俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

英雄の死

2013-07-12 10:22:50 | Weblog
 福島第一原発の元所長の吉田昌郎氏が亡くなった。享年58歳、余りにも早過ぎる死だ。
 原発事故において私は多くの人に憤り、憎悪に近い感情さえ持った。政治家、官僚、御用学者、東電、マスコミ、どれもこれも責任逃れに終始していた。そんな中で命懸けで戦っていた英雄がいた。吉田元所長だ。もし吉田氏がいなければ原発事故はもっと酷い事態を招き、関東まで人の住めない土地になっていたかも知れない。吉田氏は日本を救った英雄だ。多分、日本史上これほど多くの人を救った人はいない。彼に匹敵するのは月光仮面やウルトラマンなどの架空のヒーローだけだ。
 吉田氏の死因は食道癌とされ、東電は「死去と被曝との直接的な関係は無い」と発表したがこのことにも怒りを禁じ得ない。原発トラブルの沈静化という余りにも思い責任を自らの命を賭して孤立無援の状況で対処するストレスは想像を絶する。発狂しても不思議でないほどの過酷な状況が身体を害さない筈が無い。原発との戦いの最中は交感神経がフル稼働して副交感神経は低下、つまり免疫機能は低下していただろう。過酷な戦いと急死の因果は疑えない。東電は徹頭徹尾責任逃れに終始している。
 他の関係者が総てぬくぬくと暮らしている中、必死で難局を切り抜けた吉田氏だけが死ぬということに 不条理を感じる。頑固な無神論者の私でさえ来世での報いを期待したくなる。
 吉田氏は回想録を準備していたそうだ。安全な東京に身を置いて勝手な指示を出していた連中が絶対に知らない事実が書き残されなかったことも残念でならない。

婚外子

2013-07-12 09:55:38 | Weblog
 非嫡出子の権利を高めようという議論があるが、私は非嫡出子の権利だけを無条件に高めることには賛同できない。私のような一夫一妻制に反対する者がこんな主張をすることは奇妙と思われるかも知れないが、非嫡出子の権利にばかり注目することは片手落ちだと思うからだ。妻の権利が忘れられている。
 非嫡出子という言葉が広義に使われ過ぎている。これでは未婚の男女の子も連れ子も養子も不倫の子も同じ扱いになる。非嫡出子は様々であり個々に検討することは困難なので、ここでは「夫による不倫の子」だけを「婚外子」と呼ぶことにする。
 非嫡出子という言葉を使うから実態が見えず、子供の権利ばかりに注目が集まる。言葉の意味を明確にするだけで、いつどこで誰が咎められるべきかが明確になる。
 結婚とは何か、排他的専属契約だろう。妻は夫を、夫は妻をお互いに独占するという契約だ。この契約を一方的に破棄する者にペナルティが課せられるのは当然だろう。ではどんなペナルティが相応しいか、その時点での財産の二分割だろう。夫の財産の半分程度を妻と子供に譲り渡すべきだろう。
 咎められるべきなのは契約を破った夫だけだ。婚外子本人には何の罪も無い。だから相続においては既に分割された後の財産を公平に分割すれば良い。
 婚外子の権利の無条件の拡大だけでは夫による契約不履行を咎めないことになる。契約を守った妻の権利を守ることが最優先だ。婚外子の権利の拡大は裏切られた正妻に対する補償とセットにして検討されるべきだ。婚外子の権利だけを拡大することは善良な妻の権利を損なう。結婚という契約制度を軽んじるべきではない。

