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末日聖徒は資本主義 (特に新自由資本主義) に影響されすぎていないか

2023-04-27 23:19:49 | モルモン教関連

 経済学者であり末日聖徒である高木信二氏は、「モルモン学レビュー」誌10号(2023年2月)に「資本主義と分配の正義 :ある経済学者(モルモン教徒)の瞑想」と題して評論を掲載した。以下、彼の論文を敷衍要約する形で短く紹介したい。

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 しばしば民主主義と不可分と見做される資本主義 - - 特に自由市場を基本とする社会の姿 - - を教会員は当然のこととして受け入れてきた。しかし、この体制は人々の間に所得の不平等をもたらし、末日聖徒の聖典が支持する平等主義と矛盾することになる。

 

 著者は、新自由資本主義 (neoliberal capitalism) と呼ばれる自由世界の経済体制が規制緩和を進め、私有化・民営化 (政府の役割を縮小させる)、そして国際化 (globalization) を推し進めて、所得の格差を加速していると指摘する。それは特に米国で顕著である。

 

 ついで資本主義が持つ特性と末日聖徒が周囲から持たれている印象について、紙幅を割いて解説している。資本主義は、一方で人々が向かうべき姿と見る自由擁護者の思想的視点(ideology)であり、他方、経済面では競争や効率の点から最善の形態であるとされている。ただ、それはいずれも証明された欠点のないものではなく、対極にあるとされる社会主義を全否定できるものでもない。例えば日本やドイツは資本主義であっても社会主義的と見られる要素を取り入れた変種と見ることができる。

 

 聖典で「人がほかの人以上のものを持つようには定められていない」(D&C49:20) と説かれているにもかかわらず、今日教会で平等主義の考えが実現されている形跡はほとんど見受けられない、と著者は見る。「過去一世紀にわたってアメリカ文化に吸収され、多くのアメリカの末日聖徒は資本主義的思考を熱心に擁護するようになっている」のである。教会は断食献金を活用したり、人道主義的な運動に携わったりしているが、応急措置的なものでしかないと著者は見る。アメリカ人は資本主義が格差を生んでいるのは必要悪であると感じ、共和党と歩調を共にする多くのアメリカ人は資本主義を是認している。

 

 経済面の自由は末日聖徒の自由意志を重視する教えと共通するが、自由という概念が広く人々に与えられる機会や可能性にもかかわってくるとすれば、全ての人が自己達成を目指せるように万人の教育、保健医療の制度などが不可欠になってくる。

 

 「分配の正義」は物の量もさることながら、むしろ提供できる能力にかかわってくる。教義と聖約にあるように「多く与えられる者からは多く求められる」(82:3)。なお、自由市場の考えに立つ資本主義と個人的規模の慈善は性が合わない。今よりもっと正義にかなった社会 (just society) を実現させるためには、国家にせよ教会にせよ集合体による組織的な働き(collective action) が求められる。   (敷衍要約以上)。

                       

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 末日聖徒イエス・キリスト教会の人道支援の現状に言及した、的を射た評論であると思う。英文で研究誌 Mormon Studies Review, Vol.10 (2023), pp. 42-53 に掲載された評論 “Capitalism and Distributive Justice: Musings of a Mormon Economist” を敷衍・要約して紹介させていただいた。出版はイリノイ大学である。小生沼野治郎も結論の部分で同様に感じていたので、日本語で私なりの理解に基づいて読者に届けたいと思った。(文中、解りにくいところや間違いがあれば、わたしの責任である。看過できないものがあれば、ご指摘ください。)
 

[補足] 著者高木信二氏から、この記事の原稿を読んで、自分は市場経済自体を否定していない、否定しているのは市場万能主義であるとコメントが届いた。またなぜこの評論のような結論に至ったか、その過程を経済学の論理を駆使して縷々説明した、その点に注目してほしいとのことであった。


