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日本の末日聖徒イエス・キリスト教会の統廃合をどう見るか?(続き)

2022-12-02 13:55:08 | モルモン教関連

日本の末日聖徒イエス・キリスト教会の統廃合をどう見るか?(続き)

 再編成後の経過と反響
 まだ一二年経過したばかりだが、教会員の反応に私の感想を添えて直後の様子を記しておきたい。一言で言えば、期待感とその反面、以前の方が良かったとデメリット(欠点)もあるという見方が混在している。

 広域に幾つか散在していたワードが統合されて、凝縮された力を感じる、あるいは大勢の会員と集会に出席するのは心強さを感じるという肯定的な反応がある。それに対して大勢集まるのはいいけれども、統合されて責任(管理職や教師などの役割)と無縁になり手持無沙汰の感がする5、お客様気分も悪くないがそれが続くと教会に来ても面白くなくなる、とやや満たされない思いを持つベテランたちも少なくない。
 今の時代、多くの会員が自動車で教会に行くので時間があまり変わらない人は案外平気であるが、人によっては自転車で通っていたので、距離がずっと遠くなり不便をかこっている。また、長年通って愛着のあったワードが突然なくなるのはショックだった、と残念がる人もいた。
 統廃合のもたらす影響や評価は、会員の所属するユニットの位置(核になる教会なのか遠方のワードに吸収された方なのか)、会員個人の状況(例えば世代)や考え方によって異なる。俯瞰的な評価は全体を見て、時間の経過を経なければできない。

 分析

 まず日本全体の人口が高齢化と少子化を伴って先進国の中でも著しい減少傾向を示していて、その中で僅かな比率しか占めないキリスト教徒も末日聖徒も会員数が減少するという不安を免れない。以下のような理由で先細りの危機に直面している。

 末日聖徒の場合、(1)改宗者の数が僅少となり、成人の改宗が稀になっていること、それに(2)教会員の子供が教会に留まらなくなっているという二つの理由による。


[日本・韓国地域改宗者数の動き 1977-1980]

 (1) 改宗者の数が僅少になっていることについて。1977年と1978年の改宗者数を「聖徒の道」(1981年3月号)がグラフで示しているが、それによると月200~300人が改宗し当時のユニット数で割ると推計1ケ月当たり2~3人となる6。今から考えれば信じられない人数であるが、筆者の記憶からいっても妥当な推計だと思う。近年、幼児の祝福は時おり見かけるのに対し、改宗者のバプテスマは滅多にないのが現状である。参考になる統計として会員数の増加率を見ると、1950年、1971年に25%増加し、1975年21%であったのに対し、2003年以降1%以下になり2015~2019年その率は0.5%に下がっている。(この増加率は出生した子供を含んでいることに注意。)

 次いで(2) 教会員の子供が教会に留まらなくなっているという点について、これは1989年の時点でも青少年の半数以上が教会に一度も出席しない状態にあり、2020年代の今日この傾向は筆者が見聞きしている範囲から判断しても更に進んでいると言うことができる。

 

 上の二番目の理由を、子供の幼少時から具体的にたどって見ると、幼い時期は初等協会(通称「プライマリー」)の組織に属し楽しい時代を過ごして定着率は比較的高い。その後中高生の年齢になると教会側の働きかけ(週日の「セミナリー」と呼ばれる宗教教育など)にもかかわらず、学校における仲間からの社会的圧力 (peer pressure)で教会から遠ざかる者が増えてくる。そして大学に進学したり就職したりすると、日本社会の宗教離れやその元にある世俗化された知識体系、主として自然科学の知識の影響を受け、教会員の二世たちは社会で沈黙し孤独に追いやられ社会に吸収されることになる。

 日本社会の宗教離れや世俗化の傾向は、昔と違って西洋文化やキリスト教に魅力を感じることがもはや無く日本人が自信を持ち始めていることが背景にある。さらにインターネットで情報を得やすくなった今日、若者も成人も末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史や教義を自分で得て判断するようになったことも考慮されなければならない。

 

