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電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「飲みニケーション」の消滅

2004-08-21 10:10:40 | 生活・文化
 最近、ほとんど会社の同僚と酒を飲みに行くことがなくなった。もちろん、同僚とだけでなく、上司や部下ともほとんど飲みに行かない。しかし、大学時代の同級生で名古屋でプロダクションをやっている友人とは、どちらかが出張で、時間ができるとよく飲む。いろいろな飲み屋へ行くが、若者が少なくなっているのも事実だ。また、集団でわいわい騒ぎながら飲んでいるものも少なくなっている。

 そんなことを感じていたが、今日の朝日新聞のbeで、面白い記事を見た。「最近の若いやつは…酒を飲まないのだ 酔っぱらいはダサい!?」という記事だ。確かにデータを見ていると、20代の飲酒率が右肩下がりだということが分かる。女性のジグザグ型は何を表しているのか分からないが、全体としては右肩下がりになっている。

 一応、私の想像していたのは、不景気ということだ。不景気による消費の減少である。その上、不景気であるにもかかわらず、インターネットや携帯電話の普及による時間の使い方の変化とお金の支出の増加が加速している。本を読まなくなったことと同じ要因が、酒にも現れている。若者が本を読まなくなったといわれ始めてから、もうすでに久しい。
 
 ところで、朝日新聞の記事では、若者の酒離れを、お金の問題より、最近の若者の行動様式と価値観の変化が要因だという指摘が紹介されている。

……酒の三つの効用を必要としなくなったというのだ。三つとは、(1)仲間との連帯感を深められる(2)自分を忘れてバカになれる(3)ストレスを発散してリフレッシュできる。

 (1)は携帯電話やメールの普及で人間関係が広く浅くなったこと、(2)はネット仮想空間の発達で酒の力を借りなくてもバカになれるようになったことが理由という。

 (3)は、根が深い。酒を飲んで日ごろの留飲を下げられるのは、経済が右肩上がりの年功序列社会で、今を耐えれば将来は良いことがあると思えたからだ。それがもはや通用しない。こうなれば会社などのタテ社会のストレスに耐える気もなくなる。逆に酒を飲んだところでストレスは解消されず、リフレッシュにもならない。

 この指摘は、博報堂生活総合研究所の原田曜平研究員の指摘だが、まともな分析だと思う。おそらく、若者たちは、不景気の中で賢い消費者になりつつあるのだ。これに対して、サントリーRTD事業部の和田龍夫企画部課長は、次のようなコメントを寄せている。

「彼らがムチャ飲みして酔っぱらいにならないのは、酔っぱらいをダサいと思っているからです。陰で上司の悪口を言って憂さを晴らすような姿が、目前の障害に正面から向き合わず逃げているように映るのでしょう。彼らなりに逃げないようにしたら、結果的に酒離れになったんじゃないですか」

 なるほど、多少は希望的な観測ではあるが、そうかもしれない。しかし、私には、次のような事実の指摘の持つ意味の方が大きいように思われる。要するに親密であればあるほど、酒は美味しいのだ。もっとも、これは、若者だけでなく、全ての年代のおいてそうなのではないかと思われる。現に、私も、仕事で飲むことを除けば、同じような傾向がある。

……宝酒造が2月に20代・30代の独身男女を対象に行った調査によると、飲酒を伴う外食によく行く相手は「学生時代からの知人」が73%、「恋人」が62%。一方、「同じ部署の同僚」は30%、「同じ部署の上司」は17%に過ぎなかった。「飲みニケーション」は消滅しつつある。


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アテネ・オリンピック

2004-08-20 08:51:00 | スポーツ・ゲーム
 金メダルに一番近い男と言われた井上康生が、メダルを取れなかった。彼の呆然とした姿が、とても印象的だった。オリンピックは参加することに意義があると言われてきたが、誰もそんな話は信じていない。朝日新聞の記事を読んでみると、井上康生は負けるべくして負けたような気がする。

……6月中旬、師匠でもある父、明さん(57)は出げいこ先の福岡大学に、日本のエースである息子を訪ね、目を疑った。

 「疲労もピークで、点滴を打ってやっていた。絶句しました」。右腕がけいれんし、畳の上をはっていたという。

 「心配せんでくれ。よくあることだから」と息子は笑った。「頂点に立ち続けるのはこれほど過酷なのか」と父は感じた。そして、まるで大学生のように自分の体をいじめ抜く息子に言った。「26歳なんだから、無理をするな。年齢に合わせた柔道をやれ」

 それでも井上は、若いころの自分を追い求めた。練習では周囲が止めに入るほど息をあげ、シドニー五輪のビデオを見て「無心に戻りたい」とつぶやいた。一方で、日本選手団主将の大役を二つ返事で引き受けた。「心の刺激にしたかったのだろう」と恩師の佐藤宣践・東海大師範は見る。

