大修館書店『原色 浮世絵大百科事典 全11巻』
というすごい本が図書のコーナーにあります。
昭和57年初版発行 定価は1冊で9500円もします。(第3巻)
その第3巻は「様式・彫摺・版元」
5月10日のブログ
「北斎の青,国芳の武者絵(蛙がすっごい!)」の
疑問②「極」,
検閲のハンコではないかと思うのですが,
「極」のハンコのないものも・・?
の答えを求めて読んだ
この本からの話です。
①石井研堂氏の調査
『錦絵の改印の考証』(大正9年刊,昭和7年増訂再版)
浮世絵版画・草双紙類→地本草紙問屋
団扇絵→団扇問屋から刊行
他の問屋と同様,江戸町奉行の支配下
改印は町奉行の指示によって行われた制度
寛政3(1791)年春刊の錦絵,版本に改印の一種「極」印がみえる。
→寛政の改革の一環の布令から,
寛政2年から改印制度,と思われる。
②これに基づき,原色浮世絵大百科事典編集委員会は,
大きく3期に分け,
第1期:寛政2(1790)年~天保13(1842)年の53年間
仲間(地本絵草紙問屋仲間の月番行事2人)が検閲
極字印の時代,極字印と年月副印時代,などがある。
第2期:天保13(1842)年~安政5(1858)年の16年間
問屋株仲間が廃止されるに及び,直接町名主が検閲
名主の印,種類は多数
第3期:安政5(1858)年~明治8(1875)年の約18年間
嘉永4(1851)年に再興された地本草紙問屋仲間の月番行事2人が検閲
明治8年 新出版条例
出版物には発行年月日が明記されることになる。
会員制度は終焉を告げた。
(例)寛政中期,歌麿・写楽時代
版元から依頼された絵師が版下絵を作成
版元が良しとすれば,地本絵草紙問屋仲間の行事に見せて,
検閲の印である極印を受ける。→彫師,摺師にまわってすりあがる。
というようなことが,書かれていました。
もちろん,説明だけでなく,
これら,「極」印や他の印が描かれている浮世絵も多数載っていました。
これらの絵を見ると,
印の位置は浮世絵の中にあるものもあれば,
浮世絵の枠の外のものもありました。
つまり,
「極」印や他の印は,
浮世絵に押されているのではなく,
検閲が通った段階で,彫られたものであり,
たとえば,北斎の富嶽三十六景にも,印がない絵があるのではなく,
絵の枠外に印があり,
展示の時は,絵が額に入っているため,
印が見えていなかった・・・のではないかと思います。(これはあくまで私の想像です。)
もちろん,幕末の頃には,一部の鯰絵など無許可のものもありますが。
長々と失礼しました。
5月17日,歴博で本を読み,
自分の勉強のために後日まとめました。
5月17日は歴博でとても貴重な勉強をさせていただきました。
(この本のことではありません。)
詳しくは書けませんが,ありがとうございました。
注)東京都立図書館「江戸・東京デジタルミュージアム」(このサイト,おもしろい!)より
江戸時代、学術書や宗教書を出版する書物屋(しょもつや)(物(もの)の本屋)と
浮世絵や「草双紙」と呼ばれた絵入り本など
主に娯楽的な作品を出版・販売する絵草紙屋(えぞうしや)の2種類の本屋がありました。
江戸では絵草紙屋を地本問屋(じほんどんや)とも呼び、
彼らによって江戸という都市ならではの文芸が次々と生み出されていきました。
というすごい本が図書のコーナーにあります。
昭和57年初版発行 定価は1冊で9500円もします。(第3巻)
その第3巻は「様式・彫摺・版元」
5月10日のブログ
「北斎の青,国芳の武者絵(蛙がすっごい!)」の
疑問②「極」,
検閲のハンコではないかと思うのですが,
「極」のハンコのないものも・・?
の答えを求めて読んだ
この本からの話です。
①石井研堂氏の調査
『錦絵の改印の考証』(大正9年刊,昭和7年増訂再版)
浮世絵版画・草双紙類→地本草紙問屋
団扇絵→団扇問屋から刊行
他の問屋と同様,江戸町奉行の支配下
改印は町奉行の指示によって行われた制度
寛政3(1791)年春刊の錦絵,版本に改印の一種「極」印がみえる。
→寛政の改革の一環の布令から,
寛政2年から改印制度,と思われる。
②これに基づき,原色浮世絵大百科事典編集委員会は,
大きく3期に分け,
第1期:寛政2(1790)年~天保13(1842)年の53年間
仲間(地本絵草紙問屋仲間の月番行事2人)が検閲
極字印の時代,極字印と年月副印時代,などがある。
第2期:天保13(1842)年~安政5(1858)年の16年間
問屋株仲間が廃止されるに及び,直接町名主が検閲
名主の印,種類は多数
第3期:安政5(1858)年~明治8(1875)年の約18年間
嘉永4(1851)年に再興された地本草紙問屋仲間の月番行事2人が検閲
明治8年 新出版条例
出版物には発行年月日が明記されることになる。
会員制度は終焉を告げた。
(例)寛政中期,歌麿・写楽時代
版元から依頼された絵師が版下絵を作成
版元が良しとすれば,地本絵草紙問屋仲間の行事に見せて,
検閲の印である極印を受ける。→彫師,摺師にまわってすりあがる。
というようなことが,書かれていました。
もちろん,説明だけでなく,
これら,「極」印や他の印が描かれている浮世絵も多数載っていました。
これらの絵を見ると,
印の位置は浮世絵の中にあるものもあれば,
浮世絵の枠の外のものもありました。
つまり,
「極」印や他の印は,
浮世絵に押されているのではなく,
検閲が通った段階で,彫られたものであり,
たとえば,北斎の富嶽三十六景にも,印がない絵があるのではなく,
絵の枠外に印があり,
展示の時は,絵が額に入っているため,
印が見えていなかった・・・のではないかと思います。(これはあくまで私の想像です。)
もちろん,幕末の頃には,一部の鯰絵など無許可のものもありますが。
長々と失礼しました。
5月17日,歴博で本を読み,
自分の勉強のために後日まとめました。
5月17日は歴博でとても貴重な勉強をさせていただきました。
(この本のことではありません。)
詳しくは書けませんが,ありがとうございました。
注)東京都立図書館「江戸・東京デジタルミュージアム」(このサイト,おもしろい!)より
江戸時代、学術書や宗教書を出版する書物屋(しょもつや)(物(もの)の本屋)と
浮世絵や「草双紙」と呼ばれた絵入り本など
主に娯楽的な作品を出版・販売する絵草紙屋(えぞうしや)の2種類の本屋がありました。
江戸では絵草紙屋を地本問屋(じほんどんや)とも呼び、
彼らによって江戸という都市ならではの文芸が次々と生み出されていきました。
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