終わりに

 日本の末日聖徒は現在生じつつある、教会員数の減少という現実に直面しなければならない。人は自分や次世代が置かれた状況を知って生きていかなければならないのである。
 ただ一部には日本の末日聖徒の現状と将来をもう少し楽観視する見方もある。例えば教勢をキリスト教派間で見れば意外に高く4, 5位に位置していて9、既に日本に定着しつつある、と見る。確かに首都圏などでは会員が多く、出席も活動も充実していると言える。しかし、筆者の見方では長期的に見ると一部存続し存在が認められるにしても、諸条件を考慮すれば全般的に低迷を免れないと予測している。

 では、信仰に生きる個人はまた群れを指導する日本の指導者・組織はどう対応していけばよいのだろうか。筆者が痛切に感じているのは、教会員はこれを機に個人(本人)に焦点を当てて、人生をどのように全うするか、違った言い方をすれば幸せを得るかに集中すべきである、ということである。最近実施された教会の区域再編成は、強力な中央集権的な上意下達の形で行なわれた。地元の教会員の希望や心情、都合を、時間をかけて聞き取り相談して決められたものではない。また、過去の拡張的な布教・集会所増設の姿から教会の分布をまとめる方向、現実的な諸要件に沿う縮小の方向に方針が転換されている。

 対応の仕方について、別の表現をすれば日本の会員がともすると陥っていた「指示待ち / 従順型」から各個人が自ら学び、自発的に福音を実践するという「信仰の自立」が求められている。

 

註(続き)

5  裏返せば、働き人が減少し、末端の会員に目が行き届かなくなることになる。元複数のワードが統合されると、互いに知らない者同士になり、元の人脈に頼って諸事が運営され勝ちである。大勢居るという余裕が裏目に出て出席が徐々に減り、こぼれてゆく人が出かねない。きめの細かい、隅々まで血の通った姿に戻るのに時間がかかるとそうなる可能性を拭いきれない。
 専門的に言えば、日本人はつい規範 -- この場合、構成員を等しく扱い、偏りなく委任し機会を与えるという姿(沼野) - - によって運営するというより、人情や信頼の厚さに依存しがちである。言い換えると、疎遠な人よりも自然に身内 (従来の身近な知り合いや友人。沼野) との関係を優先するようになる。(神戸大学院生、永川智也「関係性を主体とする規範がもたらす日本的組織の負の側面」2013年、p. 18)

 それで、大阪の平井晴夫兄弟は次のように警鐘を鳴らしている。「集団に属する人の気持ちを考慮しない集団は衰退していく。」

6  1977, 1978年は1979~1981年のバプテスマ激増の時期が始まる前のことである。ユニット数は「聖徒の道」1973年8月号によっている。 

7 https://www.cumorah.com International Resources for Latter-day Saints

8 井上龍一編「末日聖徒の青少年指導のために」1989年、pp. 2, 3。アメリカでも1943年以前に生まれた会員(若い成人)の75%が留まっていたのに対し、1981年以降に生まれた世代では46%に低下している。Jana Riess, “How many millennials are leaving the lds church?” Religion News Service.

9 文化庁編「宗教年鑑」(2018年)の統計をもとに末日聖徒の数字を引き合わせると、活発会員がカトリック、日本基督教団に次いでいると推測され、エホバの証人を入れると4位に位置することになる。また、ユニット数で日本聖公会の教会数を下回る点を考慮すれば5位になる。https://blog.goo.ne.jp/numano_2004 2022年12月22日付記事参照。

* ファイルをPDF化し、ネットで読むことができるようにしました。次のURLに行ってください。(2023.03.08)

https://drive.google.com/file/d/17ND53O5vBChVtu6SWK1pqphTMayrPYmD/view?usp=share_link 



 


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218 コメント

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統廃合まとめ、乞うご意見 (沼野治郎)
2022-12-01 14:13:28
今年5月後半、6月初旬にコメント欄にいただいたコメントやフェイスブックなどで目にした意見をもとに、不十分ですがまとめてみました。

悲観的な調子になってしまいますが、補足やご意見をいただければ有難いです。

他の箇所でも要約した形で掲載を考えています。できれば英語でも。
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Unknown (5年まで同じワードに通っていたex)
2022-12-02 01:38:37
2番なのですが、私はプライマリーの時からすでに楽しくなかったのではと思っています