 もちろんこれは、負けた後で書かれた記事だ。もし勝っていれば、新しい伝説が生まれたかもしれない。

 私の一番のお気に入りは、卓球の福原愛だ。彼女は、もちろんオリンピックでもっと勝ちたかったに違いない。その悔しさでまた次に立ち向かっていくだろう。しかし、私が、福原愛をたとえ負けても、すがすがしい気持ちで見ていられたのは、おそらく彼女の若さのせいだとおもう。

 オリンピックを見ていると分かるが、スポーツ競技のピークというのは、20台後半だ。そして、10台の後半から、30前後までが大体金メダルと取ることになる。そして、それは、自分の年齢との戦いにもなる。そのことが、若い選手を明るくさせ、もうこれで最後だと思われる選手を暗くしているように思われる。そういう意味では、アーチェリーの山本博が41歳で銀メダルを取ったというのは、快挙だと思う。彼は、20年前のロサンゼルスオリンピックに参加しており、そのときは銅メダルだった。埼玉県の大宮開成高校の山本先生は、必ずメダルを取って帰ってくると生徒たちに言ったそうだ。でも、この先生なら、メダルを取れなかったとしても、きっと明るい顔で帰ってきそうな感じだ。

 最近は、オリンピックに参加して勝負を楽しんできますと、平気で言うようになってきた。それは、多分良いことだ。日本民族の悲願だとか、国の名誉だとか言う前に、素直にお世話になった人たちにお礼をいう精神は、すがすがしい。オリンピックを楽しむという言葉が言えるようになったのは、おそらく、オリンピックがアマだけのものでなくなったことによることが大きいと思う。プロの選手が参加することにより、観客を楽しませるようになったからだ。観客を楽しませることが自分が楽しむことにつながるようになったとき、きっと、スポーツがハングリーなものでなくなったときだと思う。

 シドニーの時に、高橋尚子が見せた走りあたりから、日本人も、スポーツをハングリーな戦いから、新しい地平へと進めてきたように思われる。そして、個人の超人的な努力を個人の努力として認めるようになったのだと思う。また、柔道の谷亮子を支えるトヨタ自動車、平泳ぎの北島康介を支える「チーム北島」と呼ばれる人たち。個人の才能を早くから認め、強化チームが作られるようになった。そして、彼らはスターへと変身していく。

 残念なのは、まだ、全ての競技を詳しくテレビで見られないことだ。日本人が決勝に進むか、よほど話題のある場合を除いて、私たちがほとんどテレビで見られないスポーツもあるというのは、とても残念だ。そのスポーツの戦いを見て、明日の日本人がそれに挑戦するかもしれないというのに。もっとも全てを見られるほど暇でないのも事実だが。


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森林公園・ウォーターランドプール

2004-08-19 20:59:03 | 日記・エッセイ・コラム
 昨年は、やはり夏休みの今頃、時々ぽつりぽつりとしていた空模様の中で、サイクリングで森林公園を一周した。約14Kmあり、途中昼食を取ったり、休憩したり、見学したりと約3時間のコースだった。

 今年は、天気も良いので、昨晩決断して、プールに行くことにした。森林公園のWebサイトはあるのだが、プールの状況よく分からない。しかし、妻の友人から、天気が良ければ、穴場だと言われ、9時半に家を出る。

 狭山・日高・飯能から圏央道に入り、関越自動車道を通り、東松山で降り、「熊谷東松山道路」を熊谷方面へ向かう。真っ直ぐ進むと、まず森林公園南口の看板があり、その次に、北口・中央口の看板がある。事前の地図情報により、西口に入る。西口にはいるとすぐに、大きな駐車場がある。まだ、20台くらいしか止まっていなかった。

 運良く、30周年特別割引というのをやっていて、大人1800円(普段は2200円)、子ども800円(普段は1000円)で入場できた。この中には、森林公園内の入場料もは行っている。中に入って、びっくりした。森林に囲まれたゆったりしたプールがあった。プールの周りには、パラソルがつけられるデッキがかなり用意されていた。東京にいるときは、夏休みなると毎日のように豊島園に通っていたが、豊島園より、気持ちの良いところだ。もちろん、土日になると多分また違った様相を見せるかもしれない。

 妻と子ども私の三人は、ゆったりとした気持ちで、泳いだり、本を読んだり、飲んだり、食べたり、優雅な1日だった。仕事のことも忘れ、愛も憎しみも忘れ、というか、いろいろな感情が全て中性になり、あたかも時間だけがゆったりと流れるのが感じられるようなひととき。そういうときは、必ず必要だ。人間の感性は、そんなに強くなく、壊れやすい。特に今の時代は、時間に追われ、時間が人間を支配しているような感じだ。そういう時間は、いろいろなチャンネルを通じて、いろいろな情報となってやってくる。

