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モルモン書をどう読むか。2012年読書課程を読み進めるに当たって

2012-01-04 16:51:03 | モルモン教関連
 
ダブルデー出版のモルモン書 [ ]は Translated by

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)では4大聖典(旧約、新約、モルモン書、教義と聖約)を4年で順に読んでいて、今年はモルモン書を読む年に当たっている。一般の成人会員は日曜学校の時間に「福音の教義クラス」で学ぶことになる。ともすると既に読んだことがあるため受身的になる傾向があるので、能動的に読むための考え方を掲げてみた。

モルモン書は日本でも教会外のキリスト教徒や研究者が手にとって読み、吟味し始めている。先日トゥィッターで、あるクリスチャンがユダヤ教徒は新約聖書を加えられてどんな気持ちでいるのか味わってみようと異教のモルモン書を読んでいる、と書いていた。また、研究者によってはモルモン書を丁寧に、正確に読んでいることは言うまでもない。

さて、会員でも人によってモルモン書の受け止め方が異なるので(私自身も重層的)、いくつかのアプローチをあげてみたい。以下、1 モルモン書が世に与えた影響・評価、2 信徒の読み方、3 モルモン書の貢献 or 19世紀に登場した聖典としての特徴、4 リベラルな読者の読み方、に分けて記してみる。1と3はそれらについて意識して読む、あるいは確認するというアプローチである。

モルモン書が世に与えた影響・評価 
モルモン書がアメリカに、また世界に一定の影響を与えてきたことは否定できない。例えば「アメリカを変えた本」25冊に数える人があり、モルモン書をもたらしたジョセフ・スミスを宗教史上モハンマッドと並ぶ人物とみなす聖書学者があり、アメリカのダブルデー出版社(アメリカの代表的な出版社)がモルモン書を市販の普及版として出版するに至っている。そして昨年「モルモン書」と題するミュージカルがニューヨークで上演されていることは周知のところである。

2 信徒の読み方
 教会員は常にモルモン書を読むよう勧められているが、それでも読む度に新しい意味を発見し、信仰生活を支えられている。人生で苦楽を味わう中に、新しい視点を得、考え方が変わることがあるからである。新たな発見を求めて、新鮮な気持ちで読むことが求められる。どこに人々を惹きつける力があるのか、あるいは普遍性があるのかなどテーマを持って読んでみたい。モルモン書の原語である英語と読み合わせるのもよいであろう。新たな味わいを覚えることができる。

3 モルモン書の貢献 or 19世紀に登場した聖典としての特徴
 ここではモルモン書の特徴とされる点を概観し、現代社会 / 宗教界に貢献することがあるかどうか考えてみたい。以下の項目はオディー、スペリー、ニブレー、ノーマン、トマス、高山を参考にした。
1) モルモン書の特徴
①  切迫した「破滅の脅威」を警告。信仰と悔い改めの呼びかけ
②  富を得て驕り、破局にいたる。慢心に対する警告。
③  「誡命(いましめ)を守れば栄える」。これが繰り返され、一つの基調となっている。
④  イエスはキリストであるとの証し。モルモン書のキリスト論は十字架の苦難が登場せず凱旋的 (プライス)。
⑤  善悪の問題。 有徳 → 繁栄 → 慢心・不義 → 社会の内紛・傲慢 → 罪・荒廃 → 主の叱責  「善」は誡命を守ること。
⑥  物事には反対のものが存在する。
⑦ 「信仰」の定義、ヘブル11章の敷衍。
⑧  現世の意義は喜びを得ることに。原罪の暗いイメージを否定。
⑨  貧者や不運な者を救済せよという教え。
⑩  弱者の側に立つ。また、既成の価値観に反抗するカウンターカルチャー的。
2) 19世紀アメリカに出現した聖典としての特徴
①  反王制的、民主、自由平等の精神。
②  宗教の自由、政教分離。
③  教義の明瞭さ(18, 19世紀の思潮を認識し、当時問題となった事柄に答えようとしている)。例 アメリカ先住民の出自、幼児洗礼、儀式の文言
④  天動説を否定し、地動説(ヒラマン 12:15)。(後に、合わせて「無からの創造」を否定し、物質は永遠に存在すると提示。D&C 99:33。)
但し、ニュートン力学に沿ったもののアインシュタインの相対性理論、量子力学には合わない部分が出てきている。今日宇宙開闢以前は「無」という考えが浮上しているからである(この項キース・ノーマン)。
⑤  モルモン書は旧約と内容面でインターテクスチュアルな関係(無意識的な影響関係)にあり、生み出した主体(古代ユダヤ教徒 / 19C米英プロレタリアート)が類似している。また、19世紀アメリカの現実を反映していて構造主義的に分析すると大変複雑な書物である(高山)。
イザヤ書やエレミヤ書などは弟子が預言者の言葉を受け継いでいく時、要約し注釈を加えた。ジョセフ・スミスも翻訳に際し記録の継承者として同じ役割(editing を含む)を果たしたことをヒュー・ニブレーは示唆している。
** モルモン書の貢献については、例えば上記特徴の一部がアメリカ的楽観主義、積極的なキリスト教をもたらした、などが言えるかも知れない。しかし、時代の制約や内容面の錯誤を指摘する向きもあるだろう。貢献についてはこの一年読む間 別に時間を取って考えたい。

