俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

採用試験

2013-06-08 14:25:09 | Weblog
 企業は「個性的な人材が欲しい」と言う。しかし実際に選ばれるのは無難な人だ。そうなる理由は2つあり、このことを理解するためには選ぶ側の立場に立って考える必要がある。
 二者択一なら大博打もあり得るが、多くの選択肢がある場合、人は長所の多い物よりも短所の少ない物を選ぶ。このことは行動経済学の定説だ。この傾向は家電であれ食品であれ同じだ。店頭に並ぶ商品で最初に対象外にされるのは傷のある商品だ。性能が良いか、あるいは美味しいかは使ってみなければ分からないが、傷の有無は一目瞭然だ。傷だけではなくまず欠点のある物を排除することが多い。これと同じ理屈で、優秀な人よりも欠点の少ない人が選ばれる。
 もう1つの理由は採用担当者の保身だ。長所も欠点もある新入社員の場合、長所はなかなか周囲から理解されず、先に目に留まるのは欠点だ。長所が評価されるのは欠点が見つかるよりもずっと遅いので、仮に彼が能力を発揮しても社内で育ったと見なされてしまう。これでは採用担当者としては面白くない。だから配属早々から使えそうな人を優先することになる。その一方で、どんなに優秀な人を落としてもそのことは誰にも分からない。毒のある天才を落としてもバレないのだから、当然、そのことによって非難されることは無い。そもそも社内で評価されるのは採用された社員だけであり、採用されなかった社員については誰も評価できない。
 こんな事情だから就職活動においては、無難な人間を演じるほうが有利だ。だから個性が無いと言われようとも全員が紺のスーツを着て就活に励む。

朝日新聞の詭弁

2013-06-08 13:44:25 | Weblog
 昨日(7日)の朝日新聞の「記者有論」に上丸洋一編集委員による「従軍慰安婦 強制連行はなかったのか」という記事が掲載された。その結びは皮肉なことに「正視に堪えぬ歴史をこそ、正視しなければならない。」だった。この言葉をそのまま朝日新聞社に突き返したい。吉田某によるデタラメ(6月7日付け「玉虫色」参照)を掲載して日韓関係を悪化させた張本人という社の負の歴史を正視して貰いたい。
 この記事は吉田某には全く触れていない。不可解な話だが、かつて従軍慰安婦問題を提起した記事を無視して新しい根拠を3つ挙げている。吉田某に触れることは墓穴を掘ることになると判断したのだろうか?
 1つは慰安所の「親父」による証言だ。「無理やりに連れて来る様にして連れて来た」とのことだ。これを根拠にして「強制連行はあった」としている。「連れて来る様に」は強制連行を意味するとは限らない。「ボーナスを弾んで」でも「様に」に含まれる。
 2つ目は石原元官房副長官の発言の「意に反して慰安婦になった人たちがいる」だ。なぜこれが強制連行の証拠になるのか全く理解できない。意に反して慰安婦や売春婦になった人など大勢いるだろう。筆者は皆が喜んで売春婦になったと信じるほど脳天気なのだろうか。(3つ目の根拠についてはその本をまだ入手いないのでコメントしない。)
 極め付けはこれだ。「文書の不在は、そのまま事実の不在を意味しない。」これは詭弁そのものだ。5月16日付けの「証明責任」でも書いたとおり、証明責任は「ある」とする側にある。「ある」と証明できなければ「無い」と考えるのが正当であり、これは証拠が無いことに対する開き直りとしか考えられない。厚顔無恥ここに極まれり!
 私は決して朝日新聞が嫌いな訳ではない。今でも購読しており、一番マシな新聞だと思っている。それだけに過去の中国・韓国に関する誤報を率直に認めた上で、読者の期待に応える良き情報源であって欲しいと思う。悪しき先輩による悪事を糊塗することなく断罪して、正しい報道機関としての道を歩んで欲しいと切望する。
 (朝日新聞の記事はコメント欄から参照してください。)