俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

元気な老人

2012-12-07 10:23:53 | Weblog
 平日にスポーツ施設に行くと元気な老人が大勢いる。彼らは充分に働ける体力があるのに働いていない。このことを、老人を甘やかしていると考える人もいる。働ける人が働かないから日本の国力が低下したとも考えられる。
 実は私は現役時代に「第三新卒の雇用」を提案したことがある。有能な高齢者を低賃金で雇うことを提案して一部では実施された。しかし今では老人が低賃金で働くことを奨励したくない。日本の高齢者の賃金は不当に安い。最低賃金以下だ。これを容認する「シルバー人材センター」やボランティア制度こそ有害だ。趣味や暇潰しのために働かれては困る。若年層は生活のために働かねばならない。年金を受給している人が若年層の雇用機会を奪うべきではない。こんな低賃金労働者が増えたら現役世代の賃金が下げられてしまう。
 現代日本の問題は雇用不足だ。職が足りないから人が余ってしまう。遊んでいる老人が低賃金労働者になるのではなく起業家として雇用を創造できるのなら好ましいことだ。しかしそれは無理だ。老い先短い老人が今更、柿の種を蒔いて育てることなどできない。せいぜい桃か栗を育てることしかできない。しかしそれが可能なのは社会的地位を得て人脈も持っている一部の老人だけだ。
 むしろ若い起業家のパートナーとして雇用創出に貢献できないものだろうか。若い人は意欲はあっても経験が乏しい。若い経営者を補佐して堅実な経営を身に付けさせる、丁度昔の番頭と二代目経営者のような関係を築いて新規ビジネスを軌道に乗せることを高齢者の役割として期待したいものだ。雇用を創造できるのは若い力だ。高齢者がすべきことはそのアシストだ。

刑罰の意義

2012-12-07 09:51:15 | Weblog
 刑罰は様々な欲求に基いておりどれを重視するかによって見解は大きく異なる。刑罰の意味は①復讐の代行②一罰百戒③危険人物の社会からの追放④損失の補填⑤匡正⑥贖罪(禊ぎ)などだろうか。①~④は本音だろうが⑤と⑥は建前ではないだろうか。罰金ならともかく長期の懲役刑が匡正に繋がるとは思えない。
 5日に2児放置死事件の高裁判決があった。3歳と1歳の幼児を自宅マンションに閉じ込めて餓死させたとして25歳のシングルマザーに懲役30年の実刑判決が言い渡された。
 被告がたまたま私と同じ三重県出身・大阪就業ということもあり、私は妙に彼女に同情する。多分彼女は現実逃避的な性格で殺す意志は全く無かっただろう。遊び歩いて帰って来たら子供二人が死んでいたので驚いたというのが彼女の実感ではないだろうか。これを無罪だとは言わない。弁護側の主張する保護責任者遺棄致死罪が妥当だと思う。
 この裁判は一体何のためのものだろうか。少なくとも①ではない。2児を失くした被告こそ死んだ2児に次ぐ被害者だろう。養育費を払わなかった(だから彼女は風俗店で働かざるを得なかった)元夫に親権があるとは思えない。
 ②の一罰百戒には該当するだろう。真夏に車の中に子供を閉じ込めてパチンコに興じる親に対する警鐘とはなるだろう。但し閉じ込めることが必ずしも悪いこととは思えない。屋外に放置することも同じくらい危険だろう。
 この判決は匡正に繋がるだろうか。30年も服役すれば浦島太郎状態になってしまう。出所時には55歳になる彼女はかつてのように風俗店に勤めることもできず、再び犯罪者になるか野垂れ死にするかしか無かろう。
 もし2児が生き返るのであればどんな罰であろうと構わない。しかしそれは不可能だ。「正義」を貫くために不幸な人を増やすことにどんな意義があるのだろうか。