子どもたちが幼稚園児の頃、彼らの祖父母に連れられて集会に参加しましたが(私と妻はすでに離れていたので)「歌が長い。もう行きたくない。」との事でした

聖餐会などは子供には退屈、親は静かにさせようと必死と、お互いに我慢してたように思います

大人は友人との会話や、責任による役割や居場所を楽しんでいるかもしれません
しかし、子供にとっては集会所に行くということはメリットが少ないように思います

私は教勢の衰退の原因は子供たちに向き合って来なかった事だと思います
どのようにすれば子供たちは福音の中で楽しく生きる事ができるかを伝えるというよりかは、私達が信じて大切にしている価値観をあなたたちも信じて大切にしなさいというのが大人からのメッセージだったように感じます
それこそ、聖餐会は神聖な時間で、あなた達も敬虔に参加するべきである、というメッセージ等ですね

両親が無理やり子供たちを教会に連れていったという事案も知っていますし体験もしています
そうなると、子供が教会に行く理由は楽しいからではなく、両親を喜ばせるため、期待に応えるため、さらにいえば、教会に行くことで愛してもらうためです

そのような幼少期を体験していたら、親離れと同時に教会から離れることは必然です
逆に言えば、幼少期から自分の選択で、意思で、教会は楽しくて自分にとっては良いものであると納得していたのならば成長しても教会から離れることは少ないかもしれません

宗教二世という言葉が流行語大賞にノミネートされてるみたいですね
モルモンが今後どういう道を辿っていくのか
ブログを見ながら見守らせて頂きます
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コメントに感謝 (NJ)
2022-12-02 18:18:27
率直なコメントに感謝致します。子供の視線から具体的に書いていただきました。仰る通りで思い当たる所があります。
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キリスト教が有史以来の危機…世界的"宗教変動"の衝撃 (オムナイ)
2022-12-02 20:41:43
https://president.jp/articles/amp/52070

欧米で「教会離れ」が進んでいる。米国の調査機関によれば、
信じる宗教は何かとの問いに「キリスト教」と回答した米国の成人は2009年の77%から10年後に65%に急減した。
ーーー
いわゆる先進国ではキリスト教ばかりでなく宗教全体が衰退傾向なので、
相対的視点で観ると末日聖徒はかなり優秀だと思えます。

預言者の一人が信者数の伸びが鈍化しているようですが?
というインタビューに「末日聖徒の教会の成長の現状はむしろニュース」と答えたように、
多くのキリスト教と比較すると先進国の衰退度は小さく、
アフリカなどの発展途上の国では成長著しいようです。

1ユニットあたりの活発会員と指標も将来は変化していくと思います。

次世代の末日聖徒はその時代、時代で最善の神の御心を実践し、より福音を昇華させてくれるに違いないと確信しています。

先進国の末日聖徒、発展途上の末日聖徒、それぞれの信仰のあり方があるような気がします。
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タイミングが最悪 ()
2022-12-05 17:08:44
統合て聞いた時にすぐに思ったのは、「何故コロナ過の今なの?」って疑問です。

日本全国で「密は避けましょう」って言ってる時に、大きな「密」を作ってしまった。


それと、統合して大人数のユニットにするについての対策が全くとられてない。

私のユニットでは、当初礼拝堂だけでは足らずに、後ろのホールとの仕切りを開けて大人数に対応したが、音響が整って居なくて、ホールの人は話が聞き取りにくくて、話者が何を話しているのかよく聞き取れない。

高齢者が多いのでよけいにそうなってしまう。

数カ月経っても、全く音響設備を改善しようと言う気配が無かった。

三つのワードが一つに成ったので、2/3は知らない人です。

私は未だにビショップリックの名前を一人も知らない。(笑)

当然、役員の名前も知らない。

知らなくても困りませんが。


ワードの名前もちょっとは気にして欲しかったな~って気もします。

IワードとHワードとTワードが統合されて、Iワードに成った。
でも、名前だけ見ると、Iワードに吸収合併されたって感じで、ちょっとプライドが傷つく気がする。

市町村合併でこんな事したら大騒ぎになるのにね。

ま、要は会員に対する配慮が無さすぎる。配慮ゼロですね。

今に始まった事じゃないけど。

私の予想では、人数はどんどん減っていくでしょうね。

集団に属する人の気持ちを考慮しない集団って言うのは、衰退して当然ですね。

宗教団体が「教義と信仰で成り立ってる」って思ったら大間違い。

人間やはり義理と人情なんですね。
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Unknown (あじフライ)
2022-12-06 10:04:57
本当に伸びてゆく成長期にある場合、謙虚になって現実を受け入れ、足りぬところを強くし、他者の良いところを見倣おうとする。

