俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

妊娠中絶

2012-12-13 13:40:39 | Weblog
 私は妊娠中絶をそれほど悪いこととは思っていない。中絶は殺人と同じだと主張する人もいるが、中絶は文字通り「中途で絶つ」ことであり生まれた子供を殺すこととは違う。むしろ母体の健康のほうが気掛かりだ。
 もし中絶が殺人と同じなら人工授精時に行われる受精卵の選別も殺人だろう。受精卵はその時点で既に遺伝子が確定しているからだ。
 もっと極端なことを言えば排卵でさえ殺人になり得る。非受精の卵子を培養してクローンに育てることは多分近い将来可能になるだろう。それなら卵子の時点で生命体とさえ言えよう。
 妙な理屈を捏ねるのは「人間と胎児は同じではない」と言いたいからだ。同様に胎児は受精卵や卵子と同じではない。これは白・グレー・黒の関係と同じであって人間と卵子の間には無数の中間段階がある。
 無数の中間段階があるからどこかで線引きをせざるを得ない。妙なヒューマニズムを振り翳して胎児の人権などを主張するから矛盾に陥る。
 中絶の倫理を問う前に、なぜ母体の危険を冒してまで中絶する必要があるのかが問われるべきだろう。中絶せざるを得ないやむにやまれぬ事情があるからだ。高校生である、結婚できる可能性が無い、貧しくて育てられない、暴行による妊娠など様々な事情があり得るが、出産することによって母子共に不幸になるケースが大半だろう。それぞれの事情を放置しておいてわざわざ不幸な母子を新たに作ることが「正義」とは思えない。
 不幸は当事者だけに留まらない。「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)によると、1990年代にアメリカで犯罪が激減したのは1973年に中絶が合法化されたから、とのことだ。出産すべきでない環境で産まれた歓迎されない子供は劣悪な環境で育てられるために犯罪者になる可能性が高いようだ。中絶を認めることが犯罪被害者の減少にも繋がるのだから多少でも功利主義的な考えを持つなら中絶を認めざるを得ないだろう。

学力

2012-12-13 13:07:39 | Weblog
 11日に2011年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が発表された。文部科学省は、脱ゆとり教育の成果が現れて小4・中2の学力が向上したと見ているようだが全く楽観できない状況だ。「小4の算数・理科が過去最高点」という類の見出しを新聞各紙が掲げているがこの評価はまやかしでしかない。小4の参加国数を見ると2003年以降、25カ国・36カ国・50カ国と増加している。上位の常連のシンガポール・台湾・韓国・香港・日本の5カ国はほぼ毎回参加しているから、フィンランド以外の新たな参加国は殆んどがこの5カ国よりも学力の低い国だ。従って平均点は下がる可能性が高い。このことを補正せずに、全体の平均点が500点になるように調整すればどの国の相対的得点でもこれまでよりも高くなる。もし全体の得点ではなくシンガポール~日本の上位常連5カ国の平均点を基準にすれば、日本の得点はゆとり教育の見直しのきっかけとなった2003年と同程度の得点にしかならないだろう。今回の結果を本気で喜んでいるのなら文部科学省の役人の学力こそ問われるべきだろうし、文科省の発表を鵜呑みにするマスコミも同程度に阿呆だ、
 この資料には現れていないが日本人の学力にはそれ以外にも大きな問題がある。学力は通常、身長などと同様に正規分布する。つまり横軸に得点を、縦軸に人数を取ると平均値近辺が最も高く、それをピークにして左右になだらかな曲線を描く。ところが現在の日本人の学力は「ふたこぶラクダ」を描く。つまり平均点付近が抉れてその両隣に山ができる。これはどういうことだろうか?
 本来「中の中」の学力を得られる筈の者が中の下や下の上へとランクダウンしているからだ。では最大多数である「中の中」が落ち零れるのはなぜだろうか。努力しないからだ。普通に勉強すれば中の中になれる者が勉強しないから中の下や下の上に落ちている。社会において中流階級が重要であるように、学力も中の中の充実こそ望ましい。このドロップアウト集団が日本人の平均的学力を押し下げている。