俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

養老放棄(2)

2013-06-18 10:28:59 | Weblog
 現役時代は、田舎に住む母を扶養親族に登録して毎月銀行振込で仕送りをしていた。退職後は現金を直接手渡すようになった。ふと、とんでもないことを思い付いた。私が扶養をせず母に生活保護を受けさせたらどうなるだろうか。
 現状は毎月、大体次のとおり。
 ○私  扶養控除1,000円  仕送り50,000円  合計△49,000円
 ○母  年金50,000円    仕送り50,000円  合計100,000円
 一方、母が50,000円の生活保護を受けたらこうなる。
 ○私  扶養控除0円  
 ○母  年金50,000円    生活保護費50,000円  合計100,000円
 これなら母の生活は全く同じままで私の負担が減って公費支出が49,000円増える(生活保護費50,000円ー扶養控除1,000円)。更に医療費まで無料になる。私とて鬼ではないので幾らかを小遣いとして渡すとしても現状よりも負担は小さくなる。
 こんなことをしている人が決して少なくないのではないだろうか。せっかく国が金を出すと言うのだから国民として受給する権利がある。それどころか権利を行使しない人こそ無知蒙昧であるとさえ言えよう。生活保護を受ければダブルインカムやトリプルインカムまで可能になる。
 私自身がこんなことをしようとは思わないし他人に勧める気も無い。しかしこんな方法を使う人を咎めることもできない。親の扶養が子の義務とはされていないので合法だからだ。生活保護を受けている老人の少なからずが、そのほうが得だからという理由で子による扶養を受けていないのではないだろうか。一時期問題になった公務員の親の生活保護費受給率の高さはこの実例ではないだろうか。
 こんな妙なことになるのは扶養控除が少な過ぎることも一因だろう。私は基本的には控除を増やして給付は減らすべきだと考えている。子ども手当てなど無くして扶養控除を充実させるべきだと考えている。そうしないと正直者が馬鹿を見る変な社会になると思う。
 なお、4月19日付けの「養老放棄」ではこんな裏技ではなく、社会問題として捕らえているので参照して欲しい。

WhyとHow

2013-06-18 09:55:36 | Weblog
 Whyと問わない人が増え続けている。その一因は皮肉なことに科学技術の進歩だろう。身近にある情報機器はすっかりブラックボックス化しているので「なぜ」と問わずに「どう」使うかだけを知れば事足りる。
 しかしWhyは本当に不必要だろうか。「なぜ」を問わなければ因果関係と相関関係が混同されて迷信が罷り通ることにもなりかねない。
 平成21年に文部科学省が、朝食を食べないと学力も運動能力も低下すると発表した。悪習を勧めている訳ではないので目クジラを立てる必要は無いが、朝食さえ食べれば成績が上がるのかと問うなら疑問が生じる。なぜ朝食を食べないのかが問われるべきだろう。
 色々考えられる。貧しくて食費を削らざるを得ない、深夜までゲームで遊んでいるので朝起きにくい、食欲そのものが無い、等々。朝食を食べない原因にまで踏み込まないと正しい対策は立てられない。
 戦後のテレビの普及率と平均寿命の延びは見事な相関関係になっている。だからと言ってテレビを見ていれば寿命が延びるという訳ではないし、多分テレビばかり見ている老人は認知症に罹る可能性が高まるので却って寿命を縮めることになるだろう。これはテレビを買える生活レベルになったから寿命が延びたと考えるべきだろう。こんな類の実例は嫌になるほど多い。
 国立がん研究センターは1990年以来、生活習慣についての膨大な量のアンケートを実施してその追跡調査に基いて様々な発表をしているが、残念ながら踏み込みが浅いので眉唾物が多い。これは因果と相関を混同しているからだ。
 怪しげな健康情報に騙されないためにも、可能な範囲でWhyを問う必要がある。現代がWhyを問わない時代だけに、周囲に流されないためにもWhyと問うことを怠るべきではない。