4 リベラルな読者の読み方
 モルモン書の内容を史実としてではなく、19世紀の背景を反映し、19世紀に産出された宗教書と受けとめる読者はどのように読めばよいだろうか。ジョセフ・スミスを霊感されたモルモン書の著者とみるロバート・M・プライスは、文学作品と同様 作中の登場人物が語る物語に耳を傾け、作中の世界に入っていって共鳴する教えをくみ取ればよい、と言う。結局現代人は聖書もそのように読んで、いわばそこから得たシナリオに従って人生を歩むように努め、支えられている、と観る。その際、読者は「暫時不信の目を閉じて」語り手に耳を傾けるのである。(英文 we temporarily suspend disbelief to enter into a narrative world).
 カナダの会員ブラッド・ブロックの見方も参考になる。
「私は現在聖典を、芸術品を観るように創造的な作品として見るようにしている。知識の源泉を多様化し(他の様々な情報源から知識を得)、人生経験を積むにつれて、聖典からずっと豊かな意味を獲得できるようになっている。直解主義(字句通り解釈する読み方)がもたらす矛盾から解放されると、聖典からはるかに多くの意味を引き出すことができる。」(2014/05/05Facebook に掲載)。
"I now view the scriptures more as a creative work, like viewing art. I garner more meaning from them as I diversify my knowledge base (from a variety of other sources) and gain more life experience. I find losing the distraction of literalism helps me draw much more meaning from the scriptures."(Brad Bullock, Alberta, Canada)
 私個人はモルモン書の原稿が書かれた順序に注目し、それが本文(言葉遣い、内容)にどのように反映しているか本文批評の立場から参考書と併読して読み解いていきたいと思っている。

参考文献
・ロバート・B・ダウンズ「アメリカを変えた本」研究社 1972年
・Gary P. Gillum, “A Nibley Quote Book: Of All Things” Signature Books 1981
・Hugh Nibley, “Since Cumorah” Improvement Era, September 1966
・Keith Norman, “Mormon Cosmology: Can It Survive the Big Bang?” Sunstone Vol. 10, No. 9 (1985)
・Thomas F. O’dea, “The Mormons,” The University of Chicago Press, 1957
・Robert M. Price, “Joseph Smith: Inspired Author of the Book of Mormon” in Vogel and Metcalfe ed., “American Apocrypha” Signature Books 2002  
・Sidney Sperry, “Book of Mormon Compendium,” Bookcraft, 1968
・高山真知子「アメリカ史の謎 モルモン教における叙事詩の発生と一夫多妻制度の意味」、井門富二夫編「多元社会の宗教集団 アメリカの宗教 第二巻」大明堂 1992年所収。
・Mark D. Thomas, “Digging in Cumorah: Reclaiming Book of Mormon Narratives,” Signature Books, 1999

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19th Century Phrases in the Book of Mormon (The Week in Mormonism, 11/29/2015 Jonathan Ellis, medium.com)
I want to dig a little deeper on what Bushman said about nineteenth century language in the Book of Mormon (my transcript, starting about 9:30):

I think right now the Book of Mormon is a puzzle for us. Even [for] people who believe it [inaudible] in every detail, it’s a puzzle. To begin with, we’ve got the puzzle of translation. Translating the book without the plates even in sight, wrapped up in a cloth on the table. It’s not something that comes right off the pages, [that is] the characters on the plates. So we don’t know how that works. And then there’s the fact that there’s phrasing everywhere, long phrases that if you Google them, you’ll find them in 19th century writings. The theology of the Book of Mormon is very much 19th century theology, and it reads like a 19th century understanding of the Hebrew bible, as an Old Testament: that is, it has Christ in it, the way protestants saw Christ everywhere in the Old Testament.

