ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

『鵤庄引付』の世界-室町・戦国時代の日々- 太子町立歴史資料館

2016-08-06 14:50:42 | 古文書
太子町立歴史資料館は,資料館というだけあって,“史料”を見せてくれます。

8月1日,『鵤庄引付』の世界-室町・戦国時代の日々を見てきました。

前回は,江戸時代,本陣に残る史料の展示でした。
今回は,『鵤庄引付』(国指定重要文化財)の展示です。

播磨国鵤庄で起こった出来事とその時の対応を以後の先例になるようにと書き留めた,
応永5年(1398年)~天文14年(1545年)の荘園の事務記録です。

いろんなページが展示されていますが,本物は1つしかありませんから,
1つを除いては,コピーばかりです。

あたりまえのことですが,荘園には人が住んでいて,生活しています。
『鵤庄引付』本物には,「盗人討ち取りのこと」とタイトルがつけられていました。

コピーですが,一揆の記録なども展示していました。
応永25年(1418年),領主である法隆寺・政所と荘民の対立が1年以上続いたそうです。
稗田神社で集会を開き,みんなそろって逃散!

永正11年(1514年),一向宗念仏道場,検断。この年,大干ばつ
・・・ところで,“検断”ってどういう意味だと思いますか?
展示会場に説明してくれていました。
とりこわし・・・という意味だそうです。
この頃はまだ,本願寺勢力は弾圧されていたそうです。

高校の時の古文の勉強をふっと思い出しました。
一生懸命古文の単語の意味を覚えましたよね。
詳しいことはわかりませんが,
中世の古文書と私が勉強している近世の古文書とでは,出てくる語句もその意味も違ってくるのだと思います。

そういえば,今日の朝日新聞「はりま」版に
佐用の武家屋敷で1000点の古文書が発見されたことが載っていました。

家に残る古文書を見せたくない人もいるでしょうが,
研究に役立てて欲しいという人もいます。

いつか,“いい古文書”に出会って,論文を書きたいです。

PS.応用ステップ2の第3回課題が返ってきました。
全体の評価はAですが,
課題2の「この文書の意味について簡単に述べてください。」は,二重丸1カ所,三重丸1カ所,
それに,「内容を正しく読み込んでおられます。」とコメントをいただき,
A゚の○でした。
最高にうれしい!!!

きっと,そのうち
私が研究したい“いい古文書”に出会って,論文を書くんだ!!! 
(きっと,自己満足,でもそれで十分!)
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