今年の大河ドラマは藤原道長と紫式部が活躍した平安時代ですね。
平安の都といえば京都。
現在の京都御所は当時の内裏より東側にありますが、今も雅やかな風情を感じることができます。
今日はそんな様子を少しだけご紹介しますね~
現在、京都御苑には京都御所の他、京都仙洞御所、京都迎賓館の建物があり、申込で参観できます。
いつでも参観可能な場所として、総合案内所にもなっている閑院宮邸跡と桂宮邸跡があります。
こちらは京都御所の建礼門です。
ハト!
で、今日のトピックスはというと、これらの観覧場所ではなく、昔の公家屋敷跡です。
京都御苑のマップを見ると、「有栖川宮邸跡」、「鷹司邸跡」などの文字が目に付きます。
京都御苑に行ったことがなかったころは、これを見て何か遺構が残っているのかと思っていました。
実際には、松をメインに、色々な木々が植わっているのみ。
森でもないし、庭でもないし、中途半端やな~と最初は思いました。
(今思えば失礼なことです)
でもよく見ると、こんな立て札が・・・
ん?と思い読んでみると・・・
なんと、ここがあの藤原道長の邸宅、土御門邸跡でした。
のちの一条天皇や後朱雀天皇がここで誕生し、「この世をば我が世とぞ思う」の歌もここで詠まれたとか。
いや~感慨深いですね。
そう、ここは実際に見学して楽しむというより、想像力を働かせて楽しむ場所でした。
こちらの神社はというと・・・
795年、藤原冬嗣の自邸であった東京第に宗像三女神を勧請して祀った宗像神社です。
鳴くよ(794)ウグイス平安京ですから、まさに平安遷都当時からあった神社なんですね。
境内にはかすかに春の気配。
と思ったのですが、期待していた梅はまだ蕾が堅く、残念!
ということで、うろ覚えでロウバイやウメの木のある場所に行ってみると・・・
スズメがいました。
ウメの花はというと・・・ほんの数輪が咲き始め。
ロウバイも・・去年はもっと沢山咲いていたんですけどね~
代わりにサザンカは結構まだ残っていました。
こちらの紅白のサザンカは・・・
西園寺邸跡でした~
元々、金閣寺のある土地に別荘があったそうなのですが、江戸時代にこちらに移されたそうです。
元々音楽神弁財天を祀っていたこともあり、東京遷都後、跡地に白雲神社が建てられました。
(前に少しだけ詳しく説明しています→こちら)
近くにあった、ピンクのマユミの実です。
京都御所の南西の塀の近くに大きな木が見えてきました。
看板もあるので、有名な木なのでしょうか。
こちらの木は、「清水谷家の椋」。
ムクノキだったんですね~
樹齢300年、この辺り、清水谷家という公家の邸宅で、その庭にあったそうです。
そろそろ帰る時間が近づいてきました。
最後の最後に、松の木で今日あまり見られなかったシジュウカラとヤマガラ発見。
う~ん、証拠写真程度でしたね。
今回の鳥果は今一つでしたが、のんびり楽しく過ごせました。
最後に、京都御苑についてのおさらいです。
京都御苑についてもっと詳しく知りたい方はご覧くださいね!
<ご参考:京都御苑おさらい> 一般財団法人国民公園協会のHPから引用(一部省略)
京都御所は平安時代から明治に至るまで千年以上にわたり天皇がお住まいになり、政事を行った所であり、京都は長い間日本の「都」でした。
江戸時代末期には京都御所を囲むように公家屋敷街が形作られていましたが、明治維新を迎え京都から東京(江戸)へと都が移り、それに伴って天皇と公家たちも東京へと移り住んでしまいました。
そのため御所と公家屋敷街は一時期荒れ果てましたが、明治天皇のお考えもあり、大内保存事業が開始され、
公家屋敷街一帯は建物を取り払って樹木などを植えて公園化し、新たに「京都御苑」として生まれ変わりました。
戦後、京都御苑は広く国民に開かれた公園となるように、訪れる人々のために休憩所、児童公園や運動施設などが苑内に新たに整備されました。
現在では、京都御所、京都大宮・京都仙洞御所、京都迎賓館を含む緑豊かな約100ヘクタールに及ぶ広大な敷地は、九門五口の出入口がある公園として、国内、海外から訪れる観光客や身近な市民の憩いの場として、広く親しまれています。
【撮影:2024/1/14 京都御苑】