1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 町並み 思い出
・・・たった1秒先が予知できない人間の限界
(以下省略)
もともと,神戸開港150年に合わせて
『神戸港と神戸文化の企画展神戸・みなと・時空』という
「日本玩具博物館」「陳舜臣アジア文藝館」「鈴木商店記念館」とのコラボ事業として企画展示会に行こうと思っていました。
それに,ブラタモリでやっていた旧外国人居留地を見てこようかなあ~と。
場所を地図で調べていると,
「東遊園地」や「阪神淡路大震災 震災遺構」に目がとまりました。
そういえば,私の頭の中は,30年前の学生時代の神戸から,
現在の神戸までとんでいるのです。
震災があったことも,その時のテレビで見たことも覚えているし,
毎年,1月17日には思い出すのに,
あの時の神戸を見ていないのです。
4月7日
JR三ノ宮駅,降りるとすぐに「そごう」が見えます。
あの日のテレビでは,そごうが圧しつぶされたようになっていたのが蘇ります。
「怖い」
「もし,今地震が起こったら私はどうすればいい?帰れる?」
去年の夏,同じ三ノ宮駅から歩いて神戸市立博物館に行った時にはこんなこと思わなかったのに,急に怖くなりました。
フラワーロードを歩いて南へ。
市役所すぐ南の「東遊園地」へ
毎年,1月17日に黙とうしている場所ですよね。
その南はし,「1.17希望の灯り」がありました。
今は周りは高いビルがほとんど
あの時はどのくらいの被害があったのでしょうか。
歩いて,「震災遺構」へ
あの時,テレビで何度も出てきた阪神高速の圧しつぶされた跡
その橋脚などが残されていました。
ここで予定変更
もう,『神戸港と神戸文化の企画展神戸・みなと・時空』には行こうという気持ちがなくなって,
地図に載っていた「神戸港震災メモリアルパーク」へ
神戸港震災メモリアルパークのあるメリケンパークに行くと,
震災遺構もあるのですが,
「神戸開港150年」の会場でもあるのです。
きっと怖い顔をして歩いていたと思われる私ですが,
「今」に戻ってきました。
震災遺構も見ながら,神戸開港150年も見よう。
神戸は私が大学の時は,「株式会社」と言われるほど発展させていました。
憧れの神戸だったようで,
友達の中には,わざわざ北海道から神戸の大学に来ていた子もいました。
今もハイカラで憧れの神戸のようで,ブラタモリで紹介されていました。
まさに,「震災遺構と開港150年が同居する街:神戸」というのが私の印象です。
メリケンパークでは,「神戸海洋博物館・カワサキワールド」も見てきました。
もちろん,港神戸の展示がありますが,
0系新幹線もありましたよ。だって,川崎重工業ですから。
今度は,開港150年を見るために,神戸に行こうと思います。
でも,私は震災をもう少し勉強しないといけませんね。
1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 町並み 思い出
・・・たった1秒先が予知できない人間の限界
(以下省略)
もともと,神戸開港150年に合わせて
『神戸港と神戸文化の企画展神戸・みなと・時空』という
「日本玩具博物館」「陳舜臣アジア文藝館」「鈴木商店記念館」とのコラボ事業として企画展示会に行こうと思っていました。
それに,ブラタモリでやっていた旧外国人居留地を見てこようかなあ~と。
場所を地図で調べていると,
「東遊園地」や「阪神淡路大震災 震災遺構」に目がとまりました。
そういえば,私の頭の中は,30年前の学生時代の神戸から,
現在の神戸までとんでいるのです。
震災があったことも,その時のテレビで見たことも覚えているし,
毎年,1月17日には思い出すのに,
あの時の神戸を見ていないのです。
4月7日
JR三ノ宮駅,降りるとすぐに「そごう」が見えます。
あの日のテレビでは,そごうが圧しつぶされたようになっていたのが蘇ります。
「怖い」
「もし,今地震が起こったら私はどうすればいい?帰れる?」
去年の夏,同じ三ノ宮駅から歩いて神戸市立博物館に行った時にはこんなこと思わなかったのに,急に怖くなりました。
フラワーロードを歩いて南へ。
市役所すぐ南の「東遊園地」へ
毎年,1月17日に黙とうしている場所ですよね。
その南はし,「1.17希望の灯り」がありました。
今は周りは高いビルがほとんど
あの時はどのくらいの被害があったのでしょうか。
歩いて,「震災遺構」へ
あの時,テレビで何度も出てきた阪神高速の圧しつぶされた跡
その橋脚などが残されていました。
ここで予定変更
もう,『神戸港と神戸文化の企画展神戸・みなと・時空』には行こうという気持ちがなくなって,
地図に載っていた「神戸港震災メモリアルパーク」へ
神戸港震災メモリアルパークのあるメリケンパークに行くと,
震災遺構もあるのですが,
「神戸開港150年」の会場でもあるのです。
きっと怖い顔をして歩いていたと思われる私ですが,
「今」に戻ってきました。
震災遺構も見ながら,神戸開港150年も見よう。
神戸は私が大学の時は,「株式会社」と言われるほど発展させていました。
憧れの神戸だったようで,
友達の中には,わざわざ北海道から神戸の大学に来ていた子もいました。
今もハイカラで憧れの神戸のようで,ブラタモリで紹介されていました。
まさに,「震災遺構と開港150年が同居する街:神戸」というのが私の印象です。
メリケンパークでは,「神戸海洋博物館・カワサキワールド」も見てきました。
もちろん,港神戸の展示がありますが,
0系新幹線もありましたよ。だって,川崎重工業ですから。
今度は,開港150年を見るために,神戸に行こうと思います。
でも,私は震災をもう少し勉強しないといけませんね。