Bushman made the same assertion about 19th century phrases in the Book of Mormon text at least once before in an interview on Reddit. And yet I wasn’t aware of a good resource to learn more. I emailed Bushman, and he replied that while he was certain he had found several “hits” while checking phrases from Alma, he did not record those results and was unable to reproduce them.

With some more research I’ve found two starting points:
• Grant Palmer’s An Insider’s View of Mormon Origins, chapter 4. Palmer cites, among others, Mark D. Thomas’s Revival Language in the Book of Mormon [pdf], Susan Curtis’s Early Nineteenth Century America and the Book of Mormon, Melodie Moench Charles’s Book of Mormon Christology, and Mark D. Thomas’s Is the Book of Mormon Ancient or Modern History? A Discussion Focusing on the Book of Mosiah. The last is cited as Sunstone 13 (Feb 1989), but I could not find it in either Sunstone 13 (Feb 1979) or Sunstone 69 (Feb 1989).

• John Cline’s article, 19th Century Sources for Mormon Concepts. Cline appears to have taken an approach similar to the one proposed by Bushman of checking distinctive Book of Mormon phrases against 19th century texts and sermons. He looks at one example (substitutionary atonement) in depth, and fourteen more superficially.

https://medium.com/@jellistx/the-week-in-mormonism-11-29-15-19th-century-phrases-in-the-book-of-mormon-ken-jennings-on-the-298b2ac8d182#.wpco0xbj4


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40 コメント

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教会員にとって本当に大切な書なら (地方の教会員)
2012-01-04 23:53:46
モルモン書を1年かけて読むのではなく、3年以上かけて、学習してもよいのではないかと思う。

橋本武という教師は、中勘助の「銀の匙」を3年かけて国語の授業で教えました。その教え子の中から日本を代表するリーダーが多く出ています。国語の授業は、週に1回ではなく、3回以上あります。



橋本先生は、遅々としてページが進まないことに苛立った生徒にこのように言いました。

「すぐ役立つことはすぐに役立たなくなります。そういうことを私は教えようとは思っていません。なんでもいい、少しでも興味をもったことから気持ちを起こしていって、どんどん自分で掘り下げてほしい。私の授業では君たちがそのヒントを見つけてくれればいい・・・。だからこのプリントには正解を書いてほしいとは思っていないんです。自分がその時、本当に思ったことや言葉を残していけばいい。そうやって自分で見つけたことは君たちの一生の財産になります。そのことはいつかわかりますから。」


毎日、モルモン書を読んで研究し教会員生活をしている教会員ばかりではありません。モルモン書に書かれている日本語が理解できていない教会員もたくさんいらっしゃいます。



許されるなら

私は、いつの日か、教会の教師用標準テキストに沿わない、遅々として前に進まないレッスンをする教師になりたい と思っています。
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許されるはず (NJ)
2012-01-05 08:08:23
コメントありがとうございました。なるほど教会には皆でじっくり学んでいくという場面がないですね。個人の領域に任されているのでしょうか。

いつの日か、と言わないで日曜学校の課外活動かファイヤサイドの形でそのうち実現できるといいですね。(初め単発的か数度の試みでも。)

おしえていただいたら、参加しに参ります。

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モルモン日曜学校の目的 ()
2012-01-06 12:43:04
>ともすると既に読んだことがあるため受身的になる傾向があるので、能動的に読むための考え方を掲げてみた。


NJさんは、モルモンの日曜学校の目的を全く理解していないようですね。

モルモンの日曜学校は、聖典や教義について勉強したり研究したりする場では有りません。

モルモンの日曜学校の役割は、会員にモルモンの教義を再確認させ、その教義を受け入れさせる事が主な目的です。

その事は、日曜学校の教師用テキストを読めばすぐに分かります。

4っつの聖典について学んでいる様に見えますが、実は、一定のモルモンの教義を、何度も繰り返して確認しているだけです。
その為に、4年前にやったことと全く同じ事を繰り返すわけです。

そして、教師は勉強や研究ではなく、すでに決まっている教義を会員に受け入れさせるようにレッスンを進めます。

教師用テキストに書いてある生徒への質問も、ほとんどが「誘導型」です。つまり、一定の結論へ誘導する為の質問です。

例えば
「聖書以外にモルモン書と言う正確な書物を与えられているのは、あなたにとってどのような祝福が有りますか?」

この例文では「モルモン書が正確な書物で有る」と言う事についての疑問を持つ事を認めて居ませんね。

モルモンの日曜学校で、能動的になろうとすれば、教師や他の会員から煙たがられるだけです。
さもなくば、同席の、モルモニズム研究者から、「その様な質問はこの場ではしない方が良いです!」ってたしなめられるのが落ちです。


