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日光駅からバスで霧降高原に出て、つつじヶ丘へ下る約3時間のハイキングコースを歩きました。このコースは、大山を登って下るコースと、川沿い歩くコースの2通りあり、私は、川沿いの道を歩きました。このコースは4つの滝をみることができます。
そこに、この道の歴史を知ることのできる祠がありました。その説明文には
「六方みねの石祠 この道は、古くから大笹峠を経て、日光と栗山をむすぶ間道で六方尾根や六方越えと称され、交易にも利用されました。この石祠はその歴史を今に伝える資料です。正面には『山戌日』『稲荷日』と刻まれ、いづれも享保二十年頃(一七三六)に増子善左衛門が安置しました。山道での安全と商売繁盛を願って祀ったと考えられます。かって、このあたりは『六方みね』と呼ばれていました。」
この説明文を読んで、すこし想像の世界が広がりました。大きな荷を背負った馬がこの道を進んでいく。今の道より、もっと広くて賑わった道だったかもしれません。
そこに、この道の歴史を知ることのできる祠がありました。その説明文には
「六方みねの石祠 この道は、古くから大笹峠を経て、日光と栗山をむすぶ間道で六方尾根や六方越えと称され、交易にも利用されました。この石祠はその歴史を今に伝える資料です。正面には『山戌日』『稲荷日』と刻まれ、いづれも享保二十年頃(一七三六)に増子善左衛門が安置しました。山道での安全と商売繁盛を願って祀ったと考えられます。かって、このあたりは『六方みね』と呼ばれていました。」
この説明文を読んで、すこし想像の世界が広がりました。大きな荷を背負った馬がこの道を進んでいく。今の道より、もっと広くて賑わった道だったかもしれません。
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