最近、現代日本を代表する神学者大貫隆の「隙間だらけの聖書」(1993)を読んでいて、福音書における回顧的(retrospective)視線によるできごとの補充という解説に接し、とても興味深く、また、同じようなことが19世紀という現代においても末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)において行われていた可能性に気づかされて学ぶところがあった。この記事では先に新約の場合を紹介し、次いで現在米国で研究が進行中のモルモン教の場合(アロン神権、メルキゼデク神権の回復の話)を取り上げてみたい。
新約聖書は次のような論理的構造をもって、イエス・キリストの出来事を読者に伝えようとしている。
大貫著 p. 10
しかし、実際はイエスがエルサレムで逮捕された時、弟子たちは逃亡して、その後間もなく殺されたはずのイエスに「出会う」ことになる。いわゆる「顕現」を経験する。そしてそのことを熟考するうちに、ホセア6:2やイザヤ53章の旧約の預言が成就したと受けとめ、救い主が復活し、律法を守り切れなかった信徒たちを贖う贖罪死を遂げられたのだ、と認識するに至る。ただ、そのプロセスは新約聖書では反転して語られる。すなわち、贖罪死が必要→ 復活 → 弟子たちに顕現 の順番で記述される。また、最も明白な物語の拡大は、イエス伝承の中で最も遅く成立した「処女降誕」の観念である。マルコになく、マタイとルカの冒頭に置かれ、回顧的な方向で更に一歩先に拡大している。(大貫、pp. 13, 24)。
[モルモン教の初期の出来事]
最初の示現
モロナイの訪れ
モルモン書の翻訳・出版
神権の回復 (アロン神権、メルキゼデク神権)
教会を組織
信徒のシオン集合
神殿建設
ジョセフ・スミスの「最初の示現」(1820年)が、1830年に教会が組織されて2年後1832年に漸く記録され、1835年、1838年にもスミスによって語られている。初期の改宗者には知られていなかった末日聖徒にとって重要な「神の顕現」(theophany) の話であり、やはり回顧的認識の補充の例と見做すことができる。
次に神権回復の件であるが、私が最初に気づいたのはD.マイケル・クインの「モルモンの聖職階層(hierarchy, ヒエラルキー):権力の起源」(1994年)を読んで、メルキゼデク神権回復の出来事はクインによると諸資料の検証の結果、どうやら教会回復の後のことであったのではないか、と知った時であった。スミスとカウドリが一晩逃亡の途にあり、サスケハナ河岸で夜明けを迎えようとした時にペテロ、ヤコブ、ヨハネの訪れを受けたという記述(使徒エラスタス・スノー)はスミスの歴史(1巻p. 101)とメルキゼデク神権の回復がハーモニー近くのサスケハナ河岸であったという記載(D&C128:20)と符合し、それは1830年7月初旬であったことを示している。
このことを含めて上記のクインとダン・ボーゲル、グレゴリー・A・プリンスがこの8月2日、ユタ大学で「モルモン教初期における神権に関する物語(narrative)の変遷」と題するシンポジウムで最新の研究成果を発表する予定である。既に1980年代90年代以来歴史家たちが気づいていた神権の概念の変遷、神権回復のできごとにまつわる回顧的(retrospective)変化や追加を総括するのではないかと予想される。
そして私がこの6月出席したモルモン歴史学会でも、マーク・D・トマスが、バプテスマのヨハネの訪れはジョセフ・スミスの権威を固めるために後に作られたものであるという一部歴史家たちの考えを紹介していた。理由として示現の話に歴史的な錯誤があること、神の権威が授けられるという重要な出来事が1834年まで公に語られることがなかった、ことをあげていた。
このように見てくると、まだ200年もたっていないモルモン教においてもその形成期において出来事の回顧的補充が行われていた可能性がうかがえる。神学者が新約聖書に回顧的補充を見出しても、キリスト教界が動揺することはなく、また彼らは信仰者としての役割を果たし続けている(大貫氏は各地で奨励[devotional]や講演を行ってきた)。ではlds教会の場合、同様の展開が形成期にあったことが指摘された時、一つの宗教として今後どのように存続していけるのだろうか。それが問われることになるだろう。
