ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

船は揖保川をくだる 帰りは?

2015-05-22 13:24:47 | 日記
続けて,龍野

たつの市立武家屋敷資料館でみつけたおもしろいものを紹介

その前に,この武家屋敷の母屋は瓦から天保年間に建てられたものであろうと言われている。

武家屋敷自体もおもしろかったし,そこで見た町家のビデオもおもしろかったが,一番印象に残ったのは,欄間の彫刻

資料館の人が教えてくれた。

よーく見ると,人間3人が船を引っ張っている。

ー揖保川は,河川交通が盛んで,龍野でつくられたしょうゆやそうめんは,揖保川を船で下り,網干に行く。そこから船を乗り換え,(乗り換えは別の時,別の場所で聞いたような・・・)瀬戸内海をすすむ,そして,大坂?江戸?ー

話が戻って,その船。龍野から網干は揖保川を下ればいい。でも,船は龍野に戻らなければならない。じゃあその船はどうやって?

この欄間ができたのはいつかわからない,と資料館の人。
でも,この欄間の彫刻のように人が陸の上で引っ張って,龍野まで戻していたんですね。

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島津忠兼軍忠状

2015-05-22 13:09:58 | 古文書
「小島: 南北朝時代の文書ですが、特に合戦関係の文書が多い点が特徴です。突然ですが、なぜ武士は戦うのでしょうか?

 - …なぜでしょう。自分なりの主義主張のため?

 小島: ずばり見返りが欲しいからです。正義のためとかは考えていません。戦えば見返りとして土地やお金が手に入って暮らしが成り立つ。だから戦うんです。

 - シンプルですね。

 小島: ですので、どうやって恩賞をもらうかということを武士は常に考えているわけです。そのためには、自分がどの戦争でどれだけ活躍したのかを認めてもらう必要があるので、そのための書式が発達していきます。

 - なるほど。

 小島: 「私はこの合戦でこれだけの戦功をあげました。間違いないですよね?」ということを大将から一筆もらうわけです。その書式を軍忠状といいます。「惟宗(島津)忠兼軍忠状」の例ですと、島津忠兼が播磨国守護の赤松円心へ「私はあの合戦の時にこれだけがんばりましたよね?」と文書を出します。それに対し円心が「間違いありません」と一筆書き添えることで、戦功が認められるわけです。」

国立歴史民族博物館ホームページより


今日,龍野歴史文化資料館で,島津忠兼(ただかね)軍忠状のコピーを見つけました。
建武3年3月のものです。

おもしろい
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