俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

世界に1つだけの花

2012-12-11 10:22:26 | Weblog
 正直な話、私はジャニーズ事務所の歌手が大嫌いだ。まずジャニーズが嫌いだった。見てくればかりのヘタクソ歌手だったからだ。フォーリーブスはフォーリー「ブス」とブスを強調して呼んだ。SMAPはワザと間違えてSWAPと呼んだ。
 しかし「世界に1つだけの花」を聞いて初めてジャニーズ事務所の歌手の歌を評価した。ところが何度か聞いていると鼻に付き始めた。「世界に1つだけの花」が「1人1人違う種を持」っているなら受精できない。自家受粉しなければ子孫を残せなくなってしまう。愛を称える歌の筈なのに孤立へと追い込まれることになってしまう。なぜこんな矛盾に陥るのだろうかと考えていると突然とんでもないイメージが浮かんだ。
 花屋ではなく八百屋の店先で野菜が自己主張を始める。まずカボチャが言った「俺はカボチャ様だ。」するとダイコンが言った「私こそ女王様よ。」そしてニンニクが言った「ワシが王様だ。」要するに平凡な野菜がオンリーワンを主張するだけの低レベルな世界だ。
 個性の強い人は他者と違うことに悩む。なんとか他者と価値観を共有したいというのが彼らの思いだ。一方、凡庸な人は独自性を主張したがる。しかし残念ながら彼らの独自性は誤りにおいてのみ発揮される。2+3=7と主張してそれを独自性だと思い込んでいる。彼らは個性を主張するよりもまともになることを目標とすべきだろう。
 オンリーワンという言葉で凡庸な人に迎合しようとする姿勢は宗教に似ている。偽りの価値をバラ蒔こうとするから矛盾に陥るのだろう。

一元論

2012-12-11 09:55:47 | Weblog
 赤い物を赤くないようにしようとしたらどうするだろうか。赤を幾ら減らしても薄い赤にしかならない。郵便ポストなら青や黒などのペンキで上塗りすることがベストだろう。
 交感神経が効き過ぎている時、人体は交感神経の働きを抑制するだけではなく、それとは全く違った機能を担う副交感神経を働かせる。
 Aが問題である時にAを減らすだけでは効果は乏しい。Aとは違った特性を持つBを導入することが望ましい。Aをやめろ、Aを減らせ、という主張は幼稚な一元論だ。解決には繋がらない。
 原発が危険なら原発に代わる物を用意せねばならない。それを怠って反原発や脱原発だけを主張するのは、阿呆の票を狙うポピュリズムであり典型的な衆愚政治だ。原発を否定するなら同時に新旧の代替エネルギーを具体的に提案すべきだろう。反原発だけを主張する政党の支持率が低いのは政治家よりは国民のほうが賢いという証拠だろう。
 政治は右と左のバランスに基く。日本の場合、右は資本主義であり左は社会主義・共産主義だろう。社会主義・共産主義国家が崩壊した今、左翼は理論的バックボーンを失ったのだろうか。そんなことは無かろう。社会民主主義がある。ヨーロッパでは主流の左翼だ。なぜ日本ではこれが正当に評価されないのだろうか。労組を大きな支持基盤とする民主党は「中道」という訳の分からない立場ではなくこれを積極的に主張すべきだろう。思想レベルでの対決を怠っているから政治が低レベルに留まっているとさえ思える。
 赤を消すために青や黒を使うように、問題解決のためには対案を提示する必要がある。赤を減らせとしか主張できない政治家の知能レベルはかなり低い。私の本音は多元論だが、最低である一元論と比べれば二元論のほうが遥かに建設的だ。