ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

秀吉は細かすぎる「上司」!?

2024-04-13 06:05:48 | 日記 地域
4月12日ちらっと龍野に行ってきました。

ピークは過ぎていますが,桜はまだきれいでした。
ただ・・・蜂?アブ?がたくさん飛んでいて・・・
でも,今回は,桜が目的ではありません。
4月10日の朝日新聞「ひょうご」版の記事
「秀吉は細かすぎる「上司」!?」を見て,どうしても展示中の秀吉の文書が見たくて,たつの市立龍野歴史文化資料館に行ってきました。
それがこちら(写真撮影可)(展示は4月20日まで)

民家で見つかったというこの文書は,天正12(1584)年脇坂安治に宛てた秀吉の朱印状です。
「へいはしら一本
 もち程成を五百
 本も千本もきらセ
 候へく候・・・
 不可有油断候・・」
そうです。この文書も秀吉の木材催促の文書です。
以前,2016-03に私が書いた「秀吉の手紙 その2  特別展「秀吉からのたより」」には,
「前半目立つのは,木材に関する朱印状。
 新聞にもあった通り,
 これでもか,これでもかと言うぐらい木材の催促が続きます。
 「木材ってそんなに重要ですか?」と(資料館の人に)尋ねると,
 きっぱり,
 「重要です。この時代は建築ラッシュです。
  江戸時代の初めには木材不足になります。」とのことでした。
 城や橋など土木工事そんな古文書がありました。」
と書いています。
そんな文書の一つです。
翻刻文も見ながら,じっくり読んでいきました。
くすっと笑ってしまいます。
脇坂さん,大変ですね。
2016年に買った図録は,古文書集とセットになっています。
ひさしぶりに読みなおそう!
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こんぴらさんへ

2024-04-04 11:11:01 | 日記
♪こんぴらふねふね・・・♪
ふねふね?
相生発10時27分の新幹線こだまに乗り,わずか16分で岡山に
岡山で乗り換え,11時5分発特急南風に乗り,
琴平着はなんと12時5分!!
相生からわずか1時間半余りで琴平に着いてしまうのです。
もちろん船に乗るわけでなく,瀬戸大橋をぴゅ~んと通ると,四国です。

さて,江戸時代
天明6(1786)年の西国巡礼が目的の『西遊紀行』によると,
著者は,伊勢参りの後和泉・河内・大和・京都・丹波・摂津の西国札所を巡り,播磨路の名所旧跡を訪ね,
その後,室津から船に乗り,明け方丸亀に着き,金毘羅参りの後善通寺に引き返して泊まり,
翌日,善通寺に参って丸亀から児島に渡って泊まったそうです。
安政4(1857)年の「道中安全帳」によると,
商人の田村善蔵は,伊勢参りの後,大和を巡り,住吉大社に参り,その後,大坂で芝居を見て夕方に金毘羅船に乗り,
丸亀には3日後の早朝に着き,金毘羅に参って,お札を受けた後,善通寺に参り,丸亀で泊まり,丸亀から児島に渡ったそうです。
(特別展「江戸時代庶民の旅~金毘羅参りと室津~」2015年)
そうです。
この特別展を室津海駅館で見てから,ずっとこんぴらさんに行きたかったのです。
そこにあった1枚の古文書
「船持中渡世につき嘆願」(文化13(1816)年,佐藤家文書)
けっこう読みやすい文書で,当時,翻刻文や解説も見ながら,かじりついて読んだことを覚えています。
室津の渡海船業者が網干などの業者に客をとられて困窮している,と嘆願している文書です。

それから約9年
2024年4月2日
やっとこんぴらさんに行きました!
続きは後日・・・


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メモ;歴博・町家の日・太子町立歴史資料館・公民館歴史講座

2024-03-21 12:03:50 | 日記 地域
寒いですね。今朝は,車の上に
ほんのちょっぴり雪。
            でも,一方で, 我が家のさくらんぼの花です。
久しぶりの更新となりました。まとめて書きます。

2月17日土曜日,兵庫県立歴史博物館でまず,コレクションギャラリー展示「的形の近代 塩田経営文書から」
 写真は,「賃金前借り証」(写真撮影可)
塩田ではさまざまな作業があり,雇用形態も1年ごとの年間雇いや日雇いなどもあり,この史料は1年単位で雇われた労働者と経営者の契約文書だそうです。年間の給料を前借りで受け取るとは,ビックリです。
コレクションギャラリーを見たのち,神戸史学会の授賞式&講演会に出席。
私の高校の時の先生(89歳)と現在の先生(90歳)が,それぞれ神戸史学会賞,落合重信記念賞を受賞されました。

3月2日土曜日,町家の日in網干
時間の都合で,すべてをまわることはできませんでしたが,興味深かった2か所
ある民家のおひな様です。
江戸時代のものだそうで,染料が色落ちしています。
明治以降だと海外からの染料になるのでここまで色落ちしないそうです。 
  瀬戸内独特の振袖びなです。

