ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

寛政年間の伊津浦・室津漁場論

2019-10-30 11:55:45 | 古文書
先日(10月25日),久しぶりに室津へ。
たつの市立室津海駅館と室津民俗館で
今,特別展「道としての瀬戸内海」をやっています。

でも今日は,
室津民俗館の古文書について

室津民俗館は,屋号を「魚屋」といい,
江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され,
姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
・・・とホームページにあります。

そこに展示されていたものの1つに,
「漁場紛議御裁許請書写」がありました。

「瀬戸内海は,陸の人口に比して海が狭いため,
 漁場や魚資源がかぎられ,さまざまな問題が生じた。
 その一つに漁場争いがあった。」
と解説にありました。

寛政4年(1792年)に伊津浦(現在のたつの市御津町岩見)の漁師が,
隣村室津村(たつの市御津町室津)を相手取り,
漁場を妨げられ,難儀していると奉行所に訴えたのがおこり。
寛政10年(1798年),この裁許状により,
伊津浦と室津村の漁場境域がきめられ,
漁場紛争は解決。

その「漁場紛議御裁許請書写」が下の写真です。




このほかにも,
この争いの途中で作られたものであろう文書が2点。
この2点から,絵図もあったであろうことがわかるのですが,
今はもうないのか,
展示されていないだけなのかは,わかりません。

きっと,このような裁判は,江戸時代には,山のようにあったのでしょう。
そういえば,かつての特別展で,
(たつの市立室津海駅館「特別展 江戸庶民の旅~金毘羅参りと室津」 2015年)
室津の人が,金毘羅参りや上方への客を網干などにとられて困る,
と訴えた文書があったのを覚えています。

江戸時代だから,このような裁判が成り立ち,
解決したのですね。

以前読んだ本郷和人氏の『武士とはなにか』
によると,
室町時代(6代将軍義教)では,所領をとられても,
「それは間違いなく,あなたの所領です。」
と幕府法廷は認めてくれるが,
それだけで,
横領した者に罰を与えて退去させるなり,他の土地を与えるなどしない。
(『武士とはなにか』44ページ)
それもとられたのは,幕府直属の奉公衆なのです。

伊津浦と室津村の件は,江戸時代の庶民です。

そういうふうに見ても,
古文書はおもしろい。

ちなみに,室津民俗館の職員さんによると,
今も室津と岩見の境に石が埋まっていて,
潮が引いた時は,石の上部が海面に出て来る,
と言われている,とのことです。



コメント (6)
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