1 今日欧米の人々は「脱キリスト教時代」に住んでいると言わ
れ、実際思考、言語の面ともにキリスト教的であることを大方や
めている。しかし、実質は彼の見るところでは驚くほど過去の状
態に近いという。
「例えば、われわれの行動の日常的な習慣は、ギリシア=ローマ
の古代人や東洋人の知らなかった永遠的な進歩というものに対す
る暗々裡のうちの信仰によって支配されている。これはユダヤ=
キリスト教の目的論に根ざしており、これから離れては護りよう
のないものである。・・われわれは今日もまた、約一七00年間
生きてきたのと同様に、大方はキリスト教の原理の文脈のなかで
生き続けているのである。」p. 86
末日聖徒が永遠の進歩を目指し、日の栄光を最高の境地と説いて
いるのと共鳴して大変興味深い。上記の信仰は共産主義もイスラ
ム教も分け持っているが、ユダヤ=キリスト教の異端とされるの
に対し(p. 86)、モルモン教の方は明らかにキリスト教の文脈の中
に生まれた末裔であると言えよう。
2 ほかにもギリシア東方教会とローマ教会の罪と救いの概念の
比較が興味を引いた。ギリシア人にとって罪は知的盲目性をさし、
救いは啓示、正統性(オーソドックス) ― つまり明快な思考 ―
に見出されると信じた。(ここで啓示というのは不明であったも
のが明らかにされること、[reveal -> revelation] を意味すると
理解される。沼野)
それに対し、ローマ人は罪を道徳的に道をはずれることと取り、
救いを正しい行動によって得られると見る(p. 89)。私はギリシア
人の罪と救いの概念に共感を覚え、ローマ人の罪と救いの概念に
モルモン教の姿を重ねてみることができた。また、ギリシア人の
知識、思考に重点を置く姿勢も、「人が無知で救われることは不
可能である」(教義と聖約131:6)に共通するので、モルモン教がギ
リシア、ローマの双方の流れを受け継いでいると見ることができ
る。
3 さらに神話の定義に斬新な説得力を感じた。ホワイトによれ
ば、「神話とは永遠という、時間に制約されない観点から見た事
物を時間的関係で脚色したもの」、われわれが暮らしている「時
間の中で繰り返し表れるように思われる普遍的なもの、言い換え
れば永遠の出来事の物語」であり、われわれの「時間上の出来事
の背後に発見できると考えられてきた普遍的なものを脚色したも
の(虚構のような形式)」である、と言う。pp. 38, 39. ホワイ
トは聖書に記載された内容について言っているが、モルモン書に
ついても言えることである。
出展 リン・ホワイト著、青木靖三訳「機械と神 – 生態学的危
機の歴史的根源 -- 」みすず書房 1999 (Lynn White, Jr.
“Machina ex Deo: Essays in the Dynamism of Western Culture,
The MIT Press, Cambridge, Mass., 1968)
* これは大阪府立大学の授業公開講座「西洋思想の系譜」
の講座概要に出ていて知った資料である。ただ、青木靖三の訳は
直訳すぎて読むのに少なからず苦労する。
れ、実際思考、言語の面ともにキリスト教的であることを大方や
めている。しかし、実質は彼の見るところでは驚くほど過去の状
態に近いという。
「例えば、われわれの行動の日常的な習慣は、ギリシア=ローマ
の古代人や東洋人の知らなかった永遠的な進歩というものに対す
る暗々裡のうちの信仰によって支配されている。これはユダヤ=
キリスト教の目的論に根ざしており、これから離れては護りよう
のないものである。・・われわれは今日もまた、約一七00年間
生きてきたのと同様に、大方はキリスト教の原理の文脈のなかで
生き続けているのである。」p. 86
末日聖徒が永遠の進歩を目指し、日の栄光を最高の境地と説いて
いるのと共鳴して大変興味深い。上記の信仰は共産主義もイスラ
ム教も分け持っているが、ユダヤ=キリスト教の異端とされるの
に対し(p. 86)、モルモン教の方は明らかにキリスト教の文脈の中
に生まれた末裔であると言えよう。
2 ほかにもギリシア東方教会とローマ教会の罪と救いの概念の
比較が興味を引いた。ギリシア人にとって罪は知的盲目性をさし、
救いは啓示、正統性(オーソドックス) ― つまり明快な思考 ―
に見出されると信じた。(ここで啓示というのは不明であったも
のが明らかにされること、[reveal -> revelation] を意味すると
理解される。沼野)
それに対し、ローマ人は罪を道徳的に道をはずれることと取り、
救いを正しい行動によって得られると見る(p. 89)。私はギリシア
人の罪と救いの概念に共感を覚え、ローマ人の罪と救いの概念に
モルモン教の姿を重ねてみることができた。また、ギリシア人の
知識、思考に重点を置く姿勢も、「人が無知で救われることは不
可能である」(教義と聖約131:6)に共通するので、モルモン教がギ
リシア、ローマの双方の流れを受け継いでいると見ることができ
る。
3 さらに神話の定義に斬新な説得力を感じた。ホワイトによれ
ば、「神話とは永遠という、時間に制約されない観点から見た事
物を時間的関係で脚色したもの」、われわれが暮らしている「時
間の中で繰り返し表れるように思われる普遍的なもの、言い換え
れば永遠の出来事の物語」であり、われわれの「時間上の出来事
の背後に発見できると考えられてきた普遍的なものを脚色したも
の(虚構のような形式)」である、と言う。pp. 38, 39. ホワイ
トは聖書に記載された内容について言っているが、モルモン書に
ついても言えることである。
出展 リン・ホワイト著、青木靖三訳「機械と神 – 生態学的危
機の歴史的根源 -- 」みすず書房 1999 (Lynn White, Jr.
“Machina ex Deo: Essays in the Dynamism of Western Culture,
The MIT Press, Cambridge, Mass., 1968)
* これは大阪府立大学の授業公開講座「西洋思想の系譜」
の講座概要に出ていて知った資料である。ただ、青木靖三の訳は
直訳すぎて読むのに少なからず苦労する。
「明快な思想」よりも、「何も考えないで従う」事が強調されているように思えるのは私だけでしょうか?
> 現実のモルモンに永遠の進歩があるのでしょうか
そう言われると、あまりなさそう、と答えなければならない!?
もうひとつの知的盲目であってはならず、明快な思考を、というのに注目したのは、私が共鳴を覚えたからでした。