俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

不磨の大典

2013-06-04 11:00:09 | Weblog
 日本国憲法を不磨の大典と考えている人がいるようだ。この人達の意識構造は戦前のままなのだろうか。戦前だからという理由で否定する気は無いが、余りにも硬直化した意識は特別天然記念物かシーラカンスかと思う。
 聖書やコーランなら神様から与えられた真理とされているのだからおいそれとは変更できまいが、日本国憲法は人間が作ったものだから何らかの不具合があっても当然だ。不具合を放置せよとはどういう意味だろうか。
 文面を変えずに解釈を変えれば良い、と考える人もいる。この人達はそのことの危険性を感じないのだろうか。解釈によって変えられるのならその時々の権力者が好き勝手に解釈して骨抜きにしてしまう。憲法9条が典型例だ。そうさせないためにも明文化する必要がある。
 因みに私は自衛隊は違憲だと思っている。今更軍備放棄などできないから、違憲状態を黙認するか、憲法を変えるかの二者択一になるだろう。この場合、改憲のほうが安全だ。そうしなければ済し崩しにされて歯止めが効かなくなってしまうからだ。 
 ドイツは戦後だけで59回も改憲しているそうだ。このことによってドイツは危険な国に変わっただろうか。私は現代ドイツこそ世界で最も正常な国だと思っている。最近、英国のBBCが行った国際アンケートでも「最も良い影響力を持つ国」にドイツが選ばれている。
 現実とルールに矛盾があるなら、ルールに基いて現実を改めるか、現実に基いてルールを変えるかのどちらかしかあり得ない。どちらも変えずに超法規的措置を認めるということが、権力者に民意を無視した恣意的な国家運営を委ねることになると気付かないのだろうか。

仮説

2013-06-04 10:16:23 | Weblog
 科学は適切な仮説とその検証によって成り立っている。検証を怠った仮設などオカルトにも等しい。
 ところが「地震は活断層で起こる」という仮説を検証しようとさえしない似非科学者達がいる。彼らは100ほどの断層を活断層と指定して「次の地震はここで起こる」と主張し続けている。しかし未だかつて彼らが活断層と指摘した断層は1度も動いていない。それどころか地震が起こる度に「未知の活断層が動いた」と取り繕う始末だ。もし未知の活断層が無数にあるのなら活断層の指定など無意味だ。彼らは反証例までも仮説の証明として使おうとするほど恥知らずだ。更にはコンクリート柱を活断層だと発表するほどの無知ぶりまで曝け出す始末だ。もし彼らに科学者としての良心があるのなら、定義さえいい加減な活断層という仮説で世間を惑わせることを一刻も早くやめて貰いたいものだ。誤った仮設は無益なだけではなく明確に有害だ。
 誤った仮設が招いた惨事として文豪・森鴎外(本名:森林太郎)の失敗から学ぶべきだろう。彼は文筆家であると同時に陸軍省医務局長でもあった。彼は医師として大変な間違いを犯して約27,000人の兵士を死に至らしめたと言われている。それは脚気を感染症とする仮説を信じ続けたためだ。今では脚気はビタミンBの欠乏症だと分かっているが、当時はまだビタミンの存在は知られておらず、感染症と信じて対応したために被害が拡大した。一方、海軍では脚気は広まらなかった。
 なぜこんなことになったのか。陸軍では白米を食べ、海軍では麦飯を食べていたからだ。当時の意識では白米はご馳走で麦飯は粗食とされていたから、温情がアダとなったとも言えよう。
 文型・理系の双方の学問に通じた森がこんな大失敗を犯すとは俄かには信じ難い話だが、これが誤った仮設の恐ろしさだ。現代でも、エイズが当初は男性同性愛者特有の奇病と誤解されたために対応が遅れたように、その危険性は決して過去のことではない。
 科学とは仮説の検証であり、それを怠れば却って被害を拡大しかねない諸刃の剣だ。その意味で、仮説の検証を怠る傲慢な態度は早急に改めねばならない、