末日聖徒イエス・キリスト教会が1901年(明治34年)、日本に宣教師を派遣した頃、まだ教会が1890年に一夫多妻を廃止してからそれほど年月が経過しておらず、まだ多妻制を捨てきれずにいた教徒もいたため、近代国家に向かおうとしていた日本でモルモン宗の布教に反対する声があがった。

中でも廃娼運動を起こしていた基督教婦人矯風会は、理由を縷々記し文書で内務省にモルモン宗の布教を禁止するよう強く求めた。それに先立って内務省宗教局は1901年8月24日付けで警保局に指示を出して、ヒーバー・J・グラント他三名の言動、布教内容、その方法を監視・偵察するよう命じている。特に一夫多妻を説いていないかどうかが問題であったが、大管長の持つ絶対的権力への忠誠も明治政府にとって脅威に感じられた。その後、1903年に調査結果をまとめた「モルモン宗」と題する報告書が内務大臣に提出されている。結局、特に問題となることは見出されなかった。この間の事情を、國學院大學の杉内寛幸氏が今年3月に発表した論文に詳しく掲載している。
来日したグラントらは9月7日神奈川県知事に布教の届け出を行なって、布教の準備に入っている。時間的な流れを見ると、上記のような動きは短い期間に集中していることがわかる。行政としての布教の許可はすぐには出なかったと思われるが、内務省警保局による偵察から特に問題も上がらず、日本各地への伝道活動が行なわれていった。
この論文は、伝道を開始しようとしていたこの教会(宣教師)と内務省や矯風会、メディア(世論)の間の抜き差しならぬ緊張関係を、今まで目にすることのなかった諸文書を紹介することによって明らかにしている。なお、著者杉内寛幸氏は今日の日本におけるモルモン教会について、日本のキリスト教の中では比較的多くの信徒数がいて、また、かなり二世・三世の教会員が増えており、ある程度日本で定着した教会と考えられると評価しているのが目にとまった。
参考
杉内寛幸「明治中期の宗教行政と外来系新宗教 - - 日本伝道開始時のモルモン教への反応を事例として - - 」國學院大學研究開発推進センター研究紀要 第十号(平成28年3月10日)

中でも廃娼運動を起こしていた基督教婦人矯風会は、理由を縷々記し文書で内務省にモルモン宗の布教を禁止するよう強く求めた。それに先立って内務省宗教局は1901年8月24日付けで警保局に指示を出して、ヒーバー・J・グラント他三名の言動、布教内容、その方法を監視・偵察するよう命じている。特に一夫多妻を説いていないかどうかが問題であったが、大管長の持つ絶対的権力への忠誠も明治政府にとって脅威に感じられた。その後、1903年に調査結果をまとめた「モルモン宗」と題する報告書が内務大臣に提出されている。結局、特に問題となることは見出されなかった。この間の事情を、國學院大學の杉内寛幸氏が今年3月に発表した論文に詳しく掲載している。
来日したグラントらは9月7日神奈川県知事に布教の届け出を行なって、布教の準備に入っている。時間的な流れを見ると、上記のような動きは短い期間に集中していることがわかる。行政としての布教の許可はすぐには出なかったと思われるが、内務省警保局による偵察から特に問題も上がらず、日本各地への伝道活動が行なわれていった。
この論文は、伝道を開始しようとしていたこの教会(宣教師)と内務省や矯風会、メディア(世論)の間の抜き差しならぬ緊張関係を、今まで目にすることのなかった諸文書を紹介することによって明らかにしている。なお、著者杉内寛幸氏は今日の日本におけるモルモン教会について、日本のキリスト教の中では比較的多くの信徒数がいて、また、かなり二世・三世の教会員が増えており、ある程度日本で定着した教会と考えられると評価しているのが目にとまった。
参考
杉内寛幸「明治中期の宗教行政と外来系新宗教 - - 日本伝道開始時のモルモン教への反応を事例として - - 」國學院大學研究開発推進センター研究紀要 第十号(平成28年3月10日)
氏のソーシャルメディアでのデマ・風評被害での研究に注目・・・
http://shukyo-shakaikoken.up.seesaa.net/image/sugiuchi.pdf
http://d.hatena.ne.jp/tokami/20110319/p1
震災 強姦 流言 http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E9%9C%87%E7%81%BD%20%E5%BC%B7%E5%A7%A6%20%E6%B5%81%E8%A8%80
為政者サイドに立って社会不安を煽るようなのを警戒、その研究テーマという感じかな??
その3.11震災で最初、地震震源は宮城県北部内陸といったニュースも流れたような記憶が・・・たまWEB昔宮城県北部に数年住んでおったとです。
女性 被害届 強姦 http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%A5%B3%E6%80%A7%20%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E5%B1%8A%20%E5%BC%B7%E5%A7%A6
「世紀を越えて」を読むと日本の伝道創世記の大変さがよくわかります。
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/1f06131bf143708c820272d0024cdf17
P33
ケルチが末日聖徒であることを知らなかった牧師はこう告げた。
「私たちはモルモン教徒がここに来ることを予期しています。
そして、わたしたちは皆一緒になって、彼らに話す許可を与えないよう政府に陳情したのです」
ケルチは名刺を差し出して言った。
「そのカードを裏返しにして下さい。彼らが到着したことが分かるでしょう」
そこには末日聖徒イエス・キリスト教会の名称が記されていた。
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考えてみれば一夫多妻のイメージの強かったモルモンを受け入れたものだなと思います。
こんなのもあったそうですw
http://d.hatena.ne.jp/anguttara/20090117/1232182480
モルモン宗を歓迎す
曰く、モルモン教上陸は国家の慶事である。
一夫多妾の僧侶連もこれに対抗せんため、「一夫一婦の旗を翻し」公然と妻帯の議を唱えだした。
「我徒がモルモン宗を歓迎するは火災を喜ぶの心也」
「米国渡来のマンモニズムが如何に日本の士気を奮興し、如何に素町人根性を駆逐し、如何に一国道徳の程度を高らしめたるか」