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トリーハウスのホームページから転載

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『人は死ぬとどうなるの?』 価格1,260円 申し込み方法は
                    下記URLへ   
ティモシィ・ロビンソン (作)
ディリーン・マーシュ (絵)
わたなべ はるみ (訳)
 
 命についての深遠な教義を、わかりやすい簡潔な文章で伝え、
また文章を理解できる絵が添えられた本です。
 内容は、自分の命、そして救い主と自分の関係、家族が時を
越えて住む教えを学べます。天父がくださった「救いの計画」の
すべてを教えてはいませんが、救い主の贖いを学び、天父と主
イエスの愛を理解できるようになればと願っています。
 繰り返し読むうちに、心に希望が生まれる絵本です。

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トリーハウス URL: http://treehouse.gozaru.jp

コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
子供に・・・。 (金豚)
2007-09-04 09:48:58
人は死ぬとどうなるのか?って難問に答えられるなんてうらやましいですね。
まして子供に・・・・。

私はいつも子どもに教えなければいけないときには、「私はこう思うけど、正しいかどうかは、自分で考えて判断してください」って言います。

だってね、死んだ後どうなるかって私には分かりませんから・・・。

まだ子供なんですかね??
 
 
 
それが答えられるんです (NJWindow)
2007-09-04 11:22:43
それが答えられるんです。キリスト教には!特に末日聖徒イエスキリスト教会には!

聖書と末日の聖典に、人類に与えられた啓示が載っていますから。

もっとも、私も金豚さんと同じ気持ちですが。事実、子供たちが巣立っていくとき、一人ひとりに「今後は信仰に関して自分で判断して人生を歩んでいくように」と厳しい目の言葉をかけたことでした。

追記、この絵本の紹介をした後、アクセス数が急に普段の30-50件から100件を越えました。多くの人がこのことに関心を寄せていることがわかります。
 
 
 
Unknown (金豚)
2007-09-04 12:22:54
>それが答えられるんです。キリスト教には!特に末日聖徒イエスキリスト教会には!

でもね・・・詳しい事を聞こうとすると・・「それはまだ啓示されていませんので・・・」とか言われるんですよ。(笑)

>アクセス数が急に普段の30-50件から100件を越えました。多くの人がこのことに関心を寄せていることがわかります。

そりゃ、誰しも死んだ後どうなるかって知りたいですよ・・でも、私の場合、死後の世界から帰ってきた人に有った事が無いのでね・・・。丹波さんもまだ帰ってこないし(笑)
 
 
 
Unknown (Wasatch)
2007-09-04 13:11:46
5歳ごろ死んだらどうなるのか父親に聞きました。
そのとき初めて人はキリストの復活の力によって再び復活することを学びました。つまり人は永遠の存在であると。

心に深く静かにこれは真実だという感動があふれ幼稚園の友達にも喜びながら伝えました。
友達は怪訝そうな顔をして先生に聞いてくると言って信じてくれませんでした。
先生はそんなことは無いといいましたが私は全然気にしていなかったのを覚えています。

私は4、5歳の子供でも充分キリストの福音を理解出来ること、また真実であると自分で確信を持てることを自分の経験上分かっています。
おそらく私の信仰は幼稚園を卒園する頃にはほぼ今の形?になっていたように思います。
 
 
 
個人的な証に感謝 (NJWindow)
2007-09-04 14:24:13
Wasatchさん

この記事に相応しい個人的な経験と証をありがとうございます。

渡辺春美さんの出版活動を支持する方向のコメントに感謝します。

 
 
 
パスカルの賭け(トゥゲザー版) (トゥゲザー)
2007-09-04 15:43:04
「死後の世界は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?

― いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。

― そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」

すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。

賭け金は自分の人生である。死後の世界が存在するという方に賭けたとしよう。
その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは予想していた未来だけである。
死後はあると考えていたわけだから、そこで得るものは何もない。
逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
得られると思っていたものをすべて失うことになるからである。

反対に、死後の世界は存在しないという方に賭けたとしよう。
そうすると君はわずか何十年しかない人生を懸命に生き抜くだろう。
君が賭けに勝てば何の後悔もなく満足感をもって死を迎えられる。
しかもたとえ賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。
それどころか、君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになるのだ。
 
 
 
パスカルは詩人? (NJ)
2007-09-04 16:24:06
今日のトゥゲザーさんは優れて善い詩人 altogether(全く)!?

