東京の土曜日は、自粛要請をするまでもなく、大雨だったので、外には出られなかった。
こういうときは、家で静かに読書するのがいい。
「死の家の記録」ドストエフスキー著 を読んでいた。
この本は、一応、小説の形式になっているが、ドストエフスキーの獄中記と考えていい。
ドストエフスキーは、思想犯として、逮捕され、死刑判決を受ける。
処刑当日、銃殺にされる直前で、皇帝の恩赦で死刑執行は中止される。
そのかわり、四年間のシベリア流刑になる。このシベリアでの獄中記が、この本である。
主人公(ドストエフスキーといってもいい)は貴族出身だ。貴族出身の囚人は敵意の目で見られる。
他の囚人たちは、普段の生活で、貴族にいじめらていたからである。
だから、最初、主人公は他の囚人たちにうまく馴染めない。
そんな獄中生活で、様々なタイプの囚人に出会う。
たとえば、ガージンという囚人は、普段はおとなしいが、酒を飲むと(監獄の中でもこっそり酒が飲める)突然暴れだす。恐ろしく屈強な体格をしていてるから、10人くらいの囚人が飛びかかって完全に気を失うまで殴る。普通の人なら死んでしまうのだが、次の日の朝、ケロッとした顔をして起き上がってくる。
こういった感じで、ろくでもない囚人たちが次から次へと出てくる。
でも、主人公は、徐々に心を開いていき、他の囚人たちと友好な関係を築いていく。
小説を読み進めていくとき、彼らは犯罪者だから全員がクズなんだと思うと、ちょっといろんなことを見誤る。
僕たち心の中にも、善良な部分もあるし、暗い闇もある。それは囚人たちと、ちっとも変わらない。
ドストエフスキーは、囚人たちの心の闇にだけにスポットライトを当てるのではなく、囚人たちの人間らしい善良な部分にも公平にスポットライトを当てる。
すごい人間観察である。そして、そこには常に温かい眼差しがある。
ドストエフスキーの小説は、宗教的である。
これは断言してもいい。それもテーマは愛についてである。
「君は、こんなクズみたいな人間たちを愛せるのか」と問われているのである。
小説を読み終わったあとに「許せ、愛せ、辱めるな、敵を愛せ」という言葉の意味が、心に響いてくる。
この「死の家の記録」に出てくる囚人たちは、のちのドストエフスキーの小説の登場人物になって出てくる。
ドストエフスキーの小説に出てくる登場人物は、みんな癖があり、弱さがあり、変なやつだが、最後にその人物を、なぜか愛してしまう。
それは作者であるドストエフスキーが、弱い人間たちを愛していたからである。
彼の小説を読むと、深い人間愛を感じてしまう。そして心が静かに揺さぶられる。
それはある種の宗教的経験といってもいいだろう。
家の中に閉じこもってたけど、まあ、こんな重い小説が読めたから、良かったかな。
ただ、正直言って、全部は読んでいません。長いからさ。一日では読めないよ。