俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

統計

2013-05-23 14:45:05 | Weblog
 国立がん研究センターが「(男性では肉類の)摂取量が最も少ないグループに比べ、最も多い群では糖尿病のリスクが1.36倍高い」と発表した。この組織は私の知る限りではこの半年間に4回研究発表をしている。
 1回目は昨年の12月で「清涼飲料水を毎日飲む女性は脳梗塞の危険が1.8倍になる」というものだった。
 2回目は今年の3月で「肉や乳製品を多く取ると脳卒中のリスクが下がる一方、心筋梗塞を発症しやすくなる」だった。
 3回目も3月で「緑茶やコーヒーをよく飲む人は脳卒中になるリスクが下がる」だった。
 国立がん研究センターは約6万人を対象にして長期的にアンケートを行っており、貴重なデータだけに安易な発表は慎んで貰いたいと思う。特に1回目の発表は酷かった。「脳梗塞が1.8倍」だけが発表されたがデータを調べてみたら脳卒中は0.7倍になっていた。(詳しくは24年12月27日付け「デマ」参照)
 統計処理では単なる相関が因果と間違えられ易い。よく知られている話だが、日本人の平均寿命の推移とテレビの普及率のグラフはぴったりと重なる。このデータから「テレビが寿命を伸ばした」と考えるのは間違いで「テレビが買えるほど豊かになったから寿命が伸びた」と分析するべきだろう。
 今回の発表の最大の欠陥は総カロリーが無視されていることだ。糖尿病に罹る危険因子は肉類よりもむしろ総カロリーだろう。つまり高カロリーの肉類を多く摂取すれば総カロリーが増えて糖尿病に罹り易くなると分析すべきではないだろうか。
 私がこう考えるのは、同じ資料で、女性は肉類摂取が多いほど糖尿病に罹りにくくなっているからだ。ダイエットに関心がありカロリー摂取量に敏感な女性は総カロリーをコントロールするから男性とは全く逆の結果になったと推定できる。
 統計データは重要なだけに、相関を因果と見なす誤った情報発信はやめて欲しいと思う。

買ってはいけない

2013-05-23 14:15:04 | Weblog
 昔「買ってはいけない」というくだらない本がベストセラーになった。食品添加物などを安全基準の百倍も千倍も投与して実験動物に異常が現れたら「有害だ!」と騒ぐというトンデモナイ内容の本だった。安全基準の数十倍を投与して異常が出なければ百倍・千倍と異常が現れるまで増やすという動物虐待とも思える酷い内容の本だ。安全基準の数十倍を投与しても異常が無ければその安全性が証明されたと考えるのが普通だと思うのだが、この本のスタッフは異常反応が現れるまで量を増やし続けていた。
 タイトルの巧みさもあって、この本が売れたことは画期的な出来事だった。科学を装ったデタラメ本が売れるということが分かったからその後、ダイオキシンとかコゲとか環境ホルモンとかいった空騒ぎへと繋がった。発癌性物質の大半や地球温暖化騒動もこの一連の流れだ。
 今、買ってはいけない物を1つだけ挙げるなら宝くじだ。これは配当率が50%にも満たない世界最低のギャンブルであり、国とマスコミがグルになって阿呆から金を騙し取ろうとする、認知症老人に対する詐欺と同じくらい悪質な事業だからだ。もしチャンスがあれば「世界最低のギャンブル」としてギネスブックに申請したいとも思っている。
 これと比べれば今日(23日)、外れ馬券を経費と認める判決のあった競馬のほうがずっとマシだ。配当率は75%ある。しかし25%もテラ銭を取っておいて更に所得税まで徴収するとは国は本当に強欲だ。

