[クモラの丘]
末日聖徒の間で伝わる興味ある話に、クモラの丘あるいはその近辺にモルモン書にまつわる古代の品々 - - 要約される前の金属版や解訳器等々 - - が保管されている所がある、というのがあります。
最近、そのことがフェイスブックの頁に出て、どこに出ていたか確認したいという書き込みがありました。調べたところ、BYUの「モルモン書研究誌(Journal of BofM Studies, Vol. 13, No. 1, 2004/7/31)」にキャメロン・J・パッカーの記事がありました。題は「クモラの洞穴」Cumorah’s Caveというものです。"Cumorah's Cave" by Cameron J. Packer (byu.edu)
要約すると次のようになります。「19世紀後半、幾人か教会指導者が書いたものの中にクモラの丘にある洞穴について触れたものがあり、話題になりました。それによると、クモラの丘はジョセフ・スミスが金版を受けた場所であるだけでなく、版に加え関連する神聖なものが最終的に保管されている、ということであります。」
In the second half of the 19th century, a teaching about a cave in the hill began surfacing in the writings of several leaders of the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints. In their view, the hill was not only the place where Joseph Smith received the plates but also their final repository, along with other sacred treasures, after the translation was finished.
この記事は10の例 (いずれも伝聞) をあげています。例、ヒーバー・C・キンボール、ブリガム・ヤング、ウィルフォード・ウッドラフなど。これは実際に目にしたか示現の形で見たかはともかく、直接立ち会った者の話をもとに末日聖徒の間に生まれた言い伝え(伝承)と言えるのではないかと私は思っています。
信仰の観点から見れば、そのような場所があるかもしれない、あればいろいろな事が分って信仰が更に確かなものになる、という期待が湧きます。しかし、他方、ジョセフ・スミスの見神の経験(神の顕現, theophany)に関わるものと見れば、詮索すべきではないという立場もあります。(G.B. ヒンクレーの言葉*、参照)。
*「最初の示現」どう受けとめるか。[ 補足ノート] - NJWindow(J) (goo.ne.jp)
言いかえれば、神の顕現については実際に何が起こったのかを知るすべはなく、「現象学的留保」(epoche') の態度で肯定も否定もせず、その意義を研究し、受け入れるのがよい、という考え方になります。
エポケー(英語:Epoché 古代ギリシア語: ἐποχή epokhế)は、原義において「停止、中止、中断」を意味し、哲学においてこの語はいくつもの意味をもっている。
懐疑主義においては、エポケーは“suspension of judgment“「判断を留保すること」を意味する。
もし真理が到達不可能なものだったり、到達しにくいものだったりするなら、判断を急ぎすぎるとかならず誤ることになるであろうからである。
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改宗した当時(小学生)でさえ、金板は天使モロナイに返された。。。と聞いて、ハハーン。後年実際に翻訳できるようになった時のために、処分したな。とチラッと思いましたねw
エポケー。
いくつになっても学ぶことは多い。
様々なご意見にワクワク・ハラハラなオムナイです。
fairlatterdaysaints-org.translate.goog/answers/Question:_Is_there_a_cave_in_the_Hill_Cumorah_containing_the_Nephite_records%3F?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
ニューヨークの「Hill Cumorah」と呼ばれるドラムラインの中に洞窟が存在することは地質学的にありえないことから、
様々な目撃者が語った体験は幻である可能性が高いと考えられます。
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ブリガム・ヤングは「現実」と考えていたようですが、現代末日聖徒は「まぼろし」と認識しても良さそうですね。
個人的には検証者もいるので金板は実存していたと思いますが、示現・幻の事象も混在しているんでしょうね。
現実と幻の間に聖書やモルモン書はあるんでしょうね。
どちらにせよ、宗教書として読む姿勢が大切なんでしょうね。
W.W.フェルプスの談話がありました。彼はハイラム・スミスから聞いた話を紹介しました。
ジョセフ、ハイラム、(オリバー)カウドリ、(デビッド)ホイットマーはクモラの丘に行きました。
彼らが丘に向かって歩いていると、ドアが開き、16フィート四方ほどの部屋に入っていきました。
その部屋には(モロナイ)天使がいて、トランク(大型の収納箱)がありました。その中には
モルモン書と金版、ラバンの剣、アロンの胸当て(ヤレド人の胸当て)が入っていました。
(ウィリアム・ホーン・デイム、個人日記、教会アーカイブス(記録保管書庫))
」
deepl 使用
https://whitmercollege.com/topics/cumorah-yes/
「17:1 見よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたはわたしの言葉に頼らなければならない。
あなたがたは誠心誠意そうするならば、版を目にし、また胸当て、ラバンの剣、ヤレドの兄弟が
主と顔と顔を合わせて語ったときに山の上で授けられたウリムとトンミム、またリーハイが
紅海の境の荒れ野にいたときに授かった不思議な指示器も目にするであろう。
2 あなたがたがこれらのものを目にするのは、あなたがたの信仰、すなわち、昔の預言者たちが
持っていたような信仰によるのである。
3 あなたがたは信仰を得て、自分の目でこれらのものを見た後、神の力によって
これらのものについて証しなければならない。
」
> 信仰の観点から見れば、そのような場所があるかもしれない、あればいろいろな事が
分って信仰が更に確かなものになる、という期待が湧きます。
なかなか、三人の証人だけということで難しいんでは・・・
どうしても知的満足ということであれば、こちら金版文字の写し翻訳を主張の
御仁の研究を論じてみる(評価)とかっては??
