ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

地租改正

2022-12-14 11:22:27 | 日記 本
なぜ地租改正ができたのか,
明治の官僚が偉かった・・というだけではできない・・・と私は思います。
では,なぜ?
佐々木 寛司『地租改正ー近代日本への土地改革』中公新書(1989年)(ちょっと古いのですが)より
近代以前は,領主は農民の耕作権を保障する代わりに,貢租納入の義務を負わせていた。
つまり,幕藩体制においては,封建的土地所有権を領主が持ち,
農民は,農民的土地占有権を持っていた。
(そういえば,学生時代「所有」と「保有」は違う・・・,と先輩に聞きました,ね。
 今は,こういう言葉を使うかどうか知りませんが。)
しかし,江戸時代が進んでくると,農業生産の上昇,
また,一方で,すでに領主は土地から切り離されていた。
すると,農民的余剰が成立し,農民的土地所有が前進。
「地主制のメカニズムを通して,明治維新の地租改正に先立って,商品経済に適合的な私的土地所有=近代的土地所有の進展があった。」(19ページ)
江戸時代初めに田畑永代売買禁止令が出されているもの,
質流れ,という形で,実質売買されている。
江戸時代のうちに,地租改正の下地が出来つつあった,ということでしょうか。

しかし,江戸時代の石高制は,
現実の土地収穫高を反映しているというよりは,むしろ大名に対する家格表示の意味合いが強い。
また,石高は検地によって一度設定されると,以後は長期間にわたって固定化する。
(この点については,「8月の一コマ&差出帳,検地帳,年貢上納通,年貢免状 ;その3」で書いています。)

それに,税は幕藩体制下においても,石代納制,つまり,米ではなく,貨幣等で納められることが普及していた。

また,市街地において町人の私有地が認められていた土地が売買される際に
一種の売買証文として沽券が作成されていた。
この点も,明治になっての地券・沽券を発行につながる。

簡単に言えば,地租改正は,明治になってふってわいたものではなく,
江戸時代の土地・税制とのつながりもある一方,矛盾を処理するという面もあった,
ということではないかと思います。

(明治になり,)のちの統一的な土地税制改革=地租改正へと連なる改革構想が本格的に提示され,
それが政府方針として承認されることになった。(中略)
第一に,農民のみ課税対象とされた不公平な旧税制を解体し,「租税負担の公平」を図ること。
第二に,旧来の米(物)納,石代納の制度に代えて,金納租税にすること。
第三に,土地永代売買の禁を解き,土地の所有権を公認すること。  (33ページ)

本はまだまだ続きます。
これからが実際の地租改正ですから。
ここからは,ーメモー

1972年(明治5年) 地券渡方規則 壬申地券発行へ
 土地の売買・譲渡のたびに地券発行
 土地の所有権公認  地価賦税の性格は有していない。
 租税金納制

「ヨーロッパ列強の列強たる所以を,その資本主義経済の高度な発展にみた維新官僚は,資本主義の育成こそ,将来の日本発展の前提条件と考えたのである。」(47ページ)
→「経済外的強制」発動に基づく政治権力への身分的隷属など封建的諸制限の廃絶へ
→四民平等,農民・町人の土地所有の許可,株仲間・関所の廃止,田畑勝手作の許可,農民職業選択の自由など

が,・・・壬申地券発行の際の障害
→検地帳の相違,小作地は?質地は?など
思うように進まない。

1863年(明治6年)太政官布告第272号
 地租改正条例・地租改正規則・地方官心得の布告

内務省・大蔵省管轄(のちに地租改正事務局)
直接の実施 各府県庁ー租税課ー地券掛・地租改正掛
行政区分 大区小区制
 府県ー大区ー小区 それぞれに官選の区長・戸長
 小区の下には,いくつかの旧村が包括され,副戸長・用掛
そして,
地押丈量(じおしじょうりょう:土地の検査・測量のこと)に地価調査。
という流れになるのですが,
まとめ方がヘタで,長く長~くなってしまうので,以下省略します。
ただ,とっても,と~っても大変な作業ということは想像がつきます。
維新政府内のゴタゴタもあるので,すっごく大変です。


絶版の図書館本です。
延長して約4週間借りました。
こうなると,メモしたところ以外は,忘れてしまいます。
(本の中身も細かすぎるし・・・)

地租改正の流れや仕組みは,
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/tokubetsu/h27shiryoukan/01.htm
国税庁ホームページ「地租改正」で再度勉強します。

最後に以前,(6月14日)「永富家住宅の花菖蒲」にも載せた
たつの市揖保川町の永富家に残る地籍図(明治6年)を載せます。
この時,私は
「地租改正に関しては,後日,たぶん,2~3か月後?にぼちぼち書きたいと思います。」
と書いています。
今回,ちょっと勉強しました。(ちょっとですが)
疲れたので,そろそろ私が好きな妖怪や疫病の本に戻ろうと思います。
たぶん,今回が今年最後のブログです。
早いですが,よいお年を





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2 コメント

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Unknown (雪花)
2022-12-18 14:29:21
ATSUさん こんにちは
ブログいつも読んでいますよ。
ほとんど知らないことで参考になります。

生まれ変わったらの夢、本州の歴史が面白そうな土地に住んで、その地方の郷土史を研究したい。
なんてことを考えました。

雪が降り本格的な冬に入りました。

よいお年をお迎えください。
返信する
もう一度挑戦出来たらの夢 (ATSU)
2022-12-18 16:55:10
雪花さま,こんにちは!いつもありがとうございます。
雪花さまが「生まれ変わったらの夢」なら,私は「もう一度挑戦出来たらの夢」
大学受験をやり直して,今度こそ文学部史学科に行き,もっともっと歴史学を勉強したい。
あの時,根性が切れちゃって,点数が足りなくて,史学科あきらめたからなあ・・・。

私は住む姫路でも今日の最高気温は4.7℃,明日の朝はー2℃らしいです。(こんな気温は年に数回)
北海道の寒さは私が経験したことのない寒さですね,きっと。
お体に気を付けてお過ごしください。
よいお年をお迎えください。
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