この秋に大阪から伊勢に引っ越して以来、私の主要交通手段が自転車になった。田舎では自動車抜きの生活は難しいと言うが、モータリゼーションに賛成できない私としては多少の犠牲を払っても自転車による移動を選ばざるを得ない。
自転車を常用するのは大学時代以来だが、当時は使っていなかったヘルメットを装着するようになった。ヘルメットを使うことが社会常識になっていることもあるが私の危機意識が変わったからだろう。事故はいつ起こるか分からないので被害を最小限にするためにヘルメットは必需品だ。
しかしヘルメットを被りながらいつも思う、事故を起こさなければヘルメットは無駄になる、と。事故が起こった時にしか役に立たないヘルメットなど無用の長物ではないか、それよりも事故を起こさないための安全運転のほうがずっと大切なのではないか、とも思う。しかし事故は自分で起こすものとは限らない。全く無過失でも巻き込まれることがあり得る。だから掛け金掛け捨ての保険だと思って諦めている。
戦争も似たようなものではないだろうか。進んで戦争を起こそうとしなくても攻められたら守らざるを得ない。現在、進んで戦争をしようとする野蛮な国は米・中・イスラエルなどほんの少しの国だけだろう。多くの国は攻められたら守る、あるいは攻められないための抑止力として軍隊を持っているのだろう。
軍備を拡充するとすぐに「軍国主義の復活」とヒステリックに騒ぐ人が内外にいる。確かに軍備は高くつく。もしヘルメットや家の鍵のように全く攻撃的でない防衛が可能なら是非それを選びたいとは思うが、そんな便利な方法は今のところ無い。軍隊は保険のようなものだ。使わずに済むことが最も望ましいが、最悪の場合にはそれに頼らざるを得ない。
自転車を常用するのは大学時代以来だが、当時は使っていなかったヘルメットを装着するようになった。ヘルメットを使うことが社会常識になっていることもあるが私の危機意識が変わったからだろう。事故はいつ起こるか分からないので被害を最小限にするためにヘルメットは必需品だ。
しかしヘルメットを被りながらいつも思う、事故を起こさなければヘルメットは無駄になる、と。事故が起こった時にしか役に立たないヘルメットなど無用の長物ではないか、それよりも事故を起こさないための安全運転のほうがずっと大切なのではないか、とも思う。しかし事故は自分で起こすものとは限らない。全く無過失でも巻き込まれることがあり得る。だから掛け金掛け捨ての保険だと思って諦めている。
戦争も似たようなものではないだろうか。進んで戦争を起こそうとしなくても攻められたら守らざるを得ない。現在、進んで戦争をしようとする野蛮な国は米・中・イスラエルなどほんの少しの国だけだろう。多くの国は攻められたら守る、あるいは攻められないための抑止力として軍隊を持っているのだろう。
軍備を拡充するとすぐに「軍国主義の復活」とヒステリックに騒ぐ人が内外にいる。確かに軍備は高くつく。もしヘルメットや家の鍵のように全く攻撃的でない防衛が可能なら是非それを選びたいとは思うが、そんな便利な方法は今のところ無い。軍隊は保険のようなものだ。使わずに済むことが最も望ましいが、最悪の場合にはそれに頼らざるを得ない。