朝日新聞(8月24日)の「ネット最前線」に<「オタク」市場、規模は2600億円 野村総研が推計>という記事があった。数字は、以下のようになっていた。
私は、野村総合研究所が「特定の趣味分野に生活の時間や所得の多くをかける人たち」を「オタク」と定義しているのかと思って、野村総合研究所サイトから「オタク層」の市場規模推計と実態に関する調査を調べてみた。すると、こちらは、「オタク」がサブで、「オタク」という言葉は「マニア消費者」という言葉の言い換えとして使われていた。そして、「マニア消費者」の特徴を次のように挙げていた。当然のことながら、元資料の方が面白いデータになっている。
上のように結論づけられた参考資料の「各分野のマニア消費者層の定義と特徴」が興味深かった。「アニメマニア」とは「 TVアニメやOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)、アニメ映画の視聴を日課とするアニメ好きな層」、「アイドルマニア」とは「 特定のアーティストやタレントに対して強いあこがれや共感を持ち、情報収集や応援活動を生活の中で高い優先度で積極的に行う層」、「コミックマニア」とは「 同人誌即売会に参加する、あるいは同人誌を執筆する層」、「ゲームマニア」とは「生活時間のほとんどをゲームに費やしているヘビーユーザー」、「組立PCマニア」とは「文書作成などPC本来の使用目的を忘れ、組み立てる行為が目的化している層」というように定義されている。勿論、それぞれについて、もう少し詳しい、特徴の説明がある。朝日新聞の記事では、最後の「組立PCマニア」は、「オタク」からはずされている。
なぜこうなったのか。おそらく、朝日新聞の記者は「コンテンツに関連する4分野(アニメ、アイドル、コミック、ゲーム)の産業全体の市場規模は約2兆3,000億円であり、このうちマニア消費層の割合は、金額ベースで11%を占めることになります。」という所に反応したのだ。私なら、「マニア消費者層はインターネット利用率と情報発信能力が高く社会的影響力が強いことや、関連する分野をまたがり集団を形成していることも明らかになりました。」の方に反応する。
朝日新聞は「オタク」を単なる消費者としか見ていないのだ。私なら、「オタク」は単なる消費者ではなく、社会的影響力の強さのほうを重要視する。「組立PCマニア」という項目は、極端な例のようだが、他のマニアはおそらく、インターネットや情報発信のためのツールなどにも凝っているはずだ。そうすると、この「コンテンツ」に直接関係しない、「組立PCマニア」も「コンテンツ」づくりと何らかの関係がありそうな気がしてくる。
要するに、野村総研の調査結果を「量的」なものとして捉えるか、「質的」なものとして捉えるかが、分かれ目のような気がする。朝日新聞は、もっと「オタク」をお客さんとして大事にしなさいといっているように見える。しかし、政府のいっている「日本が海外に誇れる強い産業分野」である、「アニメ」や「携帯文化」などが、「オタク」によって、作り出されているということがポイントのような気がする。宮崎駿を「オタク」といわないかも知れないが、彼は本来「オタク」であった。私なら、もっと「オタク」をクリエーターとして大事にすべきだと思う。
というより、問題は「オタク」ではなく、「コンテンツ」を創造し、享受している層が変化していると考えたほうが良いと思う。「オタク」とか「マニア」とか、要するに「生産と消費」の中心に彼らがいるということは、「生産と消費」そのものが変化してきたということであり、それ以上でも以下でもない。いつの時代でも「ファン」はいるのであり、大量消費社会では、大量に生産されたものは一般大衆が関わり、少量に生産されたもので根強い人気のあるものには熱烈な「ファン」が関わっているのだ。だから、多品種少量生産の時代には、「オタク」とか「マニア」の消費量が割合的には増加する。それとも、「オタク」や「マニア」も、大量に生産されるのだろうか?