勝てば官軍

2013-05-22 09:57:46 | Weblog
 「勝てば官軍」という言葉は「力こそ正義だ」という意味ではない。むしろ勝って驕る人に対する侮蔑を感じさせる言葉だ。戊辰戦争や西南戦争で敗れた会津や薩摩は「負けたから賊軍」の筈だが彼らを悪と考える人は殆どいない。「平家物語」にしても「悪いから滅びた」という史観ではなく亡びの哀しさがテーマとも思える。判官贔屓の語源でもある源九郎判官義経に対する思い入れに至っては贔屓の引き倒しではないかとさえ思える。
 敗れた者に日本人は優しい。それは戦争による決着の理不尽さを知っているからだろう。これは口喧嘩の決着を腕力に頼るような野蛮な行為であり正義とは全く懸け離れている。
 これほど敗者に理解を示す日本人だが第二次世界大戦の敗者に対しては徹底的に差別する。ヒットラーやムッソリーニや日本軍は悪の権化として扱うことが義務付けられている。これは日本人の美徳にはそぐわない。
 当時はABCD包囲網という言葉が使われていた。つまり米英中とオランダによって日本が追い詰められているという認識だ。戦争以外に選択肢は無かったのかも知れないが、中国と戦っている最中に更に米英オランダと戦うのは全く無茶な話だ。これは窮鼠が猫を噛まさせられたとしか考えられない。
 日本の戦争を肯定しようとは思わない。しかし10の内3ぐらいは「理」があったのではないだろうか。それを全否定して、アメリカによって押し付けられた歴史を無批判に受け入れ続けることは断固拒否したい。少なくとも広島・長崎に対する原爆投下は人類史上最大級の無差別大量虐殺であり絶対に認められない。是々非々の姿勢を持つべきだ。

待機0

2013-05-22 09:28:17 | Weblog
 横浜市が「保育所待機児童数が0になった」と発表した。マスコミはこれを好意的に報じているが、典型的な無駄遣いではないだろうか。
 0や100点を目標にすれば多くの無駄や不合理が発生する。例えば交通事故を0にしようとすれば道路はマヒするだろうし、放射線量を0にしようとすれば鉛の箱の中に閉じ籠るしかない。
 飲食店を考えれば分かり易いが、機会損失0はナンセンスだ。ビジネス街で昼食時に順番待ちの列ができないのは余程駄目な店だけだ。ピーク時でさえ客が溢れない店はピーク時以外には閑古鳥が鳴き続けているだろう。
 実際に横浜市の場合、認可保育所580ヶ所の内253ヶ所で空きが生じ、2,096人が欠員となっているそうだ。明らかに作り過ぎだ。待機児童0は異常な状態であり、常に数人が順番待ちをしているほうが健全な状態だろう。
 0を目標にすると多大な無駄が発生する。民間企業の場合なら費用対効果を考えるので歯止めが掛かるが、お役所は0という数値目標が唯一の指針となって形振り構わず猪突猛進してしまう。役人以上に政治家は人気稼ぎのために経済合理性を無視して話題作りに励む。3年前に1,552人だった待機児童の解消のために370億円も注ぎ込んでいるらしい。一人当たりにすれば2,000万円以上だ。もし0ではなく100人を目標にしていればこの1/10で済んでいただろう。これはポピュリズムと言わざるを得ない。
 マスコミはこんな暴走を監視すべきなのに、それに乗せられて絶賛するとは意識が低過ぎる。

確率論

2013-05-20 10:00:09 | Weblog
 ランダムに起こっていると思われることでもよく調べれば法則性が見つかる。サイコロがその典型例であり「出たら目」の筈でありながら集計すれば各々の目の確率は1/6になる。これは「大数の法則」と呼ばれている。
 但しこの法則が成り立つのはマクロとして捕らえた場合であり個々の試行がこの法則に従う訳ではない。例えば5回続けて他の目ばかりが出たからと言って次に特定の目が出る確率が高まる訳ではなく、どの目が出る確率も常に1/6だ。
 航空機事故による死亡率は25億㎞当たり1人らしいが決してたまたま25億㎞目に当たる飛行が危険な訳ではない。
 余談だが、自動車事故による死亡者数は日本では大体1億㎞当たり1人で、意外なことに先進国では平均的な数値だ。これは米国などと比べて対歩行者・対自転車の死亡事故が多いことが原因と考えられる。
 地震予知ができると主張する似非学者は確率論を勉強する必要がある。この地域は100年に1回、あの地域は1000年に1回地震が起こるということだけを根拠にして「そろそろ地震が起こる」と警告するが、これはサイコロの目が7回目には同じ目が出ると信じる無知な人と同じレベルの間違いだ。
 サイコロの目さえ予測できない現代文明に地震予知などできる筈が無い。できないことをできると言って研究費を得ようとするのは詐欺にも等しい。こんな無駄遣いを避けるためにも、政治家も官僚も確率論を勉強すべきだ。