異形の国

2013-07-10 10:16:05 | Weblog
 隣に大金持ちが住んでいたらたとえ悪い噂の絶えない人であっても付き合いたいと思うだろうか。私はご免蒙りたい。むしろ貧しくても誠実な人を大切にしたい。
 中国との国交はそんなものではないだろうか。チベットや新疆ウイグル地区に対する弾圧を黙認し、台湾の存在を否定し、デタラメな歴史を認めることなどが国交の条件だ。そんな国との付き合いなど必要最小限に留めるべきだろう。
 いずれ「中国の春」が訪れるだろう。共産党による一党独裁が否定される時が来る。日本が現在の中国を利することは一党独裁制に加担することだ。
 日本は民主主義国ではないのか。なぜアラブ諸国の独裁制と同様に一党独裁と言論弾圧を咎めないのか。相手が大国だからか。長い物には巻かれる奴隷根性が染み付いているからか。
 私は民主主義者ではないが、一党独裁と言論弾圧を否定する。自称民主主義者ならもっと怒るべきだ。それとも彼らは似非民主主義者に過ぎないのか。かつて共産圏の核兵器を容認したのと同じ訳の分からない理屈で中国の公害問題も黙認するのか。
 中国は一人っ子政策のせいで日本以上に少子高齢化が進む。ところが共産主義国を標榜しながら老人対策は余りにも貧弱だ。これでは易姓革命を招きかねない。
 多分私の目の黒い内(20年以内)に、ソ連と同様に中華人民共和国は崩壊するだろう。その後、どんな権力構造になるか、その1つのモデルは台湾ではないだろうか。政治家なら今の内に台湾に媚びておいても損は無かろう。

警察

2013-07-10 09:54:43 | Weblog
 我々は警察を信頼している。普段は鬱陶しいだけの存在だが、いざ被害者になれば頼りになる。一挙に正義の味方に格上げされる。どういう訳か今年の第一生命の「大人になったらなりたいもの」調査では男子の2位にランクされた。しかし残念なことに警察権力は国内でしか通用しない。
 アメリカの場合、警察は州に属する。州はstateでありこれは「国」という意味でもある。西部劇では州境を越えて権力を行使できなかった。この不合理を解消するために1908年にFBI(連邦捜査局)が作られた。
 これと同じように国際警察があれば良いと誰でも思うだろうが、国ごとに法律が違うという事情もあってそれは難しい。では治安は誰が守るのか、軍隊だ。
 ソマリア沖の海賊には誰が対処すべきか。国際警察など無いのだから各国の軍隊が対応している。では日本は?丸腰でいる。日本国籍の船には銃刀法が適応されるため民間人の武装が禁じられているからだ。
 しかしこれは奇妙な話だ。国内なら警察が市民を守るのだから武装の必要は無い。ところが公海上では殆んど守れないにも関わらず武装が禁じられている。「平和憲法があるから日本は平和だ」という奇妙な迷信を信じる人なら「銃刀法があるから日本の船は安全だ」と考えるかも知れないがそれはあり得ない。
 アメリカに住む日本人なら武装が許される。これはアメリカの国内法に基く。それと同様に警察権力が及ばない公海では武装が認められるべきではないだろうか。国が治安の責任を果たせないのなら自主防衛権が認められて然るべきだろう。
 政府も見て見ぬ振りをしている訳ではない。武装警備を認める日本船警備特別措置法が通常国会に上程されていた。しかし会期末の混乱で廃案になった。政争のために国民の生命や財産が危険に晒され続けることは好ましくない。

手段の目的化

2013-07-08 11:19:16 | Weblog
 人は生きるために働く。目的は生きることであって働くことは手段だ。ところが働くことが生きがいになっている人がいる。こういう人にとっては働くことが目的であって生きることは手段だ。
 こういった手段の目的化を全面的に否定しようとは思わない。大きな目標を設定した場合、中間目標を設けることは必要だ。例えばプロ野球のチームなら日本シリーズ制覇が大きな目標になるだろう。そのためにはリーグ優勝をする必要があり、そのためには6割近い勝率が必要となり、そのためにはこの試合に勝つこと、そのためにはこの回に失点しないこと、とどんどん小さな目標が生じる。いしいひさいち氏の漫画にあった話だが、ピンチを迎えた投手に監督が「優勝するのだ!」と叱咤激励してもアドバイスにはならない。
 大きな目標を達成するためには日々実践できる小さな目標が必要だ。勉強であれ減量であれ、最も効果的なのは小さな積み重ねだ。小さな目標は大きな目標のための手段に過ぎないが、それを達成できなければ大きな目標は絶対の達成できない。
 但し目的と手段を混同すべきではない。例えば小売店のポイントカードはしばしばそれを集めることが目的化してしまう。100円で1ポイントが付き、1ポイントで1円の買い物ができるポイントカードなら、99円の買い物をした時に1円損したように感じる。これは錯覚だ。仮に1円値上げして貰って1ポイント獲得してもプラスマオナス0円にしかならない。ポイントカードはこの錯覚を利用して購買を促している。

