ナンシー・Chang!のおいし~生活

湘南(住まい)&東京(勤務地)で見つけた、あんなこと、こんなこと。

七夕の増上寺

2008-07-10 23:57:39 | 帰宅の風景

大殿はただいま改修工事中

*ぶらりと境内をひと回り

イマイチのお天気となった七夕の夕刻、久しぶりにお寺の敷地内をゆっくりと歩いてみました。
今さらながらにでっかくて立派なお寺だなぁとしみじみ思います。
徳川将軍家の権力の偉大さを思い知りますなぁ。
ところで、昨年の4月、旧カメラT-9で同じような撮影条件の下境内の写真を撮ったのですが、画像を比べると、新カメラT-20が巧みにWBを調整してくれていることが一目瞭然。
個人的にはT-9の蒼みがかった夕刻の画像が好きで、わざとWBを調整せずに撮影していたのに…。
(増上寺 in Blue toneはこちら

正式名称は三解脱(さんげだつ)門
都内で最古の建築物にして東日本最大級を誇る増上寺「表の顔」。
お寺の中門にあたり(表門は大門)、建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗造り。
増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。



ちなみに三解脱とは3つの煩悩「むさぼり」「いかり」「おろかさ」を解脱するという意味。
何気に毎月楽しみな「今月の言葉」

水盤舎
もと清揚院殿(甲府宰相綱重・三代家光公三男)の霊廟屋にあったもの。徳川将軍家霊廟建築を伝える数少ない遺構の1つ。

お参りの前に、ここで手と口を清めます。
柱には、水に縁のある建物の特徴として、波を形どった刻り物があります。

写経塔
増上寺の写経会(しゃきょうえ)では、毎月14日(7、8月は除く)に浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)など、先師の残された様々な関係の経典を書写出来ます(有料)。
この写経塔には書写した写経を永代にわたり奉納していただけるのです。

鐘楼堂
建立は寛永10(1633)年。現在の鐘楼堂自体は戦後の再建によるもの。此方に収められている大梵鐘は江戸3大名鐘の1つ。



聖観音菩薩像(左上)
1982年2月8日に起こったホテルニュージャパン火災の罹災者を追悼する菩薩さま。
傍らには追悼碑もありました。
死亡者33名を出す大惨事の原因は、938号室に宿泊していたイギリス人客の寝煙草だったそうです。

仏足石(左下)と、魚供養之碑(右下)
仏の足裏の形を石に彫りつけた仏足石は明治14年に建石。
仏像が刻まれる以前のインドでは、仏足石が仏に代わるものとして礼拝されていました。
千代田水産(株)が建立したお魚を供養するための石碑には「今日あるは水産物、とりわけ魚類のおかげである」と深い感謝の意が込められています。
スバラシイ(・∀・)
殺生を生業とする者はこういう気持ちを忘れちゃいかん。



西向観世音
子育て安産に霊験あらたか。

千躰子育地蔵尊

水子地蔵ではありません!
子供の無事成長・健康を願い、昭和50年より順次奉安されているお地蔵さま。


徳川将軍家墓所入口
桜の季節の 一般公開 も記憶に新しい。
大殿の裏手は暗くなると薄気味悪い場所だけど、この季節は緑がキレイ。御紋があしらわれた鋳抜き門は旧国宝。

熊野(ゆや)神社
三門を入って右奥にあります。
1624(元和10)年、熊野権現を増上寺鎮守として、第13世正誉廓山上人が東北の鬼門に勧請したもの。



鳥居の突き当たりにも神社があり、その左側には「三本足の烏」がいます。
日本書紀によると、神武天皇が天下統治のため紀の国(和歌山県)の熊野に上陸し、東征中道に迷った時、日輪の中の天照大神より「天から八咫烏(やたがらす)を使わそう。八咫烏の飛びゆく後に付いて行くがよい」という御諭しがありました。
まさに神のお導きにより、無事山越えが出来たという言い伝えが残されています。

日輪の中に三本足の烏
ルーツは中国で、太陽の中に3本足の鳥が住むといわれ、太陽は烏によって空を運ばれると考えられていました。2本足は陰数のため、陽の数である3こそが太陽に

ふさわしい。日の神-天照大神の子孫である天皇、3本足の烏と八咫烏が習合し、熊野の烏も3本になったと言われています。
ちなみに、日本サッカー協会の シンボルマーク にも使われているそうです。 

熊野神社境内より東京タワーを望む

〓増上寺〓
正式の呼称は三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)。
現在は芝公園にぐるりと囲まれるように存在している(昔は増上寺も含めて芝公園と言っていたが、戦後の政教分離によって境内の部分が除かれ今のような形態となった)浄土宗の七大本山の一つ。上野の寛永寺とともに徳川家康の菩提寺として知られ、境内には徳川将軍家の墓所がある。
関東十八檀林の筆頭として興隆し、さらに江戸時代総録所として浄土宗の統制機関となるなど栄華を極めるも、戦災時に徳川家の霊廟は焼失。焼失をのがれた三門、経蔵、御成門などを含む境内は現在の大本堂とともに1974年に整備された。
※増上寺の歴史、詳細な境内案内、年間の行事などは HP をご参照下さい。

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