政治家は投票によって選ばれる。従って有権者は政治家との連帯責任がある。選ばれた側に責任があるのと同様、選んだ側にも責任がある。だから国民は主権者としての1票を貴重なものと考えねばならない・・・・。
こんなのは欺瞞だ!「私」が選んだのではなく私以外の人々が選んだのではないか。確かに「私」は1票を投じている。しかし「私」が投票しなくても結果は同じだ。せいぜいある候補者の得票数が10万票から10万1票に変わるだけのことだ。
こんな寓話がある。道に塩を撒いている男がいた。何をしているのかと尋ねると「ワニを追い払っている」と答えた。ワニなんか1匹もいないことを指摘すると「私が塩を撒いているからワニが来ないのだ」と言った。個人の投票などこの塩撒きと同じようなものではないだろうか。あるいは「地球の自転を狂わせないために」極力静かに歩くようなものではないだろうか。本人が有効と思っているだけだ。
少なくともここ数十年、国政レベルでの選挙で1票差で当選した候補者はいない。ということは「私」の1票で当選した人など一人もいないということだ。当選者を決めるのは「私」ではない。私以外の「他人」だ。他人が選んだ政治家になぜ「私」が責任を持たされねばならないのか。
有権者には政治家を選ぶ権利が与えられている。しかしそれは形式に過ぎない。決めるのは「私」以外の人々だ。「私」は見物人か野次馬に過ぎない。最末端の共犯者に加えられているだけであり、到底、主権者とは言えない。
投票なんて他人が殺した死体に更に1刺しさせられるようなものだ。「私」が刺した時点で被害者は既に死んでいる。こんなことで共犯者にされるなど真っ平ご免だ。選んだのは私以外の「他人」であって「私」ではない。
こんなのは欺瞞だ!「私」が選んだのではなく私以外の人々が選んだのではないか。確かに「私」は1票を投じている。しかし「私」が投票しなくても結果は同じだ。せいぜいある候補者の得票数が10万票から10万1票に変わるだけのことだ。
こんな寓話がある。道に塩を撒いている男がいた。何をしているのかと尋ねると「ワニを追い払っている」と答えた。ワニなんか1匹もいないことを指摘すると「私が塩を撒いているからワニが来ないのだ」と言った。個人の投票などこの塩撒きと同じようなものではないだろうか。あるいは「地球の自転を狂わせないために」極力静かに歩くようなものではないだろうか。本人が有効と思っているだけだ。
少なくともここ数十年、国政レベルでの選挙で1票差で当選した候補者はいない。ということは「私」の1票で当選した人など一人もいないということだ。当選者を決めるのは「私」ではない。私以外の「他人」だ。他人が選んだ政治家になぜ「私」が責任を持たされねばならないのか。
有権者には政治家を選ぶ権利が与えられている。しかしそれは形式に過ぎない。決めるのは「私」以外の人々だ。「私」は見物人か野次馬に過ぎない。最末端の共犯者に加えられているだけであり、到底、主権者とは言えない。
投票なんて他人が殺した死体に更に1刺しさせられるようなものだ。「私」が刺した時点で被害者は既に死んでいる。こんなことで共犯者にされるなど真っ平ご免だ。選んだのは私以外の「他人」であって「私」ではない。