上野千鶴子氏に聞いた「美しい人に『美人』と言ってはいけない理由」
2021/12/25 07:15
2021年は、「女性蔑視」が厳しく追及される騒動が続いた。五輪組織委会長だった森喜朗氏は「女性がたくさんいる理事会は時間がかかる」と発言して辞任に追い込まれ、静岡県の川勝平太知事も「学力と容姿」結びつけた発言で大炎上した。女性蔑視は許されないが、違和感があったのが、福島県相馬市長の立谷秀清氏が連合の芳野友子会長を「美人会長」と呼んで謝罪に追い込まれた一件ではなかったか。前後の文脈を含めて批判されたとはいえ、そもそも女性を「ブス」と貶めるのではなく、「美人」と称えることの何がいけないのだろうか? ジェンダー研究で知られる東京大学名誉教授の上野千鶴子氏に、率直に質問をぶつけた──。【前後編の前編、後編は〈上野千鶴子氏、ルッキズムをやめられない男性に「地域社会で排除される」〉】
上野氏は「美人」発言の問題点について「すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然のことですよね」と指摘したうえで、次のように説明する。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは、“褒める”という行為でも同じこと。
たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利、アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」
それならば、女性が男性に「イケメン」などと言うことも問題視されるべきではないのだろうか。
「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」
-以下略-
「NEWSポストセブン」より
なんか変だと思う。
腑に落ちない。
書かれていることは、悪いことではない。
でも、受け付けない。
これが歳を取って時代に乗れなくなったということなのだろうか?
足が速いと褒めるのは多分OK
それって標準偏差で上位の人っていう意味では?
早いからと言って「優れている」と評しているわけではないし、優れていると評した時点で差別でしょう。
陸上界という一元社会で足が速いと褒めることはだめなのでしょうか?
足が遅いからダメと否定することは差別かもしれないが。
とにかく納得できないのは、
女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。
これは証明されている事実なのでしょうか?
感覚だけで事実は違うかもしれませんね。
「妻やガールフレンドと一緒に歩いている男」は「妻やガールフレンド」に100%、可愛いとか綺麗だって囁いていたはず。
そしてその時「妻やガールフレンド」はそれを聞いて、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快に感じたのかは疑問です。
要点は、誰に対して言うか、誰に対して言われたか、でしかないと思う。
言葉を発するときには、TPOを考えろ、でいいんじゃないのか?
イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。
これも勝手な思い込みです。
顔はコミュニケーションを図るうえで非常に重要です。
これをマイナー尺度のひとことで切られては困ります。
実際に大手企業の採用実績で日本だけでなく世界的に「美しい人」のほうが男女問わず高いと測定されたとの記事を読んだこともあります。
美しい、はプラスの感情を人に与えますから。
ほとんどの社会的活動で同じ行動をとった場合、より成果を出しやすくなります。
この人は、一元尺度を多元尺度に変える活動をしているのでしょうか?
今の社会が駄目、っていうのは誰にだってできます。
今、プラスチックが世界から目の敵にされていますが、30年前は、紙や木材を消費することが悪で、プラスチックは新しい未来を切り開く救世主でした。
「美しい」は感覚的なものなので反射的です。
「美しい」は考えてから「美しいと思う」ものなのではなく、見た瞬間の感覚で「美しい」のです。
それを表現するのにこねくり回してから言わないと社会的な悪になる、とは嫌な世の中になったものだと思います。
2021/12/25 07:15
2021年は、「女性蔑視」が厳しく追及される騒動が続いた。五輪組織委会長だった森喜朗氏は「女性がたくさんいる理事会は時間がかかる」と発言して辞任に追い込まれ、静岡県の川勝平太知事も「学力と容姿」結びつけた発言で大炎上した。女性蔑視は許されないが、違和感があったのが、福島県相馬市長の立谷秀清氏が連合の芳野友子会長を「美人会長」と呼んで謝罪に追い込まれた一件ではなかったか。前後の文脈を含めて批判されたとはいえ、そもそも女性を「ブス」と貶めるのではなく、「美人」と称えることの何がいけないのだろうか? ジェンダー研究で知られる東京大学名誉教授の上野千鶴子氏に、率直に質問をぶつけた──。【前後編の前編、後編は〈上野千鶴子氏、ルッキズムをやめられない男性に「地域社会で排除される」〉】
上野氏は「美人」発言の問題点について「すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然のことですよね」と指摘したうえで、次のように説明する。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは、“褒める”という行為でも同じこと。
たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利、アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」
それならば、女性が男性に「イケメン」などと言うことも問題視されるべきではないのだろうか。
「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」
-以下略-
「NEWSポストセブン」より
なんか変だと思う。
腑に落ちない。
書かれていることは、悪いことではない。
でも、受け付けない。
これが歳を取って時代に乗れなくなったということなのだろうか?
足が速いと褒めるのは多分OK
それって標準偏差で上位の人っていう意味では?
早いからと言って「優れている」と評しているわけではないし、優れていると評した時点で差別でしょう。
陸上界という一元社会で足が速いと褒めることはだめなのでしょうか?
足が遅いからダメと否定することは差別かもしれないが。
とにかく納得できないのは、
女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。
これは証明されている事実なのでしょうか?
感覚だけで事実は違うかもしれませんね。
「妻やガールフレンドと一緒に歩いている男」は「妻やガールフレンド」に100%、可愛いとか綺麗だって囁いていたはず。
そしてその時「妻やガールフレンド」はそれを聞いて、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快に感じたのかは疑問です。
要点は、誰に対して言うか、誰に対して言われたか、でしかないと思う。
言葉を発するときには、TPOを考えろ、でいいんじゃないのか?
イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。
これも勝手な思い込みです。
顔はコミュニケーションを図るうえで非常に重要です。
これをマイナー尺度のひとことで切られては困ります。
実際に大手企業の採用実績で日本だけでなく世界的に「美しい人」のほうが男女問わず高いと測定されたとの記事を読んだこともあります。
美しい、はプラスの感情を人に与えますから。
ほとんどの社会的活動で同じ行動をとった場合、より成果を出しやすくなります。
この人は、一元尺度を多元尺度に変える活動をしているのでしょうか?
今の社会が駄目、っていうのは誰にだってできます。
今、プラスチックが世界から目の敵にされていますが、30年前は、紙や木材を消費することが悪で、プラスチックは新しい未来を切り開く救世主でした。
「美しい」は感覚的なものなので反射的です。
「美しい」は考えてから「美しいと思う」ものなのではなく、見た瞬間の感覚で「美しい」のです。
それを表現するのにこねくり回してから言わないと社会的な悪になる、とは嫌な世の中になったものだと思います。