次に鍛冶六&カナイ電気

見学は鍛冶六のみです。
明治中期に永尾氏が鍛冶屋をはじめました。屋号鍛冶六。その後,金物商になります。永尾金物店三代目が大正年間に店内を改装。回廊や洋風応接間,地下室等をつくりました。
平成になり空き家となりますが,令和5年によみがえりました。

3月7日木曜日,太子町立歴史資料館古文書初級講座最終回
1月から4回にわたって行われた古文書講座が終了しました。
いろんな史料を読みましたが,私のお気に入りは,天保9年の巡見使の記録です。
太子町内の龍野藩の大庄屋さんの文書です。
いつか「松ヶ下庄屋日記」(だったかな?)を全部読みたいです。

3月16日土曜日,網干公民館歴史講座「写真で見る網干の歴史~写真資料の種類と見方」
講師はよく知っている人だったし,おもしろそうな気がしたので参加。
私のお気に入りは,網干小学校所蔵写真のうち,網干高等小学校の卒業集合写真(明治~昭和)です。ファッションの変遷,制服の登場(昭和8年)など世の中の動きが現われているように思いました。

イッキに1か月分書きました。
現在の先生の「あなたはまだ30年できる」という言葉を信じて(?)頑張ります!
次の宿題があります!
今回の更新はそろそろ終わりにしましょう。




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駿府城・江戸城・姫路城

2024-02-22 11:14:06 | 日記
静岡,東京観光その2
今回は,「城」です。
2月9日,丸子宿の後,登呂遺跡にちょこっと行き,そのあと,駿府城公園へ
 時間が遅かったので,発掘現場を見学することはできませんでした。
でも,すきまからのぞいたのがこの写真。
ひろ~い!広い!
「駿府まち巡りマップ」によると,この発掘現場のどこかに天守があったはずです。
でも,残念!よくわかりません。
『静岡のトリセツ』によると,
「駿府城の慶長期天守台の大きさは,南北(西辺)約68m,東西(北辺)約61m。
 徳川将軍家の居城である江戸城の天守台が南北(西辺)約45m,東西(北辺)約41mなので,それを大きく上回っている」そうです。

翌10日に行った江戸城(皇居東御苑)
 天守台です。
姫路城を見慣れている私には,天守台はそう大きく感じられませんでした。
確かに,大奥跡や本丸大芝生はすごく広かったです。
石垣の石の大きさが姫路城と比べ物にならないように思いましたが。
なぜ大きく感じないのか・・・
後日,兵庫県立歴史博物館で見た江戸城です。 
歴博では,天守の大きさ比較ができます。(すべて50分の1)

こちらは,姫路城  
私は,姫路城の天守,大天守も3つある小天守も全部ひっくるめて見ていたのです。(姫路城は連立式天守)
姫路城の大天守ためだけにある天守台の大きさは,江戸城と比較になりません。(もちろん江戸城の方が大きいです。)
江戸城の天守の大きさなんて,すごいのなんのって!
が,・・・姫路城,・・・どこまでが大天守の天守台?小天守などの天守台と一部つながっている?

駿府城や江戸城の話のはずが,いつの間にか姫路城の話に・・・

10日夜,姫路に帰ってきた時に撮った写真を下に貼り付けます。



次に,東京に行くことがあれば,江戸城をぐるっと,皇居ランのコースを歩いてみたいです。
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丸子(鞠子;まりこ)

2024-02-13 12:10:20 | 日記
2月9日の「チコちゃんに叱られる!」では,「『天狗(てんぐ)』ってもともとなに?」で,懐かしい兵庫県立歴史博物館の香川先生が出演されていました。(やっぱり妖怪と言えば,香川先生よねえ)
とはいうものの,実はリアルタイムでは見ていません。チコちゃんが始まる時刻は,私はなんと,静岡から東京への新幹線の中でした。・・・・・ (◎_◎;)
2月10日に子どもの事で東京に行く用事ができて,(おめでたいことです !(^^)! )
ついでに,9日は静岡で観光し,10日に東京観光をしてきたのです。

なぜ静岡?
一番の目的は丸子!!!
私のスマホには歩数計が入っていて,その歩数計では,広重の東海道五十三次を巡ることになっているのです。
そうです!広重の丸子に行きたい!!と・・・


写真は今の丁子屋です。
     慶長元年創業の元祖丁子屋では,広重の絵の通り,
「登路ゝ(とろろ)汁」を食べてきました。
そして,丸子宿周辺を散策。
「丸子宿本陣跡碑」など見ながら,旧東海道をバス停一つ分歩きました。

静岡では,登呂遺跡,駿府城公園など見てきたのですが,
また後日。

ちなみに,10日には東海道起点日本橋も見て来ました。 
何度もつくりかえられたので,江戸時代の面影はありません。
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