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54 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (擁護派)
2023-04-27 23:32:27
所得といえば、ぶどう園で働くはなしで、朝から働いている人も夕方きた人も同じ一円しかもらえなかった話がありますが、そんなことしてたらみんなすこししか働かなくなると思いました。
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キリスト教共産主義 (オムナイ)
2023-04-28 15:27:24
>今よりもっと正義にかなった社会 (just society) を実現させるためには、国家にせよ教会にせよ集合体による組織的な働き(collective action) が求められる。

wiki/キリスト教共産主義
「イエス・キリストの教えによれば、キリスト教徒達が共産主義を理想的な社会体制として支持しなければならない」という見解に根拠をおき発達した神学的で政治的な理論。
キリスト教共産主義が何時生じたのかは正確には判っていない。
新約聖書の使徒行伝によれば、エルサレム教会では財産を共有するキリスト教社会主義共同体を維持したとされている。
エルサレム教会とは神学性格が違った使徒パウロやヤコブも、教会では教友達の間の不平等があってはいけないと信じた。
・・・

アメリカ社会は極端に走りすぎた感がありますね。
自由競争は貧富の差を拡大し、統制は競争そのものを阻害するのでしょうか。

>例えば日本やドイツは資本主義であっても社会主義的と見られる要素を取り入れた変種と見ることができる。

確かに!

GPT
Q;格差の少ない国はどこですか?

A;
格差という概念は多面的であり、どのように測定するかによって結果が異なりますが、一般的には所得格差が小さい国が、比較的格差の少ない国と見なされます。

世界的に見ると、スカンジナビア諸国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、アイスランド)が、格差の少ない国としてよく知られています。
これらの国々は高い社会福祉制度、公平な教育制度、均等な所得配分などが特徴的です。

他にも、カナダ、日本、オーストリア、ドイツ、オランダなどの国々も、比較的格差の少ない国と見なされています。
ただし、これらの国々でも、格差が存在することを忘れてはなりません。
---

>file:///C:/Users/Owner/Downloads/Mormon-Studies-Review-vol.-10-2023%20(2).pdf

こ・これは。。
NJさんのPCにダウンロードされたファイルのありかなので。。
ネットからは閲覧できません。
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おゆるしを (NJ)
2023-04-28 17:17:44
すみません。消しておきます。(最後のファイルの在りか)
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Unknown (通行人)
2023-04-29 08:32:01
旧約聖書では納められた什分の一の嗣業の民への分配計算が明記されているし分配後の残余分が定期的に困窮者に分け与えられる、つまり定期的に什分の一を納めた蔵は空っぽになる事が記されている。
そもそも断食献金?なんだそりゃ?だったんだが。
旧約聖書をキチンと読んでいれば古代ユダヤ教とモルモン教との間に捧げ物の取り扱いに共通点が全く無い事は誰にでもわかっていた事。
問題が表面化すると俄にこういう論文という体裁の論評が出されるのはどういう事か?
学術の皮を被って教団からの処分を回避する薄汚い処世術のようにしか見えないのだが。
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案外分かっていない通行人さん (NJ)
2023-04-29 10:37:34
通行人さんの指摘は理解できますが、Mormon Studies の存在や、教会を含めてアメリカで案外意見発表の自由があることを知っておられないようです。最後の2行の言い方はいただけません。早くもyellow card!すれすれ。
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最低限度の生活を営む権利 (オムナイ)
2023-04-29 14:34:08
日本国憲法(昭和二十一年憲法)第25条第1項
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
ーーー
格差や貧困率というのは相対的な視点でしかない訳で。

汝、貪るなかれ。と他人の生活や裕福さと比べずに飢えず、学べて、住めて働ければ、人間幸せなんだと思います。

主義やシステムの問題や聖典にどう書いてあるかよりも、
「健康で文化的な最低限度の生活」をより多くの人に提供できる体制構築が大切なんでしょうね。

結局、聖典にある理想社会は具現化しなかった訳ですから、失敗事例を参考にしても仕方ない。
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平等に書き込みができる幸福 ()
2023-04-29 16:15:08
久々に意見がかけるのは楽しいものです。