 プールには、10時半から3時頃までいた。こんなに近くに、こんなに優雅なプールがあるとは、知らなかった。おそらく、これから、毎年くることになるだろう。パラソル付のデッキは、3000円かかった。これは、豊島園でも同じくらいだった。もちろん、豊島園より、日陰は多いので、パラソル付のデッキ以外でも涼しい場所は沢山ある。

 というわけで、天気のいい、暑い夏にはおすすめのコースだ。森林公園のHPには、プールの紹介が少ないので、フォトアルバムを作った。

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映画「世界の中心で、愛をさけぶ」を観る

2004-08-18 18:23:11 | 文芸・TV・映画
 突然、子どもが映画を観たいと言いだし、昼頃から入間市の「ユナイテッド・シネマ入間」に行くことになった。子どもが観たい映画は、「金色のガッシュベル!! 101番目の魔物」。妻は、丁度水曜日でレディースデーだから、子どもと一緒に映画を観ても良いということになり、私は1人で「世界の中心で、愛をさけぶ」を観ることした。

 1人で純愛映画を観ることが、妻に対してなんとなく後ろめたい気がした。さすがに、この映画のピークが過ぎていたので、館内は空いていた。私の隣には、丁度、映画の主人公(朔太郎と律子)より少し若い恋人同士がいた。その隣に座っているのも、何となく気恥ずかしい気もした。

 原作は、少し前に読み終えた。原作とはかなり異なった映画だったが、映画の主題は、朔太郎がどのように「亜紀との関係」の「後かたづけ」をするかが、テーマだったと思う。ヤフー・ジャパンの映画の紹介サイトがあるが、一応掲載期間が2004年3月19日~2004年7月30日となっているので、おそらくもうすぐ消える可能性がある。そこから、少し引用しておく。

……映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」では、小説ではほとんど語られることのなかった、成長し大人になった主人公・朔太郎のストーリーを大幅に追加。映画のオリジナル部分である「現在の愛との対峙(たいじ)」と原作小説にある「過去のアキとの甘くせつない純愛」が織り成すアンサンブル・ストーリーとして再構築されている。

物語は、大人になった朔太郎(大沢たかお)の婚約者・律子(柴咲コウ)が失跡するところから始まる。律子の行き先が四国だと知り、そのあとを追う朔太郎だったが、そこは初恋の相手・アキ(長澤まさみ)との思い出が眠る場所でもあり、朔太郎はしだいにその思い出の中に迷い込んでしまう……。

サク(高校時代の朔太郎:森山未來)とアキの初恋は甘く淡いものだった――二人は一緒にラジオ番組に投稿したり、ウォークマンで声の交換日記のやりとりをしたり、無人島への一泊旅行をしたりと、二人にとってはすべての一瞬が永遠のように感じられた。

ところがアキが不治の病であることが発覚し、運命が急転する。懸命に生きようとするアキだが、直面する現実は避けられない。一方、サクは、アキのあこがれだったオーストラリアの神聖なる土地・ウルルにアキを連れていく計画を思いつく。しかし病院を抜け出した二人は、空港に向かうも、アキは飛行機に乗ることなくロビーで倒れてしまう……。

ところがアキが不治の病であることが発覚し、運命が急転する。懸命に生きようとするアキだが、直面する現実は避けられない。一方、サクは、アキのあこがれだったオーストラリアの神聖なる土地・ウルルにアキを連れていく計画を思いつく。しかし病院を抜け出した二人は、空港に向かうも、アキは飛行機に乗ることなくロビーで倒れてしまう……。

――現在。思い出の迷宮をさまよう朔太郎と律子は、やがて、隠れていた「真実」を手繰り寄せる。そして、かつて伝えられることのなかったアキの最期のメッセージが、十数年の時間を超えて朔太郎のもとへ届くこととなる……。

愛する人の死。未来を紡ぐ愛――
愛する人の「死」と生きていくために渇望する「愛」が織りなす、純愛タペストリーの誕生。

 原作では、かなり頻繁に朔太郎と亜紀は会っていたが、映画では、余り会えなくて、その代わり、カセットテープに声を録音して、それを近くの病室に入院している女性の子どもの小学生に届けてもらうことになっている。亜紀が、死ぬ直前に最後のテープをその少女に託すが、少女は車にはねられてしまう。そして、そのまま入院し、片足が不自由になり、テープを渡さないまま持っていることになる。その少女こそ律子であり、そのテープが律子が昔着ていた洋服のポケットに入っていた。

