歴史上「荒野」という語の象徴的用法には環境問題を意識した視
点が潜在しており、モルモン書に環境保全に関心を寄せるところ
があっても、非論理的であるとか時代錯誤の内容である、という
わけではない、とトマスは言う。
英国では既に11世紀に森林の多くが消滅し、歴代の王たちが狩
猟目的で広大な林野の確保に努めてきた。1592年、森林が野生動
物の安息の地と見た文学者マンウッドは森林を守るという古来か
らの法律が無視されていると嘆いている。環境破壊の脅威は現代
加速しているが、今に始まったものではない。
モルモン書のヤレドの民の歴史は荒野と文明の戦いを象徴して
いる。ヤレドの民の繁栄絶頂時、その文明は北の地域全域を覆い
尽くし後にニーファイ人はそこを「荒地」(デソレーション)と
呼ぶに至っている。逆に南の地域はバウンテフルと呼び、ヤレド
人も狩猟のための保護地に指定していた (エテル10:21)。
「荒地」と呼んだ所はヤレド人の人口が増大し、森林が切り払
われた地域であった。それで後にニーファイ人は若い木を守って
成長するように保護している(アルマ22:30-31, ヒラマン3:5-11)。
約束の地が選ばれた場所であったひとつの理由は、人がまだ住
み着いていなかったことにあった。「この地は今なおほかの民に
知られないようにされている。見よ、多くの民が群がって来れば、
受け継ぎの地がなくなってしまうであろう。」(2二1:8-9, 10-
11 一部私訳)。このようにモルモン書は人口規制と自然資源の慎
重な管理が必要であることに理解を示しているのである。
マーク・トマスは多くの者が聖典の言葉を盾に環境の危機や人
口問題を軽視したり無視していることを嘆いている。回復を標榜
するモルモンは世界の「荒野」が危機にある現在、環境保全に目
を転じなければならない、と結んでいる。
典拠 Mark D. Thomas, Reclaiming Book of Mormon Narratives
– Digging in Cumorah, 1999, Signature Books pp. 94, 95
参考 1. リン・ホワイト「機械と神 -- 生態学的危機の歴史的
根源」1999年 みすず書房
「キリスト教は古代の異教やアジアの宗教とまったく正反対に、
・・人が自分のために自然を搾取することが神の意志であると主
張したのであった。」p. 88 「人口爆発、無計画な都市化、途方
もない下水や廃棄物を見ると、確かに人間以外のいかなる動物も
これほど短期間にその巣を汚してしまうようなことはなかったで
あろう。」pp. 79, 80
2. 文学作品に環境問題を扱ったものを研究する「環境英文学会」
(ASLE)が存在する。
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