場所を提供してくださるNJ様に感謝です。


平等ッて言うのは、皆が同じ経済力を持つって事じゃなくて、皆がそれぞれに応じた幸福感を持てることじゃないかと思ってます。

何兆円の資産を持ってても幸福感が無い人も居るでしょうし、「宵越しの金は持たねー!」でも、幸福な人は居るでしょう。

ただ、今の社会で気になるのは、「機会の平等」が確保されているか?ですね。

親ガチャ何て言葉が流行るようでは、生きて行くのが悲しい社会に成ってるような気がします。

スタート地点は平らでないと、走り出したら躓きます。
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宗教と資本主義 (大根大)
2023-04-29 21:10:04
髙木氏の論文について再度取り上げてくださりありがとうございました。さらに詳しく理解することができました。                宗教と資本主義を考える時、やはりマックス・ウェーバーの「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」(大塚久雄 訳)を思い出します。  概略を紹介すると、ジョン・カルヴァンによって提唱された「予定説」ー(その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行(と言われる行為)を積んだかどうかといったことではそれを変えることができない)により影響を受けた人たちは自身の救済に不安と精神的緊張を強いられるようになりました。                普通であれば「快楽にふける」方向に陥るのですが、人々は「神によって救われている人間ならば、神のみ心に適うことを行うはずだ」という論理を生み出しました。                           人々は世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことにより社会に貢献することによって、自分が救われているという確信を持つことができるようになりました。そして、一切の欲望や贅沢を禁じ、それによって生まれたエネルギーと資本材の多くを信仰と労働に集中させました。         その結果、                             1、利潤の多寡は「隣人愛」の実戦であり、神からの救済を確信させる証とする「利潤の肯定と利潤追求の正当性」が生み出されました。      2、多くの利潤を得るためには寸暇を惜しんで勤勉に働き、自己の労働を時間によって管理するー労働の生産性ーという価値観が出てきました。   3、資本主義の「精神」は「時間を無駄にせず」「勤勉」で「正直・誠実」であるということです。その、合理的な精神は「無駄な支出の抑制」節約をもたらし、労働によって得られた利潤は消費によって浪費されることなく、貯蓄され再投資されるための「資本蓄積」となりました。        これらがマックス・ウエーバーの教える近代資本主義の誕生と発展についての説明です。(もちろん私の理解は一部ではあります)         そして、資本主義が進展するとともに                 1、信仰が薄れて行き、世俗化と共に、倫理観が失われ、宗教としての価値観は弱まり                             2、「利潤の追求」自体が自己目的化するようになりました。「内からの動機(天賦の倫理)」から「外圧的な動機」によるものに変わって行きました。                                現代資本主義社会では「外圧的な動機付け」とそれに「適合した人間」と「専門的な官僚制と合理的な法律」による組織、「鋼鉄の檻」(高度成長時代の日本の状況を思い出します)によって資本主義の精神と労働力が再生産されて人々は働き続けますがその格差はどんどん広がり拡大していきます。                                彼自身が最後の章で「精神なき専門人、心情なき享楽人。この無に等しい者たちは、自分たちこそ人類が未だ勝って到達したことのない段階に到達したのだと自惚れることになるだろう」。と結んでいます。         訳者の大塚氏自身が「職業倫理を喪失した資本主義は、営利追求の精神のみが人々の間に外圧的に存在することになり、健全ではない」としています。彼の著書に対して、「プロ倫」はでっち上げであり、ウエーバーは詐欺師である」などの批判がりますが、その批判・指摘自体に多くの錯誤があるなどの反論も見られます。                        最初の「救済への不安」から始まり一連の過程は末日聖徒の信仰と働きにも多くの共通性を見出せるように思えます。髙木氏の憂慮も教会への問題提起というよりも現代の資本主義の影響を強く受けるキリスト教徒全体(末日聖徒を含めての)への語りかけのように受け止めています。
                        
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人の平等と神の平等 ()
2023-05-01 10:34:13
何故多くの人は「神は平等」と考えるのでしょうか?