参考
大貫隆「隙間だらけの聖書 愛と想像力のことば」教文館、1993年
D. Michael Quinn, "The Mormon Hierarchy: Origins of Power" Signature Books, 1994
Gregory A. Prince (65歳) は、"Having Authority: The Origins and Development of Priesthood During the Ministry of Joseph Smith" Independence Press, 1993と"Power from on High: The Development of Mormon Priesthood" Signature Books, 1995の著があり、Quinnの著(上記)に対して厳しい書評(Sunstone, Dec. 1995)を書いている。
最初の示現に関連して:本ブログ
2005.12.23「示現の異同」
2005.12.23 「発展的生成の道をたどった見神録」
2011.08.03 「最初の示現」をどう受けとめるか、新しい視点
新約聖書は次のような論理的構造をもって、イエス・キリストの出来事を読者に伝えようとしている。
大貫著 p. 10
しかし、実際はイエスがエルサレムで逮捕された時、弟子たちは逃亡して、その後間もなく殺されたはずのイエスに「出会う」ことになる。いわゆる「顕現」を経験する。そしてそのことを熟考するうちに、ホセア6:2やイザヤ53章の旧約の預言が成就したと受けとめ、救い主が復活し、律法を守り切れなかった信徒たちを贖う贖罪死を遂げられたのだ、と認識するに至る。ただ、そのプロセスは新約聖書では反転して語られる。すなわち、贖罪死が必要→ 復活 → 弟子たちに顕現 の順番で記述される。また、最も明白な物語の拡大は、イエス伝承の中で最も遅く成立した「処女降誕」の観念である。マルコになく、マタイとルカの冒頭に置かれ、回顧的な方向で更に一歩先に拡大している。(大貫、pp. 13, 24)。
[モルモン教の初期の出来事]
最初の示現
モロナイの訪れ
モルモン書の翻訳・出版
神権の回復 (アロン神権、メルキゼデク神権)
教会を組織
信徒のシオン集合
神殿建設
ジョセフ・スミスの「最初の示現」(1820年)が、1830年に教会が組織されて2年後1832年に漸く記録され、1835年、1838年にもスミスによって語られている。初期の改宗者には知られていなかった末日聖徒にとって重要な「神の顕現」(theophany) の話であり、やはり回顧的認識の補充の例と見做すことができる。
次に神権回復の件であるが、私が最初に気づいたのはD.マイケル・クインの「モルモンの聖職階層(hierarchy, ヒエラルキー):権力の起源」(1994年)を読んで、メルキゼデク神権回復の出来事はクインによると諸資料の検証の結果、どうやら教会回復の後のことであったのではないか、と知った時であった。スミスとカウドリが一晩逃亡の途にあり、サスケハナ河岸で夜明けを迎えようとした時にペテロ、ヤコブ、ヨハネの訪れを受けたという記述(使徒エラスタス・スノー)はスミスの歴史(1巻p. 101)とメルキゼデク神権の回復がハーモニー近くのサスケハナ河岸であったという記載(D&C128:20)と符合し、それは1830年7月初旬であったことを示している。
このことを含めて上記のクインとダン・ボーゲル、グレゴリー・A・プリンスがこの8月2日、ユタ大学で「モルモン教初期における神権に関する物語(narrative)の変遷」と題するシンポジウムで最新の研究成果を発表する予定である。既に1980年代90年代以来歴史家たちが気づいていた神権の概念の変遷、神権回復のできごとにまつわる回顧的(retrospective)変化や追加を総括するのではないかと予想される。
そして私がこの6月出席したモルモン歴史学会でも、マーク・D・トマスが、バプテスマのヨハネの訪れはジョセフ・スミスの権威を固めるために後に作られたものであるという一部歴史家たちの考えを紹介していた。理由として示現の話に歴史的な錯誤があること、神の権威が授けられるという重要な出来事が1834年まで公に語られることがなかった、ことをあげていた。