https://archive.bookofmormoncentral.org/content/translation-%E2%80%9Ccaractors%E2%80%9D-document
>どうしても知的満足ということであれば、こちら金版文字の写し翻訳を主張の
スフィンクスの足に書かれたキャラクターは写しのキャラクターに似ていて説得力ありますね。
最近セントラルでモルモン書の証拠をまとめたサイトが完成してます。大変興味深い資料です。
https://evidencecentral.org/recency
https://evidencecentral.org/recency/evidence/ishmaels-burial
モルモン書の証拠:イシュマエルの埋葬が一番人気だとか。
2021年 11月 12日 - ソルトレーク・シティー ニュースリリース日本語の末日聖典,26年ぶりの改訂版がリリースされる
「日本語の末日聖典合本の更新版について発表できることをうれしく思いま
す。」日本語版末日聖典の26年ぶりの改訂版がリリースされたことが,2021年11月11日付けの大管長会からの手紙で日本各地の神権指導者に知らされた。インターネット上の電子版は即日公開されている。
(聖典.ChurchofJesusChrist.org または,福音ライブラリーアプリにて)
この改訂版には、大管長会と十二使徒定員会による様々な調整が組み込まれている。ほとんどの調整は聖文研究のための脚注、教義と聖約の見出し、あるいは本文中の細かい誤字や意味の修正だという。印刷した改訂版末日聖典の発売時期については後に発表される。今回の改訂版発刊により,会員が現在使っている聖典を買い替えることは求められていない。
末日聖典の日本語出版は1909年,アルマ・O・テイラー訳『モルモン經』に始まった。
テイラーは,1901年夏に横浜へ上陸したヒーバー・J・グラントら最初の4人の宣教師のうち最年少(19歳)であり,若く柔軟な頭脳をもって日本語を習得した。
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少し読み進めてみましたが。。。どこが変更されたのか。。
以前に比べサクサク動く気はします。
26年振り改訂版、別のルートで見た覚えがあります。改訂は主として、前書きの記述にあったようです。当たってみます。
アルマ・O・テイラーについて、最近、彼が帰国前に中国(清時代)に探索訪問していることを知りました。近く掲載したいと思っています。
確かに世の中には、「分からない」事が沢山有ります。
肯定も否定も出来ないことは山ほどあります。
でも、それで誰も何も言わなくなったらどうなんでしょうか?
日本の選挙でも、半分ぐらいの人は、投票に行かない。
で、その人たちの意志は「どっちでもいい」と解釈され、結果的には「反対しなかった」=「賛成したのと同じ」と言うことに成る。
何年か前に「眠ってくれていた方が良い」って言った政治家もいた。
宗教の話と、世辞の話は違うのは承知しているが、少なくともモルモン教会の中で「肯定も否定もせず、その意義を研究し、受け入れるのがよい」と言うのは、教会の見解を肯定した事になってしまう。
>詮索すべきではないという立場もあります。
これは、全くモルモン的ではない。
モルモンは「この書物が正しいのか間違ってるのかはっきりと問いなさい」ではなかたのか。
信仰者に対してその信仰的疑問に答えず、「考えるな」と言うのは、宗教指導者のとる態度では無いと思う。
疑問に答えないまでも、「とことん追求しなさい」と言うべきじゃないのか?
それとも、モルモンの教義も歴史も検証に耐えなくなったのか?
懐疑的な思いを持ちながら信仰の道を歩むのは、暗闇の中を歩くのと同じだ。
暗闇の中に光をもたらすのがキリストじゃなかったのか?
信者を暗闇の中に放置する指導者は要らない。
>疑問に答えないまでも、「とことん追求しなさい」と言うべきじゃないのか?
>それとも、モルモンの教義も歴史も検証に耐えなくなったのか?
豚さん、それもう自分で答えを言っちゃってるじゃないですかぁ!
>アルマ・O・テイラーについて、最近、彼が帰国前に中国(清時代)に探索訪問していることを知りました。
>近く掲載したいと思っています。
ほー。中国に。
それは興味深いですねぇ。
掲載楽しみにしています。
改宗者・移民でソルトレークで5人の妻があって、葬儀業営む。
アルマの兄妹は19人だにゃ。父の葬儀業引き継ぐ。
64歳で亡くなる。妻は一人、養子が一人。
https://www.findagrave.com/memorial/18088817/joseph-edward-taylor