーの出演部分だけを切れるってことね💦

疑われていることを、まざまざとTV画面で見せつけられた気分になりました。すごく嫌な気分になったのは間違いありません。昨日、三波伸介さんのTVを見たせいで、思い出したわ・・(-_-;)

 続々と有名芸能人が逮捕された大麻騒動。しかしこの後は、大物が逮捕されることは無く、どんどん収束して話題は尻すぼみになってゆき、いつの間にかジュリーの大麻疑惑の噂は消えて行ったのです。

その後ジュリーはめでたく「歌謡大賞」と「レコード大賞」をW受賞しました。なんだったのだ、あの大騒ぎは。

「ザ・タイガースの真相」によると、あれはライバル陣営が仕掛けた「大麻疑惑」だったそう。間違いない、ライバルたちはレコード大賞の本命であるジュリーを蹴落としたかった違いないと、数十年もたって ようやくあの騒動の顛末を納得しました。

忘れもしない、1977年12月22日の日本武道館、そこまでは疑惑については無言だったジュリーが武道館のコンサートの終盤、観客に向かって叫びました。自分の胸を指して

「僕が吸っているようにみえるか?」

三階の天上席でJ友さんと二人で聴いていた私は、その声がハッキリとよく聞き取れず、何と言った?とJ友さんに確認したら、J友さんも同じに聴こえたと言っていたので、間違いはないはずです。ジュリーは何を言われても、それまではじっと我慢していたんだろうな。

あの日は大晦日の日本レコード大賞まで、あと9日だった。

 いいことも悪いことも、嬉しいことも悲しいことも い~っぱいあった半世紀。まだまだこれから先もジュリーの歴史は続いていって、新しい出来事は起こる。それを見届けることができるのは ファンにとって幸せなことです。

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ぶっちゃけ寺(遺品整理と初代・三波伸介さん)

2016年07月13日 | JULIE メモリーズ

 

三木労音さん、ジュリーのコンサートの残席はわずかになったそうです(^_^.)

いつもありがとうございます。遠方からのお申込みもいただき、
皆さん、ジュリーのライブをほんとに楽しみされているんだなあと
日々実感しています。満席まであと少し、引き続き頑張ります!

三木は神戸からでも、バスか電鉄でけっこう時間はかかり不便ですが楽しみです。

もっともJ友さんは、初めての人が多かったら 座れとか言われるんじゃないかしら?

と心配されていました。ヒット曲ばっかり歌いません、昔と見た目も変わってますからね。

それなりの気持を持っておいで下さい(^^)


 

ちょっと後回しになってしまったんだけど月曜のTV朝日

お坊さんバラエティ「ぶっちゃけ寺」。見る気は無かったけど

遺品整理についてだったので、そこだけ見ようかと。

「お坊さんと前向きに遺品整理~昭和の大スター!三波伸介の思い出の品を供養~」
http://www.tv-asahi.co.jp/bucchakeji/backnumber/0034/

私は親の遺品よりも、増え続ける自分の物の整理の為に、

役にたつかしら?と思い 見ました。

親の物は、申しわけないけど 悩まずに捨てられます。

まだ健在です。今のうちからコッソリ、少しづつ気がつかないうちに捨ててやろ。

残った物は、お坊さんにお焚き上げをしてもらえば、スッキリ!

問題は、自分の物よ。

残す、前向きな気持になるものって・・どんな物かな?よくわからない。

過去にとらわれる物、これはわかる気がする。いずれにせよ、ジュリーグッズは

ポスターだけは処分しようかな。残念だけど、ポスターは「まんだらけ」が

引き取ってくれるほど状態は良くない、ホコリまみれシミだらけなのだ。

それはともかく、番組は

「お坊さんと前向きに遺品整理」。そして初代・三波伸介さん(現在息子さんが2代目)

大事にしたいけどずっと置いておけないもの、処分するにもそのまま捨てるのは心苦しいものなど、
実際に整理しようと思うと、何をどうやって捨てていいのか分からない遺品。
そんな悩みをお坊さんたちからのアドバイスで解消してきます。


第2回目となる今回の依頼人は…
「昭和の喜劇王・三波伸介を父に持つ、息子、二代目三波伸介」。

いまだ数多く残る遺品の整理をすることを決意。お坊さんに遺品供養に関するアドバイスをもらいながら、父・三波伸介さんと共演してきた関根勤、林寛子、山田たかおら立ち会人に懐かしエピソードも紹介してもらいつつ、遺品整理を行う。

遺品から語られるエピソードには、いかりや長介や渥美清、坂本九など
昭和を代表する数々の大スターたちとの貴重なエピソードも!

萩本欽一さんが、初代の三波さんの前では小さくなって かしこまっていた事とか

いかりやさん、渥美さんとは、お互いにライバルとしてのエピソードが

大変、面白かったです。三波さん、大物だったなぁ


三波伸介さんは、当時は国民的な人気者で、高視聴率番組の

笑点や、ヒットタジオなどの司会もしていた。

或る日、52歳で突然亡くなって驚いたけど、例え有名人でも亡くなったその後は

いつの間にか人の記憶から薄れ、忘れられていく・・・

その忘れられる速さは、あっけないほど速い。 

てんぷくトリオで、ただ一人生き残った伊東四朗さんは、いまや芸能界の重鎮。

結局、長生きした者の勝ちなんだな・・ と、思います。

当時、三波さんの司会の日曜夜の「お笑いオンステージ」は大河ドラマの前の番組で

家族で見ていました。減点ファミリーでは、三波さんの描く、似顔絵の上手さも感心した。

 

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