長所は短所

2013-07-08 10:56:09 | Weblog
 数年前、クロックスのサンダルが社会問題になった。エスカレータでの事故が相次いだからだ。
 クロックスの素材には3つの長所がある。滑りにくい、柔らかい、丈夫ということだ。これらが事故の原因になった。滑りにくいからエスカレータの壁に吸い付く、柔らかいから捻じ曲がる、丈夫だから千切れずに足まで引き摺り込む。エスカレータでの事故では総ての長所が災いした。
 マラソンの野口みずき選手の長所はストライド走法だ。歩幅が長ければ歩数を減らせる。距離=歩幅×歩数だからだ。ところが歩幅を伸ばせば筋肉に負担が掛かる。そのために野口選手は故障が多い。
 長所は即、短所になり得る。薬の場合ならメリットとデメリットと分けられることが多いが、野口選手やクロックスの場合はメリット=デメリットだ。実はこういう構図になることは意外と多い。
 円安になれば輸出は有利になり輸入は不利になる。これはコインの表裏のようなものであり、両者を同時に有利にすることはできない。どちらかを満たせば必然的にもう一方は満たされない。メリットとデメリットが表裏一体になっているのだから両方を受け入れるか両方を拒絶するかのどちらかしか選択肢は無い。片一方しか見ない批判は余りにも幼稚だ。
 日銀の白川前総裁は副作用を恐れる余り、景気対策を小規模かつ小出しにした。そのために円高が放置されて景気は更に悪化した。八方美人が美人でないように失点を避けようとすれば得点も得られない。サッカーでフォワードまで守りに回れば失点しにくいが絶対に得点できない。こんな作戦はリードを守り切る時にしか使えない。攻撃が最大の防御かどうかは分からないが、守勢一方では得点できないことは確実だ。ノーリスクはノーリターンだ。

雄ライオン

2013-07-06 14:02:08 | Weblog
 雄ライオンは働かない。育児も狩りも雌に任せて一日中ゴロゴロしている。まるでヒモか退職後の夫のようだ。どうしてこんな変な役割分担になっているのだろうか。
 子連れの雌ライオンは過酷な生活を強いられる。雄ライオンに襲われるからだ。育児中の雌ライオンは発情しないから雄ライオンはまず子供を殺す。それから交尾を迫る。
 我が子を殺した憎き敵と仲良くするなど人類ならあり得ないことだがそこは畜生の悲しさで、子供が殺されたとは理解せず単に死んだと捉えられる。子供がいなくなれば雌ライオンは発情する。
 しかしこれは何とも無駄の多い仕組みだ。せっかく腹を痛めて産んだ子供が雄ライオンに殺されてしまうことなど何とかして阻止すべきだろう。その解決策は、交尾した相手に付いて行くということだ。こうしてファミリーを作れば子供の安全が守られる。これはたまたまそういう性質の雌がいて、その性質を受け継いだ者だけが生き残ったのだろう。
 こんな経緯でファミリーが作られるのだから雄の役割は最小限になる。流れ雄ライオンから子供と雌を守りさえすれば雄としての役割を全うできる。雌も元々それ以上のことなど期待していない。
 ゴリラの生態についてはよく知らないが、多分同じような経緯があるのではないだろうか。ゴリラにも連れ子殺しが見られるからだ。こうして雄ゴリラはハーレムを作る。
 人類は連れ子殺しなどしないから同じようなことは起こらない。しかしシングルマザーが悲惨な境遇に陥り易いということではライオンやゴリラと同じだ。彼らよりも賢い人類は、当然それを防止するためにもっと上手い手を考え出す。それが一夫一妻制だ。

七夕(2)

