私は妊娠中絶をそれほど悪いこととは思っていない。中絶は殺人と同じだと主張する人もいるが、中絶は文字通り「中途で絶つ」ことであり生まれた子供を殺すこととは違う。むしろ母体の健康のほうが気掛かりだ。
もし中絶が殺人と同じなら人工授精時に行われる受精卵の選別も殺人だろう。受精卵はその時点で既に遺伝子が確定しているからだ。
もっと極端なことを言えば排卵でさえ殺人になり得る。非受精の卵子を培養してクローンに育てることは多分近い将来可能になるだろう。それなら卵子の時点で生命体とさえ言えよう。
妙な理屈を捏ねるのは「人間と胎児は同じではない」と言いたいからだ。同様に胎児は受精卵や卵子と同じではない。これは白・グレー・黒の関係と同じであって人間と卵子の間には無数の中間段階がある。
無数の中間段階があるからどこかで線引きをせざるを得ない。妙なヒューマニズムを振り翳して胎児の人権などを主張するから矛盾に陥る。
中絶の倫理を問う前に、なぜ母体の危険を冒してまで中絶する必要があるのかが問われるべきだろう。中絶せざるを得ないやむにやまれぬ事情があるからだ。高校生である、結婚できる可能性が無い、貧しくて育てられない、暴行による妊娠など様々な事情があり得るが、出産することによって母子共に不幸になるケースが大半だろう。それぞれの事情を放置しておいてわざわざ不幸な母子を新たに作ることが「正義」とは思えない。
不幸は当事者だけに留まらない。「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)によると、1990年代にアメリカで犯罪が激減したのは1973年に中絶が合法化されたから、とのことだ。出産すべきでない環境で産まれた歓迎されない子供は劣悪な環境で育てられるために犯罪者になる可能性が高いようだ。中絶を認めることが犯罪被害者の減少にも繋がるのだから多少でも功利主義的な考えを持つなら中絶を認めざるを得ないだろう。
もし中絶が殺人と同じなら人工授精時に行われる受精卵の選別も殺人だろう。受精卵はその時点で既に遺伝子が確定しているからだ。
もっと極端なことを言えば排卵でさえ殺人になり得る。非受精の卵子を培養してクローンに育てることは多分近い将来可能になるだろう。それなら卵子の時点で生命体とさえ言えよう。
妙な理屈を捏ねるのは「人間と胎児は同じではない」と言いたいからだ。同様に胎児は受精卵や卵子と同じではない。これは白・グレー・黒の関係と同じであって人間と卵子の間には無数の中間段階がある。
無数の中間段階があるからどこかで線引きをせざるを得ない。妙なヒューマニズムを振り翳して胎児の人権などを主張するから矛盾に陥る。
中絶の倫理を問う前に、なぜ母体の危険を冒してまで中絶する必要があるのかが問われるべきだろう。中絶せざるを得ないやむにやまれぬ事情があるからだ。高校生である、結婚できる可能性が無い、貧しくて育てられない、暴行による妊娠など様々な事情があり得るが、出産することによって母子共に不幸になるケースが大半だろう。それぞれの事情を放置しておいてわざわざ不幸な母子を新たに作ることが「正義」とは思えない。
不幸は当事者だけに留まらない。「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)によると、1990年代にアメリカで犯罪が激減したのは1973年に中絶が合法化されたから、とのことだ。出産すべきでない環境で産まれた歓迎されない子供は劣悪な環境で育てられるために犯罪者になる可能性が高いようだ。中絶を認めることが犯罪被害者の減少にも繋がるのだから多少でも功利主義的な考えを持つなら中絶を認めざるを得ないだろう。