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トリーハウスのホームページから転載
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『人は死ぬとどうなるの?』 価格1,260円 申し込み方法は
下記URLへ
ティモシィ・ロビンソン (作)
ディリーン・マーシュ (絵)
わたなべ はるみ (訳)
命についての深遠な教義を、わかりやすい簡潔な文章で伝え、
また文章を理解できる絵が添えられた本です。
内容は、自分の命、そして救い主と自分の関係、家族が時を
越えて住む教えを学べます。天父がくださった「救いの計画」の
すべてを教えてはいませんが、救い主の贖いを学び、天父と主
イエスの愛を理解できるようになればと願っています。
繰り返し読むうちに、心に希望が生まれる絵本です。
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トリーハウス URL: http://treehouse.gozaru.jp
まして子供に・・・・。
私はいつも子どもに教えなければいけないときには、「私はこう思うけど、正しいかどうかは、自分で考えて判断してください」って言います。
だってね、死んだ後どうなるかって私には分かりませんから・・・。
まだ子供なんですかね??
聖書と末日の聖典に、人類に与えられた啓示が載っていますから。
もっとも、私も金豚さんと同じ気持ちですが。事実、子供たちが巣立っていくとき、一人ひとりに「今後は信仰に関して自分で判断して人生を歩んでいくように」と厳しい目の言葉をかけたことでした。
追記、この絵本の紹介をした後、アクセス数が急に普段の30-50件から100件を越えました。多くの人がこのことに関心を寄せていることがわかります。
でもね・・・詳しい事を聞こうとすると・・「それはまだ啓示されていませんので・・・」とか言われるんですよ。(笑)
>アクセス数が急に普段の30-50件から100件を越えました。多くの人がこのことに関心を寄せていることがわかります。
そりゃ、誰しも死んだ後どうなるかって知りたいですよ・・でも、私の場合、死後の世界から帰ってきた人に有った事が無いのでね・・・。丹波さんもまだ帰ってこないし(笑)
そのとき初めて人はキリストの復活の力によって再び復活することを学びました。つまり人は永遠の存在であると。
心に深く静かにこれは真実だという感動があふれ幼稚園の友達にも喜びながら伝えました。
友達は怪訝そうな顔をして先生に聞いてくると言って信じてくれませんでした。
先生はそんなことは無いといいましたが私は全然気にしていなかったのを覚えています。
私は4、5歳の子供でも充分キリストの福音を理解出来ること、また真実であると自分で確信を持てることを自分の経験上分かっています。
おそらく私の信仰は幼稚園を卒園する頃にはほぼ今の形?になっていたように思います。
この記事に相応しい個人的な経験と証をありがとうございます。
渡辺春美さんの出版活動を支持する方向のコメントに感謝します。
― いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。
― そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。
賭け金は自分の人生である。死後の世界が存在するという方に賭けたとしよう。
その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは予想していた未来だけである。
死後はあると考えていたわけだから、そこで得るものは何もない。
逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
得られると思っていたものをすべて失うことになるからである。
反対に、死後の世界は存在しないという方に賭けたとしよう。
そうすると君はわずか何十年しかない人生を懸命に生き抜くだろう。
君が賭けに勝てば何の後悔もなく満足感をもって死を迎えられる。
しかもたとえ賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。
それどころか、君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになるのだ。
(存在するという方に賭けた場合の5行に少し表現上変更を加えることができると思うけれども)
しかし、私自身が何故「死後の世界に関しては分からない」と言うのか。
それは、第一の理由は本当に分からないからです。
そして第二の理由は、死後の世界に言及しなくても、人間は充分に生きていけると思うからです。
人間は死後の世界を想定しなくても、充分に自分自身の目的を持って人生を生きられます。
最後の理由は、世の中には「死後の世界はこうなのだ!」と主張する集団や組織が沢山有るからです。
そして、その事による弊害も沢山有ります。
例えば、特定のイスラム圏での子供に対する宗教教育によって、自爆テロなどの行動に走る人間を作り出しています。
>死後の世界は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?
私はその様な結論の出ない事に掛ける気は有りません。
死後の世界が存在しようが、しまいが、私の生き方には全く関係が有りません。私は、自分の今の人生の為に生きているので有って、死後に得られる利益の為に生きているのではないからです。
誤解の無いように改めてかいておきますが、私は個人が何を考えどう言っても良いと思います。
ただ、組織や集団が特定の概念を押し付ける事に危惧を感じます。
毎週一緒に教会に集っているのですが
教会で学んだことを自分で応用して試して信仰を深めていく様子は驚くばかりです。
子供の頃を思い出すと私は教会に入ると教会の気持ちを感じていました。それは祈るとき、賛美歌を歌うときに感じるものでした。
あまりにも身近であったのでそれが聖霊によるもであることになかなか気付きませんでした。
見えないもの、触れないもの、しかし実在しその存在を全身で感じられる世界。
喜び、平安、知識、理解、慰め、清め、力を与えるもの。
子供は大人の想像以上に感じ取っています。
でもこんな話も有ります。
教会員の子供として生まれ、7歳でバプテスマを受け、その後結婚し子供をもうけたお母さんですが、そのお母さんの子供が7歳になった時、自分の子供にバプテスマを受けさせるかどうかについて、このように言われました。
「私は自分でそう考えない時期にバプテスマを受けてしまって、その後ずっとその事が心の重荷になっています。ですから、自分の子供には、自分で判断がつく様になってから、自分の意思で決めて欲しいと思いますので、今はバプテスマを受けさせません。」
>子供は大人の想像以上に感じ取っています。
子供が感じている、「神様」への思いと、私達が具体的に教団から教えられている教義とは同じものなのでしょうか?
私は似ていて違うものではないか?と思います。
私は、「子供たちの思いの中に、神の存在があり、キリストの愛の心がある」のはすばらしいことだと思います。しかし、「教団の教義の中に子供たちの心を押し込め、教団の組織の中に子供たちの存在が有る」のは、すごく悲しく見えます。