聖書を読んでも「神は不平等」としか思えません。

聖書の中では、神は神を信仰する人や民を優遇し、その他の人間には人権すら与えていません。

イスラエルの民が他の民族を虐殺したことを神は褒め称えています。

「神は偏り見る」のが神の本質です。

神にとって必要な人間の本質は「従順」ただ一つです。
人間的な平等や正義など神は願っていないのです。


平等や正義を望んでしまってるのは、人間に過ぎません。

それも、主に「弱者」が望んでいる事です。

共産主義者でさえ自分が強者に成った時には、平等を望まなくなってしまっています。

宗教者も然りです。

特殊な精神を持ってる人を除いて、宗教者も自分の財産を全てなげうって貧しい人を助けることはしません。

モルモン教会の指導者もそんなことはしないし、そんな事をしろとも言わない。

「今日教会で平等主義の考えが実現されている形跡はほとんど見受けられない、と著者は見る。」
と、高木氏は述べているが、それは、「平等主義」が神の本質では無い事に他ならない。

教会とその指導者は、「神の本質」に従っているだけの事である。

これだけ多くの宗教が世界中に存在しているのに、未だに「経済的平等」すら実現していないのは、それが宗教の本質ではないからだ。


神や宗教による平等の実現など、宗教に関心を得させるための「方便」に過ぎないと悟るべきです。

平等と言うのは、神の本質でもなく、まして人間の本質では全くない。

もし、「平等」に意味が有るとすれば、それが「人間社会の安定」につながる事だ。

私は、イエスの教えは、神の本質でもなく人間の本質でもないと考える。

イエスの教えは、「こうすれば人間社会は安定する」と言う物だと思う。
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モルモン教会が性的虐待事件で・・ (たまWEB)
2023-05-01 21:50:06
アメリカのニュース 29-4月2023年
モルモン教会が性的虐待事件でカリフォルニアの女性に2億ドルを支払うことに・・

 ・・"虐待を受けている間、原告はビショップを含むモルモン教会の複数のメンバーに虐待の事実を明かした。
ビショップは警察に通報する代わりに、被告と母親、継父を合同会議に集め、悔い改めについて話し、被告に継父を許すように指示した。"

リバーサイド上級裁判所は火曜日、原告に8億3600万ドルの損害賠償と14億4000万ドルの懲罰的損害賠償を命じました。

訴訟にも名前が挙がっていた教会は、不正行為を否定、12月に100万ドルで和解し、原告の母親とは、2月に20万ドルで和解したとして。

ロサンゼルス・タイムズによれば、陪審は女性に8億3600万ドルの損害賠償と14億4000万ドルの懲罰的賠償を与えたが、これはほとんど象徴的な動きであり、継父が唯一の被告として残ったため、全額支払われることはないだろう。

https://autos.yahoo.com/jury-awards-riverside-woman-2-232010131.html
https://www.sltrib.com/religion/2023/04/27/nearly-23b-awarded-sex-abuse/

https://duckduckgo.com/?q=LDS%E3%80%80Riverside+Superior+Court+ordered+the+plaintiff+%24836+million&t=h_&ia=web

「英国で確立した懲罰的損害賠償の法理は、英国の植民地支配から独立し
た18世紀末の米国の裁判でも採用された。米国では19世紀に入ってからも
その適応範囲を拡大させ、未成年者、高齢者、女性といった身体的・社会
的弱者の諸権利を意図的に無視して侮辱的に侵害する個人に対し、社会的
秩序や共同体の道徳心を保つ目的で頻繁に懲罰的賠償を認めた。さらに20
世紀初頭になると、当時の米国の資本主義産業発展の礎として巨大な利権
を握った鉄道会社などの大企業による職権濫用および不当行為を「公共の
安全性」の観点から抑止し、処罰を補完するため、法人に対して懲罰的賠
償が認定されるようになった5
https://www.asia-u.ac.jp/uploads/files/20200807145452.pdf

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