翻訳

2013-05-20 09:26:12 | Weblog
 今回の橋下市長に関するトラブルで、翻訳の難しさを改めて思い知らされた。異なった文化と言語を持つ人に言葉だけで意思を伝えることは至難の業だ。
 日本語は語彙が豊富だ。それは表意文字である漢字の造語力が高いからだ。漢字をいじればかなり微妙なニュアンスまで伝えることができる。「感字」という表記が可能なのは日本語ならではのことだろう。
 しかも日本語では曖昧表現が多い。これは狭い島国なので文化が共有されているからだ。敢えて露骨な言葉を使わなくても真意は充分に伝わる。
 朝鮮戦争の時にマリリン・モンローが慰問のために韓国の米軍基地を訪れた。日本語では「慰問」と「慰安」を使い分けることができるが英語ではどちらもcomfortだ。だからマリリン・モンローを「慰安婦」と呼んでも間違いではない。実際、大戦中には多くの「映画スタア」が満州などを「慰安」のために訪れたそうだ。
 40歳を過ぎてから「和文和訳」という言葉を知った。一流の進学校では英文和訳のテクニックとして教えているらしい。つまりいきなり日本文を英訳しようとせずにまず英語に変え易い日本文に変えるというテクニックだ。
 忘れられない経験がある。大学入試で長文の英訳問題がありその中に「新幹線」という言葉があってハタと困り果ててしまった。苦し紛れにnew-main-railwayと訳したがsuper-expressが正解だったようだ。
 差別とか格差といった予め価値判断を含んだ言葉を英訳しようとして困り果てる人は少なくなかろう。

誤訳

2013-05-18 10:15:19 | Weblog
 橋下市長が最も言いたかったのは「日本に関するデマを修正せねばならない」ということだったと思う。それを曲解する人が大勢いることは想定内だっただろう。しかし海外から集中攻撃を受けることは予想していなかったと思う。どこに誤算があったのか。
 私も今回の騒動で初めて知ったことだが「慰安婦」という言葉は自動的にsex slaves(性奴隷)と翻訳されているようだ。そのために「いろんな軍で慰安婦制度を活用している」という言葉は「世界中の軍隊が性奴隷を使う」と翻訳されてしまう。これでは真意は全く伝わらない。
 こんな誤訳が定着したのは韓国による長年の広報活動の成果だ。嘘を言いふらしても日本政府が否定しなかったせいだ。何とも皮肉な話だが、橋下市長が否定しようとした反日プロパガンダの罠に橋下市長自らが嵌ってしまったと言える。発表時に英文を用意しておくべきだった。
 もう1つの失敗は「風俗」という言葉だ。風俗は非常に広義で、飲食業から売春まで含まれる。橋下市長が「風俗業の活用」を提案した時に何と翻訳されたのかは分からないがsex business(性産業)に近い形で翻訳されたと思われる。これでは誤解される。
 日本語には曖昧な言葉が多い。曖昧な言葉は何とでも恣意的に翻訳できる。橋下市長は「表現の拙さがあった。国際感覚が乏しかったかも知れない」と釈明した上で「大誤報だ」と言ったが、海外での報道は誤報ではない。誤訳であり、韓国による長期的な戦略に対する無知が敗因だ。

「ある」の証明

2013-05-18 09:51:52 | Weblog
 16日付けの「証明責任」で、「ある」か「ない」かの証明責任は「ある」の側にあると書いたが、「ある」の証明が簡単過ぎるために誤った情報が蔓延している。効果、危険、副作用などだ。
 健康食品の宣伝で「私はこれで○○が治りました」という体験談が多く使われる。元々嘘なら論外だが、多くは事実に基づく。しかしこれは証明とは言えない。他の要因が余りにも多過ぎるからだ。これは「日本人は米を主食にしているから長寿だ」と決め付けるのと同様、非科学的だ。きっちりとエビデンス(統計的証拠)に基づくべきだ。
 事故についても騒ぎ過ぎる。たったの1例では危険性が証明されたことにはならない。事故が起こる度に公園からは遊具が撤去されている。これでは砂場しか残らない。「△△は有害だ」という記事もしばしば目にするが、これのどうしようもなく駄目な点は「量」を無視していることだ。かつてコゲに発癌性があると騒がれたことがあった。あとから調べて分かったことだが、毎日コゲだけを食べ続けて初めて幾らか危険になるというレベルだった。ダイオキシンも微量なら全く有害ではない。もし騒ぎ立てたほどに有害だったら焼き鳥屋も鰻屋も病気になる。水を1度に10ℓ飲めば危険だが、これを根拠にして水を有害と言うようなものだ。
 副作用も空騒ぎが多い。そもそも薬は人体に異常反応を起こさせる劇物なのだから副作用があって当然だ。大半の薬にはメリットもデメリットもあるのだからその両者を秤に掛けることが必要だ。抗癌剤のイレッサや抗インフルエンザ薬のタミフルは副作用ばかりが騒がれたが、他の薬と比べてメリットが多くてデメリットが少ないのなら、それを使うことは誤りではない。
 「ある」ということの証明は余りにも易しいだけに、「ある」ということだけを根拠にした情報には充分な注意が必要だ。