2013-07-06 13:33:44 | Weblog
 明日は七夕だ。誰も意識しないが七夕伝説はなかなか凄い話だ。一日中セックスに励んで仕事をしなかった夫婦が神に罰されるというとんでもない話だ。不思議なことに殆んどの人はこのことに気付いておらず私が指摘するとびっくりする。物語としては知っていてもそれが具体的にどういうことなのかを考えていない。
 桃太郎も同じだ。これは侵略戦争の美化であり海賊行為の英雄視だ。こんな酷い話を無批判に受け入れて育った子供はきっと侵略戦争を支持するだろう。
 考えてみれば恐ろしいことだ。不道徳的な話であろうとも子供はすんなりと受け入れる。こうやって人間は飼い馴らされる。人々が当然のこととして認めている諸制度はこうやって植え付けられている。
 最も高価な売春について考えたことがあるだろうか?それは結婚だ。性関係を結ぶ代償として全財産を要求する。石川達三氏は「幸福の限界」で「妻とは性生活を伴う女中か」と問うたが、私はもっと過激に「妻とは排他的専属超高級売春婦」と考える。
 普通の結婚ならこのことは余り露骨に表れない。誰もが疑いを感じるのは大金持ちの老人が若い美女と結婚した時だ。専属売春婦とどう違うのかと疑う。
 結婚は様々な目的で成り立っている。子孫を残すことであり共同生活をすることでもある。その中でも重要な要素として専属的肉体関係がある。これは決してロマンチックな話ではない。結婚という制度に疑問を感じないのはこの制度が子供の頃から植え付けられているからだ。

麻薬犬

2013-07-05 11:00:05 | Weblog
 麻薬犬の存在は現代科学に対するアンチテーゼだ。現代科学が犬の嗅覚に及ばないことの証だ。
 考えてみれば奇妙な話だ。検出すべき物は特定の化学物質だ。こんな物は検査器を使えば簡単に検出できる筈だ。科学は単純な分析において最もその力を発揮できる。逆に単純化できない複雑な問題、例えば地球温暖化のような複合現象は複雑過ぎて手に負えない。麻薬検査は単純な分析であるにも関わらず、最新の技術を駆使しても犬の嗅覚に敵わないのだろう。ここに現代科学の限界を感じる。
 麻薬を検出する方法は色々あるのだろう。その中で一番精度が高いから麻薬犬という方法が選ばれたのだろう。ちゃんと比べた上で選ばれたのだからこれは「科学的方法」と言える。科学とは「検証可能」であることが絶対条件だ。検証不可能な主張なら科学ではなくオカルトだ。
 阪神大震災以降、地震の調査研究のために約3,600億円が投じられたそうだ。それにも関わらず、東日本大震災を初め、1度として予測が的中したことは無い。こんな役に立たない研究に巨費を投じることなどやめてナマズの研究でもしたらどうだろうかとさえ思う。麻薬犬に見られるように動物の能力が現代科学を凌駕することは決してあり得ない話ではない。

幸福の国

2013-07-05 10:34:58 | Weblog
 貧しければ不幸だ。より正確に言えば、貧しい人の大半は不幸だ。こんな主張は反発され易い。漫画や映画の「3丁目の夕日」のように昭和30年代の日本人は貧しかったが希望に充ちていた、と言いたがる人が多い。
 金銭的豊かさは十分条件ではないが必要条件だ。貧しければ充分な食事もできず栄養不良から健康を損なうこともあり得る。健康を損なえば不幸になる。
 ここでもまた異論があるだろう。健康でなくても幸福にはなれる、と。しかしその人が健康になれば多分もっと幸福になれるだろう。
 物質的満足よりも精神的満足をと主張する人は少なくない。彼らにとっての理想は「幸福の国」ブータン王国だろう。経済よりも幸福、GDPよりもGNHと唱える小国をマスコミは絶賛した。
 しかしどうやら化けの皮が剥がれつつあるようだ。ブータンからの亡命者は10万人を超えるらしい。総人口60万人の2割近い比率だから北朝鮮以上だ。美男・美女の国王・王妃に何となく好意を持っていた人にとっては知りたくない情報だろう。
 大体、国民の97%が幸福だと感じているという話は余りにも胡散臭い。どんな理想社会を構築できても97%を幸福にすることは不可能だ。もし可能な方法があるならそれは愚民政策だろう。
 アダムとイブは知恵の木の実を食べたためにエデンの園から追放された。この話は知恵は幸福の妨げとなるという寓意だろうか?
 特別養護老人ホームこそ地上の楽園かも知れない。その楽園の住民になるためには認知症に罹る必要がある。周囲からはどんなに惨めに見えようとも、彼らの主観においては最後のそして至上の楽園だろう。
 但し私はこんな楽園の住民になりたいとは思わない。