このように見てくると、まだ200年もたっていないモルモン教においてもその形成期において出来事の回顧的補充が行われていた可能性がうかがえる。神学者が新約聖書に回顧的補充を見出しても、キリスト教界が動揺することはなく、また彼らは信仰者としての役割を果たし続けている(大貫氏は各地で奨励[devotional]や講演を行ってきた)。ではlds教会の場合、同様の展開が形成期にあったことが指摘された時、一つの宗教として今後どのように存続していけるのだろうか。それが問われることになるだろう。
参考
大貫隆「隙間だらけの聖書 愛と想像力のことば」教文館、1993年
D. Michael Quinn, "The Mormon Hierarchy: Origins of Power" Signature Books, 1994
Gregory A. Prince (65歳) は、"Having Authority: The Origins and Development of Priesthood During the Ministry of Joseph Smith" Independence Press, 1993と"Power from on High: The Development of Mormon Priesthood" Signature Books, 1995の著があり、Quinnの著(上記)に対して厳しい書評(Sunstone, Dec. 1995)を書いている。
最初の示現に関連して:本ブログ
2005.12.23「示現の異同」
2005.12.23 「発展的生成の道をたどった見神録」
2011.08.03 「最初の示現」をどう受けとめるか、新しい視点
キリスト教の初期に起こった、「イエスの死と復活物語」と、モルモンの初期に起こった、「ジョセフの見神と神権授与の物語」
確かに、経緯は似ているかもしれませんが、基本的な所が違っているのではないですか?
昨日ある場所で、贖罪について話をしていました、その中で、最近会員に成った方が、「キリストの贖罪は、わたしの心に安心感を与えてくれます。」とおっしゃってました。
イエスの死と復活の物語は、パウロによって、「信仰と希望と愛」の物語として伝えられ、世界中の多くの人が、その物語を、真実だと思い込む事によって、心に平安を得、社会に平和と思いやりをもたらしたのです。もちろん、キリスト教の歴史はそんなに美しい事ばかりではないですが、それでも、教えの多くの部分が、人間社会に有るべき規範を提示したのではないでしょうか?
だからこそ、2000年の歴史を経て、現代科学が聖書の内容の重要な部分を否定し、考古学や歴史学が、イエスの復活を否定しても、キリスト教は人間社会の中に確固たる位置を占めているのだとおもいます。
さて、一方モルモンの「ジョセフの見神と真剣の授与物語」はどうでしょうか?
それは、ただ、モルモン教会の正当性に主張であり、モルモン教会の儀式でしか救いは無いとする、権威の主張です。
こんなものは、学術的に事実関係が否定されると、すぐに吹っ飛んでしまうものです。
モルモン教会の生き残る道は唯一つ、教会幹部に対する権威付けをするだけのくだらない教義は捨てて、本当に人間と人間社会に幸福をもたらす、教義を残す事です。
神の権威によって統治しようとするものは、神の権威によって滅ぶだけです。
批判神学による非神話化にもかかわらず、キリスト教が世界の人々の魂の救済に貢献してきたことをあげるなら、現代におけるlds教会が一定の人々を支え惹きつけてきたことにも順当な評価をすべきではないでしょうか。プラスの明るい面を忘れてはならないと思います。(自戒の念を込めて)。
内部の者が内省的、反省的姿勢を持つことは必要ですが、譴責的言辞に終始するとそれこそ自虐的に堕してしまうことにならないでしょうか。
8/2シンポジウムの講師たちも学術的姿勢から語るのであって、教会を非難・攻撃するわけではないはずです。プロテスタントの神学者たちが数世紀にわたって取り組んできたことに着手し始めたと見ています。