出生前診断

2013-05-16 14:16:09 | Weblog
 胎児の先天性異常の有無を調べる出生前診断が新潟大病院などで始まった。そのことの倫理的是非についてはここでは問わない。誤診率の高さのみを指摘する。約16.7%の人が誤って陽性と診断される恐れがあるからだ。(多分、100人に1人もいないと思うが、ここでピンと来た確率論に強い人には以下の文章は不要。)
 前提条件を整理する。
 ①受診者の胎児にダウン症などの異常がある可能性は0.5%。
 ②陰性を陽性と誤る率は1/1000。(アメリカでのデータ)
 ③陽性を陰性と誤る率は1/100。(アメリカでのデータ)
 以上が公表されているが、陽性と診断される人の約16.7%が実は陰性であることは書かれていない。わざと書かなかったのか気付かなかったのかは分からないが、このことまで公表すべきだろう。
 なぜ1/1000と比べてこんなに大きなギャップが生じるのだろうか。これが確率のマジックだ。
 受診者を10,000人とする。異常が無い人は9,950人で、ある人は50人と推定できる。
 異常が無い9,950人の内、正しく陰性と判定される人は9,940人で、誤って陽性と判定される人は10人になる。
 異常がある50人の内、正しく陽性と判定される人は49.5人で、誤って陰性と判定される人は0.5人となる。
 以上から、60人が陽性と判定されるが、その内10人(16.7%)の人が実は異常が無い。
 学校の数学ではこんなことを教えていないと思う。確率計算がこんなに役に立つことを知っていれば、みんなもっと熱心に数学の勉強をするのではないだろうか。

同質化

2013-05-16 11:09:45 | Weblog
 人類は群居動物だ。群居動物は同質化し易い。そのほうが種族内競争において有利だからだ。12日の「ダーウィンが来た!」では、セキセイインコのオスにはメスの鳴き声を真似する習性がありこのことが人の言葉を真似るという特技に繋がっているということを伝えていた。人類も真似をすることによって種族内でのコミュニケーションを円滑化していると類推できる話だ。
 生存競争あるいは種族外競争においては多様性が重要だ。疫病が発生した場合、全員が同じ免疫機能を持っていれば全滅しかねない。微妙な違いさえあれば絶滅を免れ得る。
 あるいは共同作業をする場合、それぞれが違った能力を持っていて役割分担ができるほうが質の高い仕事が可能になる。
 種族内競争においては事情は全く異なる。多数者と同質化したほうが有利になる。
 周囲から美しいと評価される男女の子供は周囲から美しいと評価されて、周囲が美しいと評価する伴侶を得て、周囲から美しいと評価される子孫が生まれる。こうやって「美しい」という遺伝子が継承される。ところが美の基準が異なる人は美しいと評価されない伴侶を得て美しいと評価されない子供が生まれる。この場合、子孫を残すことにおいて不利になる。
 美しさに限ったことではない。宗教であれ政治であれプロ野球の贔屓チームであれ、周囲と違った価値観を持てば排斥され易い。キリスト教徒の集団の中でムスリム(イスラム教徒)は差別されるし、無神論者ならキリスト教徒からもムスリムからも毛嫌いされる。このように異端者は排除され勝ちだ。
 こういう事情から人は多数者の側に身を置いて多くの仲間を得ようとする。自らを風見鶏にすることによって常に多数者であろうとする。ここに理性は無い。多数者と同調しようとする群居本能だけが働いている。