ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

次は,「村田家文書展」が見たいです。

2021-05-13 15:15:12 | 日記 地域
春です。 我が家のいちごです。
が,緊急事態宣言,延長中です。

でも,兵庫県内の博物館等は,5月12日から開館しました。
とはいえ,感染者数はほんの少し減っただけです。

ということで,
今日は,ずっと行きたかったたつの市立龍野歴史文化資料館へ。
特別陳列「新発見!秀吉の書状ー播磨と但馬をつなぐ垣屋氏文書ー」です。

1つの展示スペースが,
「秀吉関連文書+α」といった感じになっていました。

今年は,脇坂氏が龍野に入封して350年だそうです。
初代脇坂安治は賤ヶ岳7本槍の一人で,のちにその子孫が,龍野の藩主になります。

秀吉の但馬侵攻の際,
但馬守護山名氏の家臣・垣屋氏は,はじめは抵抗していましたが,秀吉の配下になり,
一族は脇坂家に仕えました。
江戸時代になって,同じく脇坂家の家臣・村田家と婚姻関係があったと思われ,
史料が村田家に伝わります。

たつの市立龍野歴史文化資料館が村田家から寄贈された村田家文書は3000点を越えますが,
そのうち約2000点は垣屋家に関するものだそうです。

今回はその中から,秀吉がらみの文書2点を含む
秀吉関連文書等が展示されていたのです。


写真は,「垣屋孫一(孫市)宛領地宛行状」です。(写真撮影可)

天正11年8月1日のもので,
この年の4月に秀吉は賤ヶ岳合戦で柴田勝家を破っています。
8月1日付の宛行状は,ほかにも多く伝わっているそうです。

もう1点は,秀吉の朱印状
太閤検地後に垣屋孫市が秀吉より与えられたものです。

ほかにも,以前の「秀吉からのたより」で見た
脇坂甚内(安治)に宛てた文書や「指出寄帳」など脇坂関連の文書も展示されていました。

この度は,展示も良かったけど,
この展示の中にいられることが嬉しかったです。
なのに,1時間以上いたこの場所に,
資料館の職員以外誰も来ない・・・。
(平日の朝一ですが)
やっぱり私は世間から見れば,ちょっと変わった歴おばさん・・・なんでしょうね。
次は「村田家文書展」が見たいです。

「密」を十分避けられた特別陳列でしたが,
帰りに寄ったスーパーはすごく混んでいました (;^_^A







コメント (1)
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