フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

クリスマスに思うこと

2020年12月26日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

クリスマスはキリストの誕生日だと思っていたのに、

「誕生日じゃないよ」って言われたときの「えええー」感は、

今まで信じていたことが、ガタガタと音を立てて崩れ落ちるようでした。

クリスマスは、あくまでキリストの誕生を祝う日、つまり降誕祭であって、

キリストの誕生日ではないそうです。

まあいいじゃん、細かいことは。

僕は無神論者(正確には、うっすらと神道と仏教を信仰してます)ですが、

クリスマスを祝うのは、とてもいいことだなと思っています。

だって、プレゼントでも、ケーキでもなんでもいいんですが、

そこに愛情表現があるじゃないですか。

みんな下手でしょ愛情表現が。

だから、そういうイベントが大事なんですよね。

そういうイベントがあるからこそ、照れくさくて表に出せない愛を表現できるのです。

ところで、最近、どんな形であれ、信仰は大事だと思い始めています。

何かを信じるということです。

僕は、なんだかんだいっても神道や仏教の価値観が染み付いています。

だからいろいろ救われているのかもしれません。

最近、ニーチェの言った「神は死んだ」という言葉の恐ろしさが、だんだん分かってきました。

ニーチェは神が死ぬとニヒリズムになると考えていたようですが、

ニヒリズムより、もっと恐ろしいことがあります。

例えば、アメリカ大統領選挙です。

保守は、キリスト教の価値観がバックボーンにあります。

だから、汚いことはできない。賄賂も受け取らない。ハニートラップにもかからない。

宗教上の理由からです。

しかし、リベラル(左翼)は無神論です。

そこに宗教的な縛りがない。道徳がないともいえます。

だから、簡単に不正をするし、賄賂も受け取るし、ハニートラップにもかかる。

また、共産党も無神論者です。共産党と民主党は親和性があるので、仲がいい。

今回の大統領選挙は、自由主義と共産主義との戦いだと言われますが、

もっと突っ込んで言えば、宗教的な価値観を持った人たちと無神論者との戦いとも言えますね。

そう考えると、ニーチェの「神は死んだ」という言葉がずっしりとのしかかってきます。

信仰を持った人たちは、汚いことができません。

だから、手段を選ばない人たちの餌食になってしまいます。

しかし、神様は見ています。陳腐な言い回しですが。

自分の利益だけを追求し、倫理観の欠如した人たちは、敗れるべきでしょう。

そして、必ずそうなります。

僕は、自分は無神論者だ、と言うのはやめます。

僕には神道と仏教があります。

だから、神は死にません、ニーチェさん。

101回目のプロポーズみたいですが。

コメント (4)
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