昨日はヘーゲルの話をしました。
ヘーゲルはドイツ哲学のスターです。1770年生まれです。
ドイツ・クラッシク界のスターといえば、誰を思い浮かべますか?
スターはたくさんいますが、大スターといえば、ベートーベンでしょう。
実はベートーベンも1770年生まれです。
両者に面識があったかは不明です。
しかし、ベートーベンはヘーゲルから思想的な影響を受けていたのは間違いなさそうです。
昨日は 正・反・合の弁証法の話をしました。
実は、ベートーベンの交響曲第9番が、弁証法的なのです。
これは偶然ではないでしょう。
余談ですが、この世に完璧な出だしがあるとすれば、それは第九の出だしだと思います。
聴いた瞬間、魅了されてしまいます。
さっき聴きましたが、もうやられてしまいました。
それはそうと、第九の一楽章、二楽章、三楽章にはそれぞれテーマとなるフレーズがあります。
そのフレーズが弁証法と関係があります。
つまり、この各章のフレーズが、弁証法における正になるわけです。
あくまで、僕のイメージですが、第一楽章のテーマは、誕生です。
この世に生を受けた歓びです。
第二楽章は、成長です。どんどん人生を進んでいきます。
第三楽章は、平和な静寂。いろんなことを経験して、穏やかな境地に至ったようです。
しかし、第四楽章で、重苦しい旋律のチェロとコントラバスが、各楽章のテーマを否定していきます。
このチェロとコントラバスが反になります。
僕がさっき完璧な出だしたと言ったフレーズも、チェロとコントラバスに否定されてしまいます。
そして、それらのテーマを否定した後、あの有名な「歓喜の歌」が出現してくるのです。
否定という言葉は、すこし強すぎるかもしれません。
チェロとコントラバスは、「人生に満足しないで、まだまだこれからだから」と言っているのかもしれません。
その第四楽章のテーマ、歓喜の歌が、合になります。
第四楽章は、各楽章のテーマをアウフヘーベンし、この世に生を受けた歓びを表現しているです。
これらのことを頭に入れて、第九全体を聴くと、その構成がよく理解できます。
でも長すぎて聴く時間がないでしょうから、
各楽章のリンクを貼っておきましたので、出だしの一分くらい聴いて、
その上で、第四楽章の最初の五分だけでも、聴いてみてください。
そうすると、ベートーベンが弁証法的手法で、人生を語った壮大な構想に驚かれるでしょう。
ベートーベン 第九 第四楽章「合唱」【歌詞訳付】Beethoven's Ninth final movement