モルモンの日曜学校で得られる知恵と言えば・・
「長いものには巻かれろ」、「郷に入っては郷に従え」・・・ですね。
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豚さんの言われるとおりです (地方の教会員)
2012-01-06 23:12:28
モルモンの日曜学校は、会員にモルモンの教義を再確認させ、その教義を受け入れさせる事が主な目的です。

だから、聖典を深く学ぶことは、不可能です。

このままでは、教会員は、たてまえの教義を理解するだけの似非クリスチャンになってしまいます。

私のワードでは、私の意見が発言されなかったように扱われることがよくあります。私もわざとですが、教師の誘導型質問にはまらないような答えをいって、教室の中の考えの多様性を維持できるように務めています。

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現状はそうであっても / 諦めたくない高齢者 (NJ)
2012-01-07 00:11:40
豚さんへ 「能動的に」と書いたのはそれぞれ個人が家で読むときの心構えとして記した積りでした。「リベラルな読者の読み方」は特に個人が取り組む時の考え方として参考になると思っています。

日曜学校のクラスは礼拝に続く教会の中の学びの場ですから、おのずから記事の4の人々には節度が求められ、物足りなく感じられることが多くなります。それでも意義あるディスカッションは可能だと思います。生徒用手引きは(教師用手引きも)最小公倍数のようなもの、あるいは参考資料であっていくらでも応用が利き変化に富ませることができるからです。そうしてこそ日本の教会の自立が達成できると期待します。

地方の教会員さんへ 苦労されているようですね。私もクラスに刺激を与えようと、また建て前だけに終わっては残念と折を見て発言するよう努力しています。しかし、自分が浮き上がって皆から受け入れられないようになってはいけないので注意が必要だと自戒しています。

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日曜学校について (エフライム)
2012-01-11 00:50:10
日曜学校に限らないですが、そこで学ぶことは、自分がどう変わるかであり、他人や、クラス自体がどうあるかといったことは、主眼ではないと思います。
プロがやっているわけではないので、教師の方や、クラス自体に不備はあるでしょうが、問題はそれではなく、自分がそこで何を学ぶか、何を変えることが出来るか、どう成長するかが主眼であると思います。
人がどうかではなく、自分がどうかを問うべきだと思います。他人のあらを探していたらきりがないし、自分に何の成長ももたらさないと思います。
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忍耐と希望と (NJ)
2012-01-11 11:31:52
その通りですね。もともと自分が(個人が)どのように読むべきかについて考察した記事でした。

ただ、それぞれが環境を構成し、参加者は環境に影響されますから、そこに貢献し向上を望むのも自然であると思います。そこに毎週一時間前後過ごすわけですから、有意義であってほしいと望みます。
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師が居ない ()
2012-01-11 13:21:45
イエスには12人の弟子が居た・・・
否、もっと多くの人々が、イエスから教えを請おうとしてイエスについて回った。

イエスがこの世を去って、ペテロが教え、パウロが教えた・・・。

情報があふれるほどの現代でも、書物やデジタルの情報からは得られないものが有ると思う。
それは、自分が師と思う人から受ける無形の情報である。

その言葉や行い、生き方から得られる情報は、師から弟子へと受け継がれる。それこそが、宗教の真髄ではないだろうか?

モルモンには、師が居ない、教導者が居ない・・・

白鳥は哀しからずや 海の青 空の青にも染まず漂う

自分を染めてくれる師が居ないと言うのは、実に哀しい。
口角泡を飛ばし、自分の生き方さえも変えよと言う勢いで迫ってくる友が居ないのは実に哀しい。

「人がどうかではなく、自分がどうかを問うべきだと思います。」
としか言えない宗教は本当に哀しい・・・。

教会とは、教える会ではないのか?
そこに来て無為に時間を過ごし、帰って自分ひとりで学ばなければいけないような場所を「教会」って呼ぶのだろうか?
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教会とは・・ (NJ)
2012-01-11 21:55:58
噫(あな)哀し哉。
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気を取り直して (NJ)
2012-01-11 23:35:58
哀しいとばかり言っていても、芸がないので、

 汝ら相集まる時は、・・互いに教え導くべし
              (教義と聖約 43:8)

と言われていることを思い出して努めたいと思います。留まっている人たちは皆自信にあふれた様子なのでできているのと違いますか?
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