俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

選んだ責任

2013-06-14 10:05:45 | Weblog
 政治家は投票によって選ばれる。従って有権者は政治家との連帯責任がある。選ばれた側に責任があるのと同様、選んだ側にも責任がある。だから国民は主権者としての1票を貴重なものと考えねばならない・・・・。
 こんなのは欺瞞だ!「私」が選んだのではなく私以外の人々が選んだのではないか。確かに「私」は1票を投じている。しかし「私」が投票しなくても結果は同じだ。せいぜいある候補者の得票数が10万票から10万1票に変わるだけのことだ。
 こんな寓話がある。道に塩を撒いている男がいた。何をしているのかと尋ねると「ワニを追い払っている」と答えた。ワニなんか1匹もいないことを指摘すると「私が塩を撒いているからワニが来ないのだ」と言った。個人の投票などこの塩撒きと同じようなものではないだろうか。あるいは「地球の自転を狂わせないために」極力静かに歩くようなものではないだろうか。本人が有効と思っているだけだ。
 少なくともここ数十年、国政レベルでの選挙で1票差で当選した候補者はいない。ということは「私」の1票で当選した人など一人もいないということだ。当選者を決めるのは「私」ではない。私以外の「他人」だ。他人が選んだ政治家になぜ「私」が責任を持たされねばならないのか。
 有権者には政治家を選ぶ権利が与えられている。しかしそれは形式に過ぎない。決めるのは「私」以外の人々だ。「私」は見物人か野次馬に過ぎない。最末端の共犯者に加えられているだけであり、到底、主権者とは言えない。
 投票なんて他人が殺した死体に更に1刺しさせられるようなものだ。「私」が刺した時点で被害者は既に死んでいる。こんなことで共犯者にされるなど真っ平ご免だ。選んだのは私以外の「他人」であって「私」ではない。

死亡率半減

2013-06-14 09:35:37 | Weblog
 新しい治療法によって死亡率2%が1%に減った場合、死亡率が半減したと単純に喜んで良いものだろうか。死者ではなく死ななかった人に注目すれば、98%から99%へとたった1%増えただけだ。つまり99%の人には効果が無く1%にだけ効果があったと見なせるのではないだろうか。もう少し詳しく説明するなら、1%の人はその治療を施しても死に、1%だけが助かり、98%についてはその治療があっても無くても同じ、ということだ。結局のところ、効果があるのはたった1%で、99%の人にとっては効果も無いのにその副作用に苦しめられる可能性が生じるということだ。それが注射であれば、99%の人にとっては注射の痛みと副作用の危険性を負担させられるだけであり、1%だけが命を救われるということだ。
 インフルエンザについて考えてみよう。今でも最悪のインフルエンザとして語り継がれているスペイン風邪でさえ死亡率は2~3%に過ぎず、通常のインフルエンザなら0,05%程度らしい。スペイン風邪による死亡率半減ならほぼ上記のシミュレーションと一致する。一般のインフルエンザなら死亡率を半減したところで僅か0.025%減るだけだ。残りの99.975%の人の生死には全く影響しない。これでは副作用のデメリットのほうが遥かに大きいのではないだろうか。実際、スペイン風邪では、現在ではインフルエンザの治療に使うことが禁じられているアスピリンを投与したことによって却って死亡率を高めたとさえ言われている。
 治療効果の光の部分だけではなく影にも注目する必要がある。このことは薬だけではなく手術の有効性についても検証すべきだろう。