俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

過保護

2013-06-03 09:24:28 | Weblog
 日本のマスコミが知っていても絶対に言わないことだが、日本の米は異常に高い。世界でズバ抜けて高いのだから国民の米離れが起こるのは当然のことであり、政・官・マスコミがグルになってこの流れを止めようとしても無理だ。騙されない国民は決して少なくない。
 海外旅行が自由化させるまでは特定の人しか外国に行けなかった。今では金さえあれば誰でも行ける。すると嫌でも分かる、外国の米が結構美味しくて呆れるほど安いということが。
 なぜ日本の米は駄目になったのか。農地改革の弊害で生まれた大量の小規模農家を保護する政策のせいだ。これが長期的なヴィジョンを持った政策で、就業の安定を守りつつ産業構造の変化に対応するものなら必要だっただろう。しかしただの延命策だった。これは大規模小売店舗法によって保護された零細小売店と同じ構造だ。治療ではなく延命策だったから世代交代の時点で矛盾が露呈した。
 過保護された零細小売店は住民の不便など省みず勝手に閉店する。商店街はシャッター街と化する。過保護された小規模農家は耕作放棄をして遊休地にする。この両者は全く同じ構造だ。
 政治家にとって水田は票田であり小売店は票売店だったから過保護されたに過ぎない。既得権益と票のバーター取引だ。過保護児が駄目になるように小規模農家も零細小売店も自助努力を怠ったから衰退した。
 現在の課題は小規模農家が耕作放棄をした遊休地と零細小売店が見捨てた商店跡の活性化だろう。かつての農林省と通産省による悪政のツケを放置する訳には行かない。

自由競争

2013-06-03 08:59:07 | Weblog
 自由に競争した場合、決して優勝劣敗・弱肉強食になる訳ではない。日本では競争と言えばすぐに100m走のようなものをイメージし勝ちだが、動物界であれ人間界であれ、必ず棲み分けが起こる。水中に生きる者、地中に生きる者、地上に生きる者、更には他の動物の体内に生きる者まで現れる。
 小売業であれば、安さを追求すればディスカウントストアやスーパー、便利さならコンビニ、高額品なら専門店や百貨店というふうに棲み分けになる。1つの業態が他を席捲することは無い。
 駄目な社会は不自由な競争社会だ。皆が東大の法科を目指せば特定の能力だけしか評価されなくなる。理系や芸術系など様々な価値観があって然るべきだ。一元的な価値観は人間を同質化してその結果として人類を劣化させる。
 高校進学率が90%以上というのも困った傾向だ。義務教育期間は終わっているのだから様々な選択肢があって良いと思う。ミュージシャンやスポーツ選手や料理人などになるなら高校に行く必要など無かろう。勉強をしたくない者まで高校に進学させるから学校とは言い難い妙な高校ができる。猫も杓子も高校進学をする時代だからこそ敢えて行かないという選択肢があっても良かろう。
 興味深い事例がある。スキージャンプの高梨沙羅選手だ。彼女は高校1年の8月に高卒認定試験に合格した。これで高校を卒業しなくても2年後には大学を受験できるし進学しないことも選べる。他人が3年間かけて取得する高卒の資格をたった4ヶ月で得れば、高校に通わずに競技生活を続けられる。これは早熟の天才が才能を伸ばすためには最適の環境だ。誰にでもできることではないが、こんな選択肢もあり得る。