しかし衰退している者は、事実を受け入れず、都合の良い所にのみ目を向けたり、他の者よりはましだとか、みんなが悪い中で自分は優秀な方だなどと根拠のない空論にすがる。

そして現実を見ろとささやく声には、一切耳を傾けず、反対者め、敵対者め、と拒むようになる。

これは、滅亡の始まり。
古代の王国しかり。
日本経済しかり。
末日聖徒イエス・キリスト教会しかり。
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Unknown (あじフライ)
2022-12-06 13:00:22
普通の企業ではモノが売れなかったら、品質が悪いのか、値段が高いのか、売り方を変えるべきかと自社の改善すべき点を探す。

でもモルモン教会は人が来なくなったら、世の中に悪がはびこってる、人々が心を頑なにしている、我が教会は生ける預言者に導かれているから問題はないと考える。

そう言うことだよねぇ。
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Re;タイミングが最悪 (オムナイ)
2022-12-06 19:10:31
>統合て聞いた時にすぐに思ったのは、「何故コロナ過の今なの?」って疑問です。

最新の宗教年鑑だと前年から5千人も減ってます。
これはコロナ禍で外国人の帰国が影響しているかもですね。

>私のユニットでは、当初礼拝堂だけでは足らずに、後ろのホールとの仕切りを開けて大人数に対応したが、

このあたりは地元指導者が統廃合に関われないネガティブな側面が出ましたね。

昔、大きな礼拝堂が欲しくて会員一同頑張って聖さん会出席者を増やしたのに分割対応されて意気消沈したことを思い出しました。

>日本全体の人口が高齢化と少子化を伴って先進国の中でも著しい減少傾向を示していて、
>高齢者が多いのでよけいにそうなってしまう。

この辺りは個人的に少し意見が違いまして、日本はまだまだ人口密度が高すぎるので現在の半分(5千万人程度)まで
減らした方が良いと思ってます。

それでもヨーロッパの国々に比べるとまだ人口密度が高い。

まぁ、大多数の人は100歳までにはどんどん霊界に召されるわけですから
現在の逆三角形の人口比率から柱状に近い台形になるでしょう。
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大根大 (家族の幸せって何)
2022-12-06 21:11:48
朝日新聞、12月5日(月19面)菊池真理子さんの記事から多くのことを考えました。引用させていただきます。「神や仏じゃなく、親から愛されたかった。それが、多くの宗教2世が感じていることではないでしょうか。・・幼い頃から、妹と共に、母が信仰する仏教系の新興宗教に入信させられていた。熱心な信者だった母は、毎朝3〜4時には起きて、宗教団体が発行する新聞を配達しに出かけた。いったん帰って菊池さん姉妹を学校に送り出した後も、夜遅くまで宗教活動で外出した。生活の中心はいつも宗教があった。菊池さんも、信者仲間の中で中心的な立ち位置で、頼りにされていた母のことを誇らしく感じていたという。しかし、母は徐々に心身のバランスを崩し始めた。仏壇に向かって鳴き、宗教活動から帰って泣き・・・。ふとしたことで菊池さん姉妹に泣きながら感情をぶつけた。家から締め出されたこともある。幼心にも、宗教活動での人間関係のつらさや、無宗教を貫いた父との関係修復が難しくなったことが、母を苦しめているように見えた。そんな母の姿に、いつか壊れてしまうのではないかと、不安を覚えるようなった。「もっと、いい子にしなくちゃ。そうすれば、お母さんは喜んでくれる」そう考え、宗教活動にも励んだ。ところが、菊池さんが14歳の時、母は自分の命を断つ道を選んだ。「こんなに宗教を信じて頑張っていた母は、なぜ幸せになれなかったのだろう」妹とともに信仰は捨てた」(引用終わり)     自分自身も若い頃、改宗してまもなく、「イエスは言われた、「よく聞いておくが良い。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍も受け、また、来るべき世では永遠の生命を受けるのである」(ルカ19:29)日本で始まったばかりのインスティチュートの新約聖書クラスでこの聖句を知って「信仰と家族の幸せがこの世でどのような形で実現するのか」教師に質問したことがありました。