(存在するという方に賭けた場合の5行に少し表現上変更を加えることができると思うけれども)
 
 
 
Unknown (金豚)
2007-09-04 17:43:52
私は死後の世界について、それぞれの人が、それぞれの見解で、自分の心の中にイメージを持つ事には反対しません。

しかし、私自身が何故「死後の世界に関しては分からない」と言うのか。

それは、第一の理由は本当に分からないからです。

そして第二の理由は、死後の世界に言及しなくても、人間は充分に生きていけると思うからです。
人間は死後の世界を想定しなくても、充分に自分自身の目的を持って人生を生きられます。

最後の理由は、世の中には「死後の世界はこうなのだ!」と主張する集団や組織が沢山有るからです。
そして、その事による弊害も沢山有ります。

例えば、特定のイスラム圏での子供に対する宗教教育によって、自爆テロなどの行動に走る人間を作り出しています。

>死後の世界は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?

私はその様な結論の出ない事に掛ける気は有りません。
死後の世界が存在しようが、しまいが、私の生き方には全く関係が有りません。私は、自分の今の人生の為に生きているので有って、死後に得られる利益の為に生きているのではないからです。

誤解の無いように改めてかいておきますが、私は個人が何を考えどう言っても良いと思います。
ただ、組織や集団が特定の概念を押し付ける事に危惧を感じます。
 
 
 
子供の目 (Wasatch)
2007-09-05 00:04:37
まだ幼いですが私にも子供がいます。
毎週一緒に教会に集っているのですが
教会で学んだことを自分で応用して試して信仰を深めていく様子は驚くばかりです。

子供の頃を思い出すと私は教会に入ると教会の気持ちを感じていました。それは祈るとき、賛美歌を歌うときに感じるものでした。

あまりにも身近であったのでそれが聖霊によるもであることになかなか気付きませんでした。
見えないもの、触れないもの、しかし実在しその存在を全身で感じられる世界。
喜び、平安、知識、理解、慰め、清め、力を与えるもの。
子供は大人の想像以上に感じ取っています。
 
 
 
Unknown (金豚)
2007-09-05 10:12:18
子供が子供なりに何かを感じて、信仰を深めて行くのはすばらしい事ですね。

でもこんな話も有ります。
教会員の子供として生まれ、7歳でバプテスマを受け、その後結婚し子供をもうけたお母さんですが、そのお母さんの子供が7歳になった時、自分の子供にバプテスマを受けさせるかどうかについて、このように言われました。

「私は自分でそう考えない時期にバプテスマを受けてしまって、その後ずっとその事が心の重荷になっています。ですから、自分の子供には、自分で判断がつく様になってから、自分の意思で決めて欲しいと思いますので、今はバプテスマを受けさせません。」

>子供は大人の想像以上に感じ取っています。

子供が感じている、「神様」への思いと、私達が具体的に教団から教えられている教義とは同じものなのでしょうか?
私は似ていて違うものではないか?と思います。

私は、「子供たちの思いの中に、神の存在があり、キリストの愛の心がある」のはすばらしいことだと思います。しかし、「教団の教義の中に子供たちの心を押し込め、教団の組織の中に子供たちの存在が有る」のは、すごく悲しく見えます。

 
 
 
モルモンの死生観 (トゥゲザー)
2007-09-05 11:52:11
モルモン教義について私なりに思うことですが、以下の部分はとても聞こえの良いものだと感じます。

・前世では神のみもとで暮らしており兄弟姉妹だった
・現世でお互いに助け合いながら成長する機会を得た
・来世では再び神のみもとで皆が幸福に暮らせる

モルモン教義のこの部分は普遍的な人類愛を想起させ、現代社会の問題のいくつかを解決する助けにも成りうるものだと思います。
しかし上記の甘美な糖衣の下には以下のような恐るべきカルト教義が潜んでいます。

モルモン教会と指導者に忠実だった者だけが神の全てを受け継ぐ、モルモン会員でないものは下級の世界で永遠に暮らすことになりそれはその人の行き止まりである。モルモンを離れてしまうと家族は永遠に共にいられない。
モルモン会員の男性は来世で複数の妻を持つ。女性はモルモン男性の永遠の妻とならなければ昇栄できない。
これらは神殿の儀式を受けることで約束されるが、その儀式の内容を口外したものは滅ぼされる。
全財産の10%をモルモン教会に献金しない者は、神殿の儀式を受けられないため、神の用意された最高の栄えを得られない。
来世で神の栄えに入るかどうかを決められる最後の裁きでは、モルモン会員か否かに関わらず、その人が生きた時代のモルモン大管長が裁きを下す。
以上が神のみもとへ帰る唯一の道であってこれ以外の方法は一切存在しない。

モルモン教義のこうした部分は、宗教組織を利用して権力と財産を
求めようとするユタの老人たちによって導入されたものであり、キリスト教の理念とも全く合致せず、私たちの教会をカルト宗教たらしめているものです。

モルモン教会がまともな宗教となるためにはいくつかの教義を廃棄しなければならないのではないでしょうか?
 