 朔太郎との結婚式を前に、部屋の片づけをしていた律子は、自分が小さかった頃着ていた服の中に入っていたテープを見つける。テープを聴いて、テープの中の相手が、自分の婚約者の朔太郎ではないかと考え、四国の朔太郎と亜紀が通っていた学校へ行ったのだった。やがて、朔太郎は、叔父の写真館にきた律子と連絡がとれ、律子がテープを運んでくれていた小学生だと知る。そして、二人で、オーストラリアのウルルに行く。そこで、朔太郎は亜紀の最後のテープを聴き終えてから、律子の目の前で、灰になった亜紀を風に飛ばす。

 試写会後のインタビューで、作者の片山恭二さんは、次のように語っている。

Q. 映画はいかがでしたか?

 小説の精神やエッセンスが随所に散りばめられながらも、小説とはまた違った映像世界が誕生していました。小説のなかで描かれているシーンと、小説にはない映画独自のシーンとが相互に補い合う感じで、決してぶつかっておらず理想的な感じがしました。正直、期待はしていたのですが、その期待以上の素晴らしい作品だと思います。

 私は、小説より面白い作品になっていると思った。おそらく、私がそのように思ったのは、映画では、亜紀の両親が朔太郎が秋を連れ回していたこと許していなかったことになっているし、オーストラリアへ行ったのが、両親とではなく、婚約者の律子とだったことによると思う。原作を読んでいたせいか、私は、泣かなかった。もちろん、原作でも泣かなかった。原作では、虚ろなままの朔太郎がこの先、普通に生きていけるのかどうかそちらの方が心配だった。それに対する一つの解決の仕方を、行定勲監督が出してくれた。

 なお、私の隣の二人は、しっかりと泣いていた。彼女の方がハンカチを取り出して、自分の涙と相手の涙を拭いていた。

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我が家の家紋

2004-08-17 22:59:46 | 日記・エッセイ・コラム
 我が家の家紋を意識した最初は、母親がなくなったときだ。墓石を立てるために家紋を必要とした。そのときに、私は自分の家の家紋が「丸に立ち沢瀉」だとはじめて知った。昔、父に我が家の先祖は武田につながる家系だといわれたことがあるが、それでてっきり、「たけだびし」が我が家の家紋だと思っていた。ただ、その話は二転三転して、最後は源氏の落ち武者だという話になった。確かに、岐阜県の下呂の近くに、父の実家があり、そこはそのの半分が同じ姓だった。

 その次に意識したのは、妻と結婚したときだ。紋付袴というが、妻の着物の紋は、私の家の紋と同じ「丸に沢瀉」だった。これは、妻の亡くなった父の墓参りの時に、知った。妻の実家は、埼玉県の日高市である。その後、妻と妻の母親を私の実家の母の墓参りに連れて行ったとき、義母が驚いていた。もちろん、お寺の方は違っている。妻の実家は、真言宗であり、私の実家は臨済宗妙心寺派である。というわけで我が家の家紋は、「丸に沢瀉」である。

 ところで、「沢瀉」の家紋については、播磨屋さんの「家紋World」に詳しい。

……オモダカは、池や沢などに自生する水草で。愛らしい花が咲く。その昔、この植物を「勝ち草」といって、戦いに勝つことにかけていたという。葉の形が矢ジリに似ている、また、沢瀉威の鎧ということばもあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とよんだという。毛利氏も副紋にこの「沢瀉紋」を使用している。(丸に立ち沢瀉)


 家紋というのは、世界的に見れば、紋章の一種であるが、日本の家紋は、特殊である。家紋は元々、平安時代の貴族の車が、誰のものか区別がつくように作られたのが始まりだと言われているが、その後、武士の時代になると、合戦の時に自分が誰だか明確に示すために、旗や武具に紋章をつけるようになって普及したという。

 伊沢元彦さんの『逆説の日本史 8 中世混沌編』(小学館文庫)を読んで面白い記述に出会った。

……江戸時代になると、庶民の階級まで家紋は普及した。庶民でも婚礼の際には「紋付袴」を着た。「紋付」と言えば家紋(紋所)をつけた羽織のことだが、「羽織袴」という代わりに「紋付袴」という言葉が通用するほど、家紋は普及していたのである。姓の無い家はあっても、家紋の無い家はない。どうしてもなければ、氏子となっている神社の紋を代用したり、新たに作ることもできた。たとえば歌舞伎役者の家紋は、従来からある紋に一工夫加えて、華やかを強調したものが多い。
 庶民が勝手に姓を名乗ることにはうるさかった幕府も、葵の紋など一部の特赦の紋を除き、紋の使用には寛大だった。(P463)


 私の家も妻の家も、そういう意味では、由緒のある紋ではあるが、出自が由緒正しいかどうかは、よく分からない。

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