今日はフランスの哲学者サルトルの言葉です。
サルトルは、「地獄とは、他人である」と言った。
最初、これを読んだ時、ハハハ、と笑ってしまった。
僕の中では、他人はそれほど怖いものではなくて、優しいという性善説のイメージがあったからかもしれない。
でも、よく考えると、深い言葉だ。
日本のような同質社会では、「話せば分かる」という前提がある。
しかし、考え方の全く違う人達、たとえば、違う文化圏の人たちと接すると、話しても全く分かりあえないということもありうる。
また、よく知っている人でも、よくよく本音で話し合うと、自分とは全く違う考え方の場合もある。
たしかに、人と分かりあえないことが、前提になると、「地獄とは、他人である」という言葉が意味を持ってくる。
じゃあ、価値観を全く逆にしてみようか。
つまり、「他人とは、まったく分かりあえない」ということを前提に、生きてみる。
すると、どうなるか?
今まで、長く付き合ってきた人でも、全然分かっていないことになる。
そう思った瞬間、真剣にその人のことを考えるようになる。
本当はいったい何考えてんだ?となる。
それで、それまで適当に話していたのに、今度はちゃんと会話するだろう。
僕も知り合いに、このブログを読まれて、全然違う人みたいと言われたことがある。
たぶん、僕の印象と、僕の文章のギャップが大きかったのだろう。普段はアホみたいにしてるから。
どんなに親しい相手でも、その人を知っていると思っているのは、幻想だ。
その人のすべてを知ることはできない。
だから、たまに価値観を逆転させるのも悪くないのかもしれない。