俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

既存の施設

2012-12-16 10:56:52 | Weblog
 笹子トンネルは事故の起こった上り線だけではなく下り線でも多くの不具合が見つかった欠陥トンネルだ。しかしこれを廃止せよという議論は全く無い。補修工事をして騙し騙し使えば良いという方向でコンセンサスが得られているようだ。
 なぜ廃止しようとしないのか。作り直せば10年近い歳月と数百億円の費用が掛かるからだ。多少危険であろうとも使える施設なら使えば良い、怖くて通れない人は迂回をすれば済む、ということだろう。施設とはそんなものだろう。造った瞬間から老朽化が始まり、危険な状態になってから初めて取り壊される。
 原発はどうだろうか。今更新たな原発を作ることは不可能だが、既存の原発の内使える物は使ったら良い。施設も人もエネルギー源も揃っているのだからこれを使わないことは宝の持ち腐れとさえ言えよう。
 笹子トンネルは庶民が利用できる施設であり、これを使えないことは権利に対する侵害と捕らえられる。原発は電力会社だけが使う施設であり庶民にとっては縁遠い存在だ。だから安易に原発禁止が叫ばれる。しかし電気は国民の必需品だ。安価で安定した電気を使うことは国民の権利だろう。
 私は事故以前からの原発反対者だ。地震大国である日本に原発は危険過ぎると考えている。しかし既に作った施設を使うなとは言いたくない。作る前に断固反対して阻止すべきだ。作ってしまった施設はできるだけ有効に活用すべきだろう。今の日本の原発は事故以前と比べれば遥かに安全な状態になっており、廃炉になるまでに重大な事故を起こす可能性は殆んど無かろう。

危険性

2012-12-16 10:36:34 | Weblog
 笹子トンネルと原発はどちらが危険だろうか。事故の起こった上り線だけではなく下り線でも670箇所の不具合が見つかっているのだから欠陥トンネルだと思える。安全重視の風潮からすれば廃止という話が出ても良かろうと思うがそんな話は一向に耳にしない。
 原発の危険性はどの程度だろうか。昨年の事故は1,000年に一度と言える大地震によるものだから再び近いうちに起こる可能性は極めて低い。それなのに原発廃止論が強い。
 可能性だけで考えれば笹子トンネルのほうが原発よりも遥かに危険だ。それなのに原発のほうが危険だと見なされるのはなぜだろうか。笹子トンネルなら被害者はせいぜい数十人だが原発なら数十万・数百万人に被害が及ぶからだ。
 数学には「期待値」という概念がある。それは報酬×確率で算出される。例えば1億分の1の確率で1億円が当る籤の期待値は1円であり、100分の1の確率で1,000円が当る籤なら10円だ。期待値が10円の籤のほうが圧倒的に有利だ。
 危険性を測るには期待値を使う必要がある。それは事故が起こった時の被害にその可能性を掛けることによって算出できる。期待値という概念を使わなければ原発の存否は議論できない。原発存続派は、あと1,000年は安全だと主張し、反対派は、事故が起こったら重大な災害になると主張する。これでは議論は噛み合わない。危険性は「期待値」に基いて判定されるべきだろう。