先日(10月25日),久しぶりに室津へ。
たつの市立室津海駅館と室津民俗館で
今,特別展「道としての瀬戸内海」をやっています。
でも今日は,
室津民俗館の古文書について
室津民俗館は,屋号を「魚屋」といい,
江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され,
姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
・・・とホームページにあります。
そこに展示されていたものの1つに,
「漁場紛議御裁許請書写」がありました。
「瀬戸内海は,陸の人口に比して海が狭いため,
漁場や魚資源がかぎられ,さまざまな問題が生じた。
その一つに漁場争いがあった。」
と解説にありました。
寛政4年(1792年)に伊津浦(現在のたつの市御津町岩見)の漁師が,
隣村室津村(たつの市御津町室津)を相手取り,
漁場を妨げられ,難儀していると奉行所に訴えたのがおこり。
寛政10年(1798年),この裁許状により,
伊津浦と室津村の漁場境域がきめられ,
漁場紛争は解決。
その「漁場紛議御裁許請書写」が下の写真です。
このほかにも,
この争いの途中で作られたものであろう文書が2点。
この2点から,絵図もあったであろうことがわかるのですが,
今はもうないのか,
展示されていないだけなのかは,わかりません。
きっと,このような裁判は,江戸時代には,山のようにあったのでしょう。
そういえば,かつての特別展で,
(たつの市立室津海駅館「特別展 江戸庶民の旅~金毘羅参りと室津」 2015年)
室津の人が,金毘羅参りや上方への客を網干などにとられて困る,
と訴えた文書があったのを覚えています。
江戸時代だから,このような裁判が成り立ち,
解決したのですね。
以前読んだ本郷和人氏の『武士とはなにか』
によると,
室町時代(6代将軍義教)では,所領をとられても,
「それは間違いなく,あなたの所領です。」
と幕府法廷は認めてくれるが,
それだけで,
横領した者に罰を与えて退去させるなり,他の土地を与えるなどしない。
(『武士とはなにか』44ページ)
それもとられたのは,幕府直属の奉公衆なのです。
伊津浦と室津村の件は,江戸時代の庶民です。
そういうふうに見ても,
古文書はおもしろい。
ちなみに,室津民俗館の職員さんによると,
今も室津と岩見の境に石が埋まっていて,
潮が引いた時は,石の上部が海面に出て来る,
と言われている,とのことです。
たつの市立室津海駅館と室津民俗館で
今,特別展「道としての瀬戸内海」をやっています。
でも今日は,
室津民俗館の古文書について
室津民俗館は,屋号を「魚屋」といい,
江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され,
姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
・・・とホームページにあります。
そこに展示されていたものの1つに,
「漁場紛議御裁許請書写」がありました。
「瀬戸内海は,陸の人口に比して海が狭いため,
漁場や魚資源がかぎられ,さまざまな問題が生じた。
その一つに漁場争いがあった。」
と解説にありました。
寛政4年(1792年)に伊津浦(現在のたつの市御津町岩見)の漁師が,
隣村室津村(たつの市御津町室津)を相手取り,
漁場を妨げられ,難儀していると奉行所に訴えたのがおこり。
寛政10年(1798年),この裁許状により,
伊津浦と室津村の漁場境域がきめられ,
漁場紛争は解決。
その「漁場紛議御裁許請書写」が下の写真です。
このほかにも,
この争いの途中で作られたものであろう文書が2点。
この2点から,絵図もあったであろうことがわかるのですが,
今はもうないのか,
展示されていないだけなのかは,わかりません。
きっと,このような裁判は,江戸時代には,山のようにあったのでしょう。
そういえば,かつての特別展で,
(たつの市立室津海駅館「特別展 江戸庶民の旅~金毘羅参りと室津」 2015年)
室津の人が,金毘羅参りや上方への客を網干などにとられて困る,
と訴えた文書があったのを覚えています。
江戸時代だから,このような裁判が成り立ち,
解決したのですね。
以前読んだ本郷和人氏の『武士とはなにか』
によると,
室町時代(6代将軍義教)では,所領をとられても,
「それは間違いなく,あなたの所領です。」
と幕府法廷は認めてくれるが,
それだけで,
横領した者に罰を与えて退去させるなり,他の土地を与えるなどしない。
(『武士とはなにか』44ページ)
それもとられたのは,幕府直属の奉公衆なのです。
伊津浦と室津村の件は,江戸時代の庶民です。
そういうふうに見ても,
古文書はおもしろい。
ちなみに,室津民俗館の職員さんによると,
今も室津と岩見の境に石が埋まっていて,
潮が引いた時は,石の上部が海面に出て来る,
と言われている,とのことです。