ポールオースターは僕の好きな作家で、その中でも「幻影の書」が一番好きだ。
この本には、いくつか開いた口が塞がらなくなるようなシーンがあるが、その中でもとびきり衝撃を受けたシーンがある。
ちょっと紹介する。
妻を亡くし、絶望で怒り狂っている男がいる。
アルマという女性が、その男をある場所に連れ出そうと説得している。
しかし、男は行かないと言う。アルマは震えながらピストルを向けて、一緒に来てくれと懇願する。
男は撃つなら撃て、と言う。
男はアルマの様子から、ピストルに弾が入っていないと感じる。
そして、男はアルマからピストルを奪い取り、自分の頭に突きつける。弾は入っていないと思って。
アルマは金切り声をあげて、やめてと言う。男はふざけやがってと思い、ピストルの引き金を引く。
しかし、引き金はピクリともしない。安全装置がかかっていたのだ。
ピストルには弾が入っていた。アルマがうっかり安全装置をかけたままにしていた。
もし、アルマが安全装置をしっかり外していたら、男は死んでいたことになる。
そのとき、自分が死の一歩手前にいたことに気づく。
ここまでは、よくある話かもしれない。
僕がびっくりしたのは、この次だ。
この危うく殺しあうことになった二人。
アルマは、銃口を向けたことに対して、後悔し、精神的に打ちのめされる。
男も落ち込んでいるアルマを見て、自分の気持が変化していくのを感じる。
そして、その後、キスをして、愛し合うことになる。
ええー、という急展開。
しばらくして、この奇想天外なシーンは、チェーホフの「熊」という短編小説のオマージュかもしれないな、と気づいた。
「熊」のあらすじも、簡単に説明する。
地主のスミルノーフという男が、若い未亡人に、死んだ旦那さんに貸していたお金と返してくれと迫る。
ところが女性は全く払おうとしない。そこで二人は大喧嘩になる。
しまいに彼は彼女に決闘を申し込む。彼女も受けて立つ。
男と女は互いに銃口を向ける。そのとき、スミルノーフは、突然、不思議な気持ちになる。
「これぞ女だ、本物の女だ」と。そしてスミルノーフはこの未亡人を好きになる。
スミルノーフは、妻になってくれと彼女に申し出る。そう言われた彼女も心が揺れ動く。
召使いたちが決闘を止めに入ると、二人は抱擁し接吻していた。
本当にこんなことがあり得るのだろうか?
恋愛に関して、吊橋効果というものがある。そのことを考えると、科学的にありうるのかなと、推測する。
吊橋効果とは、吊橋を渡ったときのように、不安や恐怖を一緒に経験すると恋愛感情になりやすいというものだ。
ピストルで殺し合うのは、究極の恐怖だ。
だから、その恐怖を経験した二人は、かなりの確率で、恋に落ちるのかもしれない。
どうだろうか?僕にはわからないが。
YouTubeにチェーホフの「熊」のラジオドラマがあったので、リンクを貼っておきます。
12分くらいです。よかったらどうぞ。 チェーホフ「熊」