8703の部屋

「ハナマルサンの部屋」です。音楽、スポーツ 世相 等々 気ままに綴ります

私の合唱歴から①

2020-04-18 08:35:04 | 合唱

前稿において、私の合唱歴の概略を記載してみた。その道筋を辿りながら、思いつく事柄を記述してみたい。

まず、最初に気づいたことが1960年(昭和35年)スタートということである。中学、高校で授業以外での合唱経験はなく(実際は、授業でもほとんど合唱はなかった)、大学に入ってからは、合唱の講座は受けていたが、合唱団に正式に所属したのは1960年4月であった。はなはだ遅いスタートではあったが、年月を重ねて、なんと今年が60年目を迎えたことになる。ということにも気が付いた。

最初に所属した学芸大学岩見沢校混声合唱団は、団員のほとんどが音楽研究室所属の学生で構成されていて、指揮者は大学の教授(声楽)でもあった荒又綾子先生、そして、非常勤講師であった武藤敏郎先生が副指揮者的存在であった。同じ研究室仲間ということもあって、とてもチームワークの良い団体であった。合唱連盟主催のコンクールにも出場していたので、夏休みには合宿もやっていた。合宿中の夜、猛暑の学生寮から抜け出して、男子一同で遊泳禁止の大正池で泳いだこともあった。懐かしい思い出である。

大学生活の後半は、札幌校で過ごした。このころは、それほど合唱に熱くなっていたわけでもないが、何故かグリークラブ(男声合唱団)に所属した。そして、突然、音楽専攻生というだけの理由で副指揮者に指名された。それまで、指揮の経験は皆無であったが断固固辞する理由も見当たらず、引き受けてしまった。そして、最終学年ではトコロテン式に、正指揮者となったのだが、不慣れで、不熱心な指揮者であったので、当時の仲間には迷惑をかけてしまった。しかし、指揮者としては悩みながらも、同じころに、札幌ジングアカデミー、札幌放送合唱団、アポロ男声合唱団(小樽市)などで歌う機会を得て、貴重な経験をさせていただいた。

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私の主な合唱歴

2020-04-17 13:37:42 | 合唱

1960(昭和35)北海道学芸大学岩見沢分校混声合唱団

        指揮者 荒又綾子 武藤敏郎

1962(昭和37)北海道学芸大学札幌分校グリークラブ

        指揮者 小山龍平 横山直樹(副指揮者~指揮者)

       札幌ジングアカデミー  指揮者 工藤健次 

       アポロ男声合唱団    指揮者 上元芳男  

       札幌放送合唱団     指揮者 平賀暎彬 

   1964(昭和39)~1971(昭和46)当別高等学校合唱部顧問

   1971(昭和46)~1986(昭和61)岩見沢東高等学校合唱部顧問

   1986(昭和61)~2004(平成4)札幌国際大学合唱団指揮者

                                                                     (静修短期大学)

2010(平成20)~   混声合唱団「樹」常任指揮者

 

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メッセージ

2020-04-15 13:58:55 | こだま

妻(Y子)が入院している病院へ、毎月恒例の保険証提示に行ってきた。面会禁止の期間がさらに伸びて、一応、5月中旬までとなったが、再延長もありうるよな気配を感じている。病院へ行く途中で思いだしたことがあり、胸が熱くなった。病院が志文にあるので、COOP南店の前を通るのだが、ある時、買い物中にY子と口喧嘩となり、私が腹を立ててY子と荷物を置き去りにして帰宅してしまった。徒歩だと30分以上かかる距離であり、相当量の荷物もあるから、きっとタクシーを呼んで帰ってくるであろうと思っていた。しかし、なかなか帰ってこない。さすがに、心配になり車を走らせたところ、両手に一杯の荷物を抱えて歩くY子に遭遇したのである。あまりにも重いので、休み休み歩いて来たとのことであった。こういうような場合、ほとんど100パーセントと言ってよいほど、私のわがままが原因なのである。さすがに「申し訳ないことをした!」の思いが強く、思い出すたびに胸が熱くなる一コマである。「ありがとう!」と「ごめん!」は、何度言っても足りないほどに、世話になり、迷惑をかけた私である。

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チエーンメール

2020-04-14 13:50:31 | こだま

SNSなるものを始めてから20年以上になるが、未だに初心者同様であることを認識した。昨夜、新型コロナウイルス感染についてのメールが入った。差出人は私の友人である。内容は、某医療関係者から届いたメールの転送で、「医療現場が崩壊寸前であり、このままでは救える命も救えなくなる。」ということで、拡散を促すものであった。これは大変なことだ、と思った私は、ほぼ深夜であるにもかかわらず相当数の友人知人に転送した。そして、早朝、合唱仲間のAさんから「先生、これはチエーンメールですよ。」の連絡を受けた。チエーンメール?恥ずかしながらこの言葉を知らなかった。迷惑メールならば知っていたのだが、、、、私にメールで転送してくれた友人は、立派な人物であり、社会的にも現役として活躍している人なので、何の疑いもなく信じたのだが、考えてみれば、私と同い年、SNSには強くないはずだ!ということに気が付いた。この歳になっても、次から次へと知らないことが増えていくので、、大変だ!

 

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がんばれ、若者たち!

2020-04-12 22:46:42 | こだま

今日、北海道知事と札幌市長が会談して小学校、中学校、高等学校の再休校が決まったようである。誠に残念であり、悲しいことである。まさしく、日本全国が非常事態であるわけだから致し方ないことと言えるが、若者の自由(登校すること)が奪われることは悲痛である。家族にとっても大変なことであろうが、明るい未来を信じ、力を合わせて耐え忍んでほしいものである。

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