ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

「寺院消滅」:途中経過 実家の父はお寺の役をしていました。 その2

2015-08-12 14:30:26 | 日記
前に,実家の父がお寺の役をしていたことを書きました。

そして,ご住職は,高校の化学の先生をしていたことも書きました。

今日,お盆を前に,お供えを持って実家に行きました。

月命日(祖父の方だったかな?祖母の方だったかな?・・・孫の私はいい加減なもんです。)は15日です。
お盆だし,ご住職は忙しいそうです。
父は「うちに来るのが,夜遅くなるって言うから,『来なくていい』と言ったンや。」
と言います。
どうもおかしいと思って聞くと,長年お世話になっていたご住職は,昨年秋に亡くなられたそうです。

息子さんは,遠くの大企業に就職していて,後を継ぐ気はない。

そこで,隣の市(と言っても遠くない)のお寺のご住職が兼任になって,今までのように思うように来てもらえないそうです。

やっぱり・・・ね。
これが今の寺院の縮図?

ちなみに,実家は浄土真宗大谷派でした。(前に,本願寺派と書きましたよね。すみません。)
外に出た娘は(すでにおばさんですが,)こんなもんです。
失礼しました。(でも,恥ずかしいかも・・・)


涼しくなったら,おじいちゃんおばあちゃんの墓参り,しようかな?
そして,あたりを散歩しよう。

中世,近世に栄えた室の港を


PS.このブログは私,ATSUの独り言,歴史についてのおしゃべり,のつもりです。
「ATSUー歴女(おばさん?)のおしゃべりーとタイトルを変更しました。
歴史が好きな方,どうぞよろしくお願いします。
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雑談 河合寸翁のこと 播州木綿のこと 何も知らなかった

2015-08-10 11:38:35 | 歴博
歴博ボランティア・・・先週金曜日に行きました。
前回は台風で行けなくなり,むちゃくちゃ久しぶりでした。

いつものことですが,ベテランのボランティアさんのお話を聞くのが楽しいです。

ベテランボランティア・Mさんは,9月半ばからの北前船の特別展のための勉強に忙しそうでした。

その中で,江戸時代の文化・文政の頃の姫路藩の家老・河合寸翁のお話ししてくださいました。

当時,三河木綿・伊勢木綿・播州木綿は上質で,よかった。
播州木綿を専売制にし,姫路藩の財政を立て直した河合寸翁。

さらに,
播州木綿から話は広がって,

北前船の話。木綿ができない東北地方の方に木綿の古着を運んだことや

江戸時代中期の最上川沿いの豪商“本間さま”の話。姫路の豪商の家で奉公していたとか・・・。
廻船問屋をしていると,お金を貯めて,金貸しをする。そして,返せない人の土地をとる。そうして,大地主にもなる。その例が,通称・本間さま。

すみません。
いっぱい話を聞いたのですが,私の頭の中で整理できてなくて,断片的で何のことか読んでいてもわかりませんよね。


帰ってから,まず,ネットで河合寸翁を調べた。すると,『郷土史 ひめじ』という本に出くわした。
今日,大学生の娘にきくと,なんと,小学生の時,『郷土史 ひめじ』を配布された・・・と。

すぐに,貸してもらった。

勉強し直しですね。



北前船や豪商の話。
今,勉強中の古文書教材は,「凶年記」
天保年間の甲斐の国の大飢饉を経験した人が,その飢饉の惨状を具体的に書いたもの
・・・・長い,文章が。
頑張ります。
と言いたいが,最近仕事が忙しくて・・・,うんん,いいわけ

歴史は楽しい
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NHK「風雲大実験 戦国鉄砲隊VS騎馬軍団」

2015-08-03 10:16:23 | 日記
たまたま,こんな番組を見つけて,録画していたのを先日見た。

NHK「風雲大実験 戦国鉄砲隊VS騎馬軍団」

有名な長篠の戦いのことである。

勝手に,信長の鉄砲隊は,3段に分かれていて,前列の人が鉄砲を撃っている間に2番目.3番目の列の人が準備している・・・と思っていた。
教科書で確認すると,
「長篠合戦において,織田・徳川連合軍は,鉄砲隊の威力で図の右から攻撃する武田の騎馬隊を破った。」(長篠合戦図屏風)としか書いていない。

思いこみとは恐ろしい。


この中で,2点
①軍の戦闘力=武器の性能×兵数の2乗

②ノエル・ペリン『鉄砲をすてた日本人』
「日本はこの後戻りの道を選びとって成功した。」

「・・・アメリカの英米文学の教授で環境保護論者でもあったノエル・ペリンである。ペリンは三島由紀夫に捧げたこの著作の最後で、日本人がかつて銃に対してなしたことを、今日世界が核兵器に対してなしうる保証はないとしながら、尚もこの教訓を活かしたその実現に希望を表明している。」(Wikipediaより)

江戸幕府による押さえ込みの力を抜きにして,単純に言えないと思うが,こう考える人もいるのかと・・・思いました。

中世の死ぬ自由,殺される自由から近世の押さえ込みとはいえ,生きることを保障しようとした時代へ

この点は,今読んでいる
本郷和人『天皇はなぜ生き残ったか』を読んでから
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