■各分野に占める「オタク」の規模
分野 人口 年間消費額 その市場全体に対するシェア
アニメ 20万人 10万円 13%(200億円)
アイドル 80万人 7.5万円 2%(600億円)
コミック 100万人 10万円 16%(1000億円)
ゲーム 80万人 約10万円 約5%(780億円)
(消費額は1人当たり。野村総合研究所推定)
報告書は、オタクを「特定の趣味分野に生活の時間や所得の多くをかける人たち」と定義。「アイドル」であれば、ファンクラブ組織から中核的な会員を抽出。「コミック」では、同人誌の即売会参加者数や発行部数を参考に愛好者人口を計算した。また、一人ひとりの年間消費額も業界団体などが実施したアンケートや小売店への聞き取りからはじき出した。
私は、野村総合研究所が「特定の趣味分野に生活の時間や所得の多くをかける人たち」を「オタク」と定義しているのかと思って、野村総合研究所サイトから「オタク層」の市場規模推計と実態に関する調査を調べてみた。すると、こちらは、「オタク」がサブで、「オタク」という言葉は「マニア消費者」という言葉の言い換えとして使われていた。そして、「マニア消費者」の特徴を次のように挙げていた。当然のことながら、元資料の方が面白いデータになっている。
……マニア消費者層はインターネット利用率と情報発信能力が高く社会的影響力が強いことや、関連する分野をまたがり集団を形成していることも明らかになりました。この層は、「独自の価値観に基づいて、金銭および時間を優先的に配分する消費行動」、「自己流の解釈に基づく世界観の再構築と二次的創作活動」、を繰り返しながら、理想像を追求しています。つまり、マニア消費者層は、購買意欲が高いだけでなく、コミュニティー形成の核、次世代技術の革新の場、新商品の実験対象としての価値も高く、近未来の商材を見極める意味で産業的視点からの期待される役割が大きい母集団であると言えます。
上のように結論づけられた参考資料の「各分野のマニア消費者層の定義と特徴」が興味深かった。「アニメマニア」とは「 TVアニメやOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)、アニメ映画の視聴を日課とするアニメ好きな層」、「アイドルマニア」とは「 特定のアーティストやタレントに対して強いあこがれや共感を持ち、情報収集や応援活動を生活の中で高い優先度で積極的に行う層」、「コミックマニア」とは「 同人誌即売会に参加する、あるいは同人誌を執筆する層」、「ゲームマニア」とは「生活時間のほとんどをゲームに費やしているヘビーユーザー」、「組立PCマニア」とは「文書作成などPC本来の使用目的を忘れ、組み立てる行為が目的化している層」というように定義されている。勿論、それぞれについて、もう少し詳しい、特徴の説明がある。朝日新聞の記事では、最後の「組立PCマニア」は、「オタク」からはずされている。
なぜこうなったのか。おそらく、朝日新聞の記者は「コンテンツに関連する4分野(アニメ、アイドル、コミック、ゲーム)の産業全体の市場規模は約2兆3,000億円であり、このうちマニア消費層の割合は、金額ベースで11%を占めることになります。」という所に反応したのだ。私なら、「マニア消費者層はインターネット利用率と情報発信能力が高く社会的影響力が強いことや、関連する分野をまたがり集団を形成していることも明らかになりました。」の方に反応する。
朝日新聞は「オタク」を単なる消費者としか見ていないのだ。私なら、「オタク」は単なる消費者ではなく、社会的影響力の強さのほうを重要視する。「組立PCマニア」という項目は、極端な例のようだが、他のマニアはおそらく、インターネットや情報発信のためのツールなどにも凝っているはずだ。そうすると、この「コンテンツ」に直接関係しない、「組立PCマニア」も「コンテンツ」づくりと何らかの関係がありそうな気がしてくる。
要するに、野村総研の調査結果を「量的」なものとして捉えるか、「質的」なものとして捉えるかが、分かれ目のような気がする。朝日新聞は、もっと「オタク」をお客さんとして大事にしなさいといっているように見える。しかし、政府のいっている「日本が海外に誇れる強い産業分野」である、「アニメ」や「携帯文化」などが、「オタク」によって、作り出されているということがポイントのような気がする。宮崎駿を「オタク」といわないかも知れないが、彼は本来「オタク」であった。私なら、もっと「オタク」をクリエーターとして大事にすべきだと思う。
というより、問題は「オタク」ではなく、「コンテンツ」を創造し、享受している層が変化していると考えたほうが良いと思う。「オタク」とか「マニア」とか、要するに「生産と消費」の中心に彼らがいるということは、「生産と消費」そのものが変化してきたということであり、それ以上でも以下でもない。いつの時代でも「ファン」はいるのであり、大量消費社会では、大量に生産されたものは一般大衆が関わり、少量に生産されたもので根強い人気のあるものには熱烈な「ファン」が関わっているのだ。だから、多品種少量生産の時代には、「オタク」とか「マニア」の消費量が割合的には増加する。それとも、「オタク」や「マニア」も、大量に生産されるのだろうか?