俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

外見

2013-12-05 10:18:54 | Weblog
 今ではセクハラとして禁止されているが昔はボディタッチは許容されていた。ボディコミュニケーションという言葉まであった。
 同期入社で頭抜けてハンサムな男はこう言った。「職場のチームワークのために必要なのは分け隔て無く触ることだ。」彼はハンサムだからこんなことが言えた。私がそんなことをすればきっと問題にされただろう。
 「人は見た目が9割」という本がかつてベストセラーになったが、人は第一印象に基づいて判断する。見た目で好意を持てば仕種も発言も好意的に解釈される。入社試験においても美男美女は有利だ。面接試験では第一印象だけで他を大きくリードできる。入社後も初対面の人に与える印象が良いので即戦力になり易い。
 企業側も美男美女のほうが有利であることを知っている。実は私の元勤務先にはこんな採用基準があった。「男女ともに容姿端麗であること」新米の課長時代に初めてパートタイマーの面接試験に臨む際に人事担当者から教えられた。流石に今では削除されているとは思うが当時は文書化されていた。
 取引先から「御社は美男美女揃いですね」と言われたことがある。確かに十人並み以下は殆んどいなかった。メジャー級のミス○○はいなかったと思うが、学生時代に大阪一の美男として何度もテレビで紹介された男もいた。
 芸能人だけではなく一般人でも容姿によって差別される社会だ。この弊害を減らすために少なくとも大学入試の面接試験ぐらいは、衝立かカーテンで遮ることも一考に値するのではないだろうか。
 人を外見で差別すべきではないように野菜も外見に騙されないように気を付けるべきだ。多くのスーパーには「蘇生庫」と呼ばれる「偽装庫」がある。加湿することによって萎びた野菜の表面だけを新鮮そうに見せている。当たり前の話だがこんなことで野菜は蘇生しないし鮮度が回復する訳でもない。一時的に新鮮であるかのように見せるだけの偽装だ。

病気の原因

2013-12-05 09:49:57 | Weblog
 医療は確率論であるべきだ。ある治療が有効か無効かは確率的に確認するしか無い。卵や小麦でアレルギーを起こす人がいるほど個体差が大きいのだから万人に有効な治療法は殆んど無かろう。
 傷の治療なら可能だ。切れたら縫合すれば良いし骨が折れたら正常な位置に固定して癒着するのを待てば良かろう。これらが可能なのは症状も原因も明確だからだ。
 一方、病気の原因は様々だろう。原因が様々であり、しかも体質も様々であれば治療はオーダーメイドであるべきだ。ところが原因は特定できず体質も解明困難だ。最も確率の高い治療法を試みてそれが無効あるいは有害であれば違った治療法に切り替える必要がある。
 感染症や毒物や栄養不良による病気なら因果関係で説明できる。しかし癌の場合、アスベストやコールタールなど以外は明確な発癌物質は殆んど無い。逆に、光や酸素や食品など殆んどの物に何らかの発癌性がある。こんな状況では因果論は役に立たない。
 必要なのは何が癌の原因になり易く何が有効かを統計的に明らかにすることだ。しかし統計に頼り過ぎると思わぬ落とし穴がある。ただの相関関係を因果関係と思い誤ることだ。
 よく知られた話だが日本人の平均寿命の伸びとテレビの普及率のグラフは見事に一致する。このグラフだけを見て「テレビを見れば寿命が伸びる」と考える軽率な人がいるかも知れない。これは表には表れない第三の原因を考慮する必要がある。多分正解は「テレビを買えるほど生活にゆとりができて栄養も充分になったから寿命が伸びた」という解釈だろう。
 こんな類の悪い見本が「国立がん研究センター」による多数の発表だ。同センターには食生活に関する膨大なデータがあり、パソコンを使えば簡単に多くの相関関係が見つかる。そのため「清涼飲料水を多く飲む女性は脳梗塞になり易い」とか「緑茶やコーヒーを飲めば脳卒中になりにくい」とかいった眉唾物の珍説を次々に発表したものだ(平成24年12月27日付け「デマ」参照)。これは統計処理の弱点を知らない人がデータを妄信したことによる恥晒しだ。正に生兵法は怪我の元だ。データを無視することは許されないが、思考を欠いた統計データは全然科学的でない。

2013-12-03 09:00:29 | Weblog
 変な記事ばかり書いているが私は極めて常識的な人間だ。大学生の頃は「狂気」を求めたものだ。余りにも常識的過ぎる自分に腹を立てたからだ。ところが酒を飲むと常識の枠が緩んで発想が柔軟になる。通常なら思い付かないことにも突然気付く。脳の一部が機能不全に陥ることによって普段とは違った思考回路が働くからだろう。勿論、大半は酔っ払いの思い付きのレベルに過ぎない。たまに妙案があるだけだ。
 アルコールはまずアセトアルデヒドと水に分解される。この化学式は
 2C2H5OH+O2→2CH3CHO+2H2Oとなる。
 アセトアルデヒドは有害物であり脳に異常な反応を起こさせるほか悪酔いや二日酔の原因ともなる。アセトアルデヒドは更に分解されて酢酸になる。この化学式は
 2CH3CHO+O2→2CH3COOHだ。
 この2つの化学式から明らかなようにアルコールの分解には酸素が必要で、酸素が充分に補給されれば無害な酢酸にまで分解されるが不充分だと有害なアセトアルデヒドのまま留まるということだ。飲酒時に呼吸が荒くなるのは正常な反応であり、カラオケで歌えば呼吸量が増えるので悪酔いしにくくなることも納得できる。
 アルコールの一番の利点は気分が軽くなることだ。抑鬱的な性格の人は思考が堂々巡りをして前へ進まないことがあるが、脳が軽快になれば発想も広がる。
 酒は気狂い水と酷評されることもあるが、肝臓を傷めない程度での飲酒なら抗鬱剤よりも遥かに有効で安全な薬ではないだろうか。だからこそ人類は数千年に亘って酒を楽しんでいる。 

