その題は「逆説の中の不屈 -- 現代日本における末
日聖徒の苦闘」(Perseverance amid Paradox: The
Struggle of the LDS Church in Japan Today) で、
教会歴史が学者たちの研究によりさまざまな矛盾が
つかれている現在、それがインターネットの普及に
よって会員と非会員の眼に触れている状況を取り上
げている。
内容は、1994年5月モルモン歴史学会(ユタ州パーク
シティ)で発表した「日本におけるモルモン教会の
受容の変遷」と2004年同学会(ユタ州ソルトレークシ
ティ)で発表した「教会版ではない教会史情報が会員に
与える影響」を統合し、補足したものである。
前半では、日本人が近づきすぎた外国を遠ざける傾向
がある(小坂井敏晶「異文化受容のパラドックス」’96
は「近いものは差異化するためvectorが強く作用する」
という)ことをあげ、現在定着しつつあるモルモン教会
は日本で遠ざけられている状況にあるのではないか、特
にアメリカの甚だしい一国主義のため、風当たりが強い
のではないか、という観察を述べた。
後半では、教会の教義、歴史とも研究者のもたらす情報
が非伝統的教会像を描くので、新しい媒体がそれを浸透
させる状況を危機と位置づけ、教会を去る人が出たこと
を報告している。一時ほどの衝撃は通り過ぎたと見るが、
教会員がそれを超えて信仰の二次段階に達するのを助け
るため、教会指導者は少なくとも非伝統的情報について
も承知しておく必要があるのではないか、と結んだ。
(信仰の二次段階・・問うことをしない一次的段階から、
初期の知識とは異なる情報に接しても自己の中で再構築し
信仰の内に留まる段階。マーティン・E・マーティ、’83
モルモン歴史学会。この移行時期は精神的苦痛を伴うこと
がある。)
記事本文は www.dialoguejournal.com で読むことができ
る。
モルモン歴史学会における口頭発表の原題
1994 Transition in the Reception of the Mormon Church
in Japan -- An analysis in terms of newspaper and
Magazine articles
2004 The Influence of Non-Standard Mormon History
on Japanese Members of the Church
実態としては日本人の中で対アメリカ観が変化してきていることが日本のモルモン教の教勢に影響している点は観察の通りかと思います。
が、考えるとある国家(文化)に対する憧憬と宗教とが紐付けになっている事ってすごく違和感がありますね。
パスタに憧れてカトリックに入信した人など周りを見回しても誰もいない。少なくとも私の世代では。
>教会指導者は少なくとも非伝統的情報についても承知
承知するだけでは意味がありません。
非伝統的情報に対してどのような見解を持つか解釈するかです。
「あれはサタンから来た情報です」なんて事を言い出す指導者が続出しそうですし、またそう言わなければ現状は物議を醸してしまう。
この物議を醸してしまう雰囲気こそ問題かと・・・。
日本のモルモンはそういう体質に出来てしまっている。
それは組織体制の問題であって会員個人は単に無条件の忠実であっただけで個々人の努力で変わるファクターは小さいのではないかというのが私の観察です。
敢えて個人の問題点を挙げるなら忠実であるにあたり「無条件に」であった点でしょうか。
> 考えるとある国家(文化)に対する憧憬と宗教とが紐付けになっている事ってすごく違和感がありますね。
パスタに憧れてカトリックに入信した人など周りを見回しても誰もいない。少なくとも私の世代では。
「紐付け」というほどでなく間接的な影響関係はあるように思われます。古屋安雄は近代日本史においてキリスト教が流行し歓迎された「良い時」と歓迎されず流行しない「悪い時」が20年周期で交代してきたようである、それは日本の国際主義的な時代と国粋主義的な時代の入れ替わりに符号していた、と観察しています(「日本伝道論」1995 p. 74~)。一時、モルモン教とコカコーラはアメリカの代表的な文化と言われたことがありました。アメリカが好感をもって見られているとき、モルモン教も受け入れられやすかったと考えられます。例、1945-1965 戦後のキリスト教ブーム 国際キリスト教大学が開学し、教会はどこも満員になった、と古屋は書いています。その背後にあったのはもちろんアメリカでした。私もこの時期に改宗した一人でした。(コカコーラが好きなわけではありませんでしたが)。
>> 教会指導者は少なくとも非伝統的情報についても承知
>承知するだけでは意味がありません。
この部分、同感です。反動的な対応でなく、理解と包容力のある対応を期待した私の文でした。これがなかなか隔たりが大きく難しいことは承知しています。信仰の二次的段階は潜在的には成長しつつあると思いますが、モルモン教会はまだまだ直解主義的(literarism)な組織に留まっています。特に日本など伝道地においてそのようです。(一例、台湾。)
ダイアログ誌の小生の記事に対して、ダイアログのブログで多数の反応がありました。近くまとめてこのブログに掲載したいと思っています。