 
 
Unknown (Wasatch)
2007-09-05 18:58:53
子供に宗教的訓練を与えるかどうかは親側の宗教的態度によって決まると思います。
子供をあるゆる価値観からニュートラルな状況に置くことは可能なのでしょうか。それ自体がある価値判断を含んでいませんか?
親がどれほど宗教的に熱心であったとしても親の信仰を引き継ぐかは子供が最終的に判断することです。

私は中学生のころ教会に行っていませんでした。
しかし、ある時ジョセフ・スミスの経験を読んで衝撃を受けました。
昔からよく知っていた物語。
疑ったことも無かった物語。
しかし以前に感じたことのない気持ちを感じたのです。
これは真実だという気持ちと心が清められる気持ちです。
まもなく教会にも行くようになりました。
その時に私は自分で信仰を選択したのだと思います。


 
 
 
永遠の家族 (トゥゲザー)
2007-09-05 20:17:02
最近、モルモン教会の中で、「子供が最終的に教会に残るか離れるかは子供の自由意思である。親は自分の信じていることを証するだけで、後は子供の自由意思である」という意味の発言を聞くことが多いです。

これは、親が自分の宗教を子供たちに押し付けない、子供の自由を尊重している、寛大で公正な態度であるかのようにも聞こえるのですが、モルモン教義と教会の現状について理解していると別の側面が見えてきます。

まずモルモン教義では、子供が別の信仰を持つことを神は許していないのです。
「8歳の時に子供がバプテスマを受けなければそれは親の罪である」と教義と聖約では明言されています。モルモン会員が神殿で家族の結び固めをするということは何を意味しているうのでしょうか。

それはモルモンでない者は永遠に神のみもとで家族として住むことができない、ということなのです。家族は永遠に、という一見美しい標語も、裏を返せばモルモンを離れたものは「家族は永遠に一緒になれません」ということに他ならないのです。

このため親は必死になって子供たちを教会に引っ張ってゆき、教会から離れないように精神的に束縛します。子供と永遠の家族でいられるようにするためです。

しかし現状はモルモン2世たちは次々と教会を離れています。
ステーク会長、評議員、監督、立派なモルモン指導者でも一人か二人、不活発な子供を抱えているのです。

彼らは自分たちの教え方が失敗だったのかと後悔しながら、一方では自分は一生懸命やった、教えることは教えた、後は子供の自由意志による選択だ、と合理化することで精神的安定を維持されています。
結局モルモンを離れた子供たちを、永遠に家族の一員となれないのは彼ら自信のせいだ
と切り捨てることでしか解決をはかれないのです。

ここにモルモン教義の罪深さがあると思います。
必死になって子供たちを教えながら、それゆえに絶望を味わうことになり、最後に実の子供を精神的に切り捨てなければならない、このような教義のどこに救いがあるのでしょうか?
 
 
 
永遠の家族 (Wasatch)
2007-09-06 02:00:32
トゥゲザーさんへ
モルモンの教義を誤解されているようです。
”遅かれ早かれ子供たちは帰ってくるので希望を失なわない”が私たちの信仰です。
つまり神殿で結び固められた家族の絆は信仰を失った子供たちを救う力があるという信仰です。
 
 
 
来世の存在の希望に始まった (NJWindow)
2007-09-06 06:45:34
>人は死ぬとどうなるのか?って難問に答えられる(金豚さん最初のコメント)

来世があるという概念は人類全体にとって、大きな希望であり、キリスト教徒のみならず、仏教徒、イスラム教徒、ゾロアスター教徒、さらにほとんどの無神論者の日本人でさえ、その概念を共有しています。

子供向けの絵本からこの記事とコメントは始まっています。ほのぼのした、あるいは希望的人類共通の思いとしてここではとどめたいと思います。

金豚さん、トゥゲザーさんは別の共通の議論の場を持っていますから、これ以上の展開はそちらでしてください。私もご両人の発言に感じるところを述べたい気持ちがありますが、場所を変えたいと希望します。

 
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