失業対策

2013-12-03 08:29:05 | Weblog
 終戦(正しくは「敗戦」)直後には国中に失業者が溢れていたので失業対策が急務だった。失業者の受け皿は主に3つあった。零細農家と個人商店と公務員だ。これらは失業対策だったから法律などによって保護されこれが長期に亘って日本の社会を歪めた。
 GHQの農地改革によって生まれた大量の零細農家は食管法などによって保護された。農家は米さえ作っていれば生計が成り立つように優遇された。その後は「減反」という働かなければ金が支給されるという訳の分からない制度や、税金で票を買う戸別所得補償というバラ撒き政策まで行われていた。このようにして農家を守るために農業が犠牲にされ続けた。
 個人商店は百貨店法や大店法などによって保護された。意欲も能力も乏しい商店主を保護するために商業の合理化が犠牲にされ消費者がそのツケを払わされた。こういった個人商店は大店法によって規制されないコンビニによって淘汰されつつある。
 地方公務員は必要数の数倍が雇用された。穴を掘っては埋めるだけの作業と同等であろうとも、彼らが失業者を経て犯罪者になるよりはマシだった。だから暇を持て余す公務員が日本中に溢れ返った。当初の公務員の給与水準は低かった。失業対策なのでそれは当然のことだ。ところが民間企業の賃金の上昇に合わせて賃上げされ、民間の賃上げが止まっても公務員の給料だけは上がり続けた。
 失業対策に使われたのは税金だ。零細農家と個人商店は税制においても優遇された。9・6・4(クロヨン)とも10・5・3(トーゴーサン)とも揶揄されながらも不公平税制が是正されなかったのはこれが失業対策だったからだ。公務員の給料は100%税金だ。
 これらの非生産的な失業対策が戦後70年を費やしてようやく終わりつつある。最後に残されていた農家に対する過保護も2018年には解消されるようだ。これらを悪政と決め付けることは必ずしも正しくなかろう。70年懸けてソフトランディングさせたと考えれば長期ヴィジョンに基づいた政策だったと評価できるだろう。

車道側

2013-12-01 10:00:42 | Weblog
 今日から道路交通法が改正され、自転車の左側通行が義務付けられた。「改悪」ではないので構わないのだが、告知活動が余りにも不充分だ。国民の大半が自転車を利用しているのに法律が知られなければ却って混乱を招く。
 ところで自転車が歩道を走る場合に車道側を走るという規則があることをご存知だろうか。余り知られていないが道路交通法63条の4にあり、私は常にこれを心掛けている。規則だからではなくそのほうが安全だからだ。理由は2つある。
 店から出る時に危うく自転車とぶつかりそうになったことがある。歩行者は車道に出る時には左右に注意を払うが歩道に出る時には無警戒だ。だから自転車が建物側を走れば歩行者とぶつかり易い。
 もう1つは車対策だ。脇道から大通りに出ようとする車は車にしか注意しない。だから歩道を突き抜けて車道直前まで鼻面を出そうとする。自転車にとってこれが最も危ない。車道側を走ることによって幾らかは危険性を緩和できる。それでも危ない思いをすることは少なくない。
 しかしこの規則には問題点がある。車道とは違って歩道を走る場合、自転車は左右どちらを走っても構わずしかも車道側を走ることが義務付けられているから逆方向に走る自転車と向かい合うことになる。この時にどちらに回避義務があるのかが定められていない。私は左側の歩道なら左に回避し、右側の歩道なら相手に回避を促すようにしているが、これが正しいかどうかは分からない。最悪なのは両者が回避しようとしてぶつかることだ。どうも道路交通法を作る先生方は自転車とは無縁の生活をしているようで、自転車関連の法律は穴だらけだ。

参議院

2013-12-01 09:32:47 | Weblog
 7月の参議院選挙について11月28日に選挙無効判決が出されたが、この際、定数是正ではなく抜本的に見直してはどうだろうか。衆議院と変わり映えしない第二院ではなく独自性を持たせるということだ。
 私は都道府県各2名制を提案したい。つまり現状どおりの任期6年にして3年ごとに改選するが、参議院をアメリカの上院のように都道府県の代表と明確に位置付けるということだ。アメリカの上院の各州2名制をそのまま踏襲すれば済むことだ。
 国連では1国1票だ。人口13億の中国だろうと50万人の小国だろうと1票だ。それと同じように各都道府県2名にすれば議員数は94人で済む。これでは少な過ぎるなら1県4人だろうと6人だろうと構わない。国会で勝手に決めれば良い。
 地方の声はなかなか中央には届かない。その一因は都会を地盤とする議員が多過ぎるからだ。都会を通る道路よりも地方を通る道路のほうが圧倒的に多いのに道路交通法まで都会発想で改訂されている。
 第二衆議院など要らない。必要なのは独自性を持つ第二院だ。私は有権者数だけを根拠とした1票の格差を非常に偏った考えだと思っている。有権者数だけを根拠にすれば面積当たりでは不平等になる。日本地図に国会議員数を落とし込めば北海道が非常に少なく東京がやたら多いことに誰でも気付く。人口比よりも面積比のほうが確実だ。人口は刻一刻変動するが面積が変わることは殆んど無い。参議院を第二衆議院にしないためには面積比か都道府県単位にすべきだと思う。高校野球と同様、都道府県代表制が最も支持を得られると思う。
 抵抗勢力は東京などの都市部選出の議員だ。彼らが抵抗するだろう。しかし衆議院で充分過ぎるほど議席を得ているのだから参議院は地方に譲っても良かろう。