その後の信仰生活でいつもこのことを中心に考えて何をすれば良いのか、どのようにバランスを取ることができるのか悩んできました。改宗した時の伝道部会長の姉妹が話の中で「皆さんは周りの人からモルモン信仰気狂いだと言われたら喜びなさい」(言葉は正確ではないかもしれません)と話されたのをよく覚えています。その姉妹はのちに中央扶助協会のボードメンバーの一人になりました。その真意はその時は十分理解できませんでしたが疑問にも思いました。独身時代に周りの教会員のいくつかの家族が状況は少しずつは異なりますが、信仰の家族が試練にあい壊れていくのも見てきました。「この福音は家族を幸せにします」と分かち合ってきたことの答えは見出せませんでした。   自身の神殿結婚から子育てでの多くの失敗を経て少しずつ学んできたように思います。子供達が青少年の時代には様々な「どうしてこんなことになったのだろうか」と二人で泣いて祈ったこともたびたびでした。子供達からよく言われたのは「お父さんは自分勝手で、自分の考えを押し付けている。お父さんは自分で改宗したからいいけど、自分たちにはまだそれが無いから苦しいんだ」ということでした。ちょうど同じ頃、教会の責任や仕事に忙しく子供達の悩みをゆっくり時間をとって聞いてあげることもせずに妻に任せきりだったのです。ですので私自身も「子供たちを愛することよりも、教会の責任や仕事に追われていたこと」は事実です。もっと言うと、時々、家族の問題を理解したり解決のための努力をするよりも他のことの忙しさに逃げていたこと、言い訳にしていたこともあったと思います。」私の妻と子供達が今どのような状況かの詳細は書きません。6人とも家を出て自立した生活を送って孫たちにも恵まれています。今、妻と二人だけの生活に戻って時々子育て時代の苦労話を話し合っています。多くの場合は妻のその時の苦しみを聞かされています。私の選択と行動の結果として、今でも子供達の多くは母親に相談したり話し合ったりしています。男の子たちは自分が子供を持って少しは父親の立場を理解してきたのか、お互いに話を聞くことができる湯に待っています。それでも、子供達の一致した意見は、「もしお父さんが先に亡くなったらお母さんは面倒見るから心配しないで。でも反対の場合は最悪」だそうです。「家族の幸せって何だろう」今も答えが出ません。
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Unknown (あじフライ)
2022-12-07 05:34:14
>「こんなに宗教を信じて頑張っていた母は、なぜ幸せになれなかったのだろう」妹とともに信仰は捨てた

カルト宗教は『頑張れば救われる』と説きますね。

これが一見もっともらしく思えるのは、何事にも対価が必要なのは当然だ、という人間社会の原則に適応しているからです。生活の糧を得るのも、教育を受けるのも、結婚するのも、人間社会で生きていくためには対価を求められます。

では救いはどうですか? 救いも同じですよ。でも対価というあからさまな単語は使われません。「信仰」や「信心」という耳に聞こえの良い言葉で表現されます。

ようするに対価として救いが与えられる、と教えるのがカルト宗教です。そして、救われない、幸福になれないのは信仰が足りないからだ、もっと信仰を深めよ、と教えてきます。

ではどうしたら信仰を深められますか?との問いにカルト宗教はこう答えます。
・救われるように日々祈りなさい
・我々の教えを学びなさい
・その教えを生活に取り入れて暮らしなさい
・宗教のために財産や時間を提供しなさい

こうして信者たちは、救われる=頑張る=すべてを宗教に捧げること、というカルト宗教のロジックに染め上げられていくのでしょう。これに陥ると自分の人生も家族もすべてを壊してしまう非常に危険な考え方です。

ですが、この危険なロジックに対抗する唯一の手段があります。それは今の自分は幸福だ、もう十分だと気が付くこと、あるいはそう思い込むことです。自分には神も救いも必要ない、カルト宗教も必要ない、だって幸福なのだからと。

多分ですが、現代社会では日本人の多くがこの防御方法を身につけているのです。それだからモルモン教会は日本で増えないのです。
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