旧い資料であるが、戦後急速に教会員が増加した頃のアンケート調査を今日の停滞・縮小状態と対比する意味で、小生の論文の要旨を掲載したい。
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1955-75年に改宗した末日聖徒対象に行なった調査 (1999年実施)の結果、回答者の81%が自分は中流階層の市民であったと意識していたこと、77%が東京、大阪、名古屋、福岡などの大都市圏で改宗したこと、そして52%が改宗当時学生であったことが分かっている。
背景として第二次大戦後、日本の復興と経済成長に伴い都市化が進み、1955年には都市人口が56%に達し、70年代に72%にまでのぼっていたことが挙げられる。この都市化は多様性と異質性をもたらし、都市住民の価値観の流動・変動に繋がっていった。そのような中で若い世代を中心にアメリカ生まれのキリスト教に関心をもって教会へ足を運んだものと考えられる。調査の質問に、改宗に際し抵抗があったかという問いに回答者の82%がなかったと答えている。
註
これは2000年1月インド、チェンナイで行なわれたアジア都市化学会で発表し、翌年広島国際学院の紀要「現代社会学」2号に掲載された論文「都市化と新宗教の興隆:創価学会と日本のモルモン教会の場合」の要旨である。調査は改宗時を1955-75年に絞って行なったこと(1968年当時会員数1万人)で、調査の範囲は159人に送り回答者104人に留まった。
まず、会員数のグラフですが、コロナ感染者のグラフと同じで、累計数のグラフは誤解を与えやすいです。
毎年の改宗者の数を棒グラフで表した方が、傾向が見えやすいと思います。
さらに、下記の文章ですが。
>1955-75年に改宗した末日聖徒対象に行なった調査 (1999年実施)の結果、回答者の81%が自分は中流階層の市民であったと意識していたこと、77%が東京、大阪、名古屋、福岡などの大都市圏で改宗したこと、そして52%が改宗当時学生であったことが分かっている。
当時、自分が中流だと思っていたのは、モルモン改宗者だけでは有りません。(下記参考)日本中のほとんどの人が自分は中流だと思っていたのです。
同調査では『中流』と答えた者が1960年代半ばまでに8割を越え、所得倍増計画のもとで日本の国民総生産 (GNP) が世界第2位となった1968年(昭和43年)を経て、1970年(昭和45年)以降は約9割となった[12]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E4%B8%AD%E6%B5%81
学生の改宗が多かったのは一つの傾向かと思えますが、都市部で多かったのは、伝道自体が都市部で多く行われていたからとも考えられますし、と都市部の人口が多いので改宗者が多いのは当然です。
分析は難しいですね。
http://harp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hkg/detail/143120191008152027
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ロドニー・スタークさんは既存の宗教を下敷きにしてこそ発展があると分析していました。
>末日聖徒はキリスト教国で発展し創価学会は仏教国で発展した。
会員数は 195年のほんの千人強から 1975年の 2万 7千に増えている。
創価学会に比較すると桁違いに小規模であるが、人口のほんの 1%から 2%しか占めないキリスト 教 界 に あ っ て 、
こ の伸びはかなり 注目 す べ き も ので あ っ た
1950年 代 に は 無 視 さ れ る ほ ど の 存 在 であったのが、
1963年にはプロテスタント教派の中で18位に、
1972年には6番目に大きい宗派となっ ていた。(キリスト新聞社「キリスト教年鑑J1963,72年版)。
>
宗教年鑑によると現在カトリックさんに次いで2番目ですから、
ほぼ日本では学会さんと同じようにピークアウト寸前ではありますね。
こころからは信仰生活の充実に重きを置いてほしいです。
NJさんって、昨今の末日聖徒の状況を「停滞・縮小」と見ておられるんですかね? 私もそうなんですが、なかには頑なに、末日聖徒はカトリックに次いで最大の宗派って自慢げにかたる人がいて・・・
こういう人が、末日聖徒の現状把握を妨げている気がします
累計ばかりの登録会員数ではなく、実際に集会に参加しいる状況を見ないといけませんね
まぁ、それもまた善しですが
最近聞いた話ですが、どの宗教も高齢化が進んでるのは同じようです。(噂話ですが)
日本中が高齢化してるんで仕方ないですね。
当然パワーも落ちてきますし、衰退は免れないでしょうね。
それでも、自分の所属している宗教が衰退しているとは思いたくないのは世の常です。
で、危機感が亡くなり、消滅するんですよね。
日本経済と同じかも? シャープは身売り、東芝は解体・・・。
夏は近い
富士通もNECもパソコン事業は中国(レノボ)傘下、それ以前にIBMがパソコン事業を売却してましたから、当然の流れですね
ボルボやジャガーなどの高級外車も中国資本が参入
かつてジャパン・アズ・ナンバー1と呼ばれた頃の日本の勢いで、世界を席巻しているのが中国経済
人類はナチスを生み出した悲劇から何も学ばないと歴史をお嘆きの人もいますが、そう言う人ほど自国の隆盛と凋落の歴史を見つめた方がいいでしょうね、おごれるものは久しからず、何せプリンセスが駆け落ち同然に外国へ逃げ出すのがこの国でっせ
これもまた必然、当然の結果でしょう
そりゃー、ボンクラ指導者ばからだからね
組織が成長しないのは、指導者が悪いからというのは明らかなこと
70年代に急成長したのもまた必然なこと
当時はそういう理があったから
当時独身者が多かったのもまた必然、そういう理があったから
改宗してすぐに気が付いたよ
だから、77年から宣教師として伝道した時も自分の理に従って伝道した
独身である
学生である
安アパートに独り住まい
こういう基準で伝道した。ただそれは任期の後半だったから、もっと早く気が付いたらもっと成功しただろうね
そのとうじ教会では「家族に伝道しなさい」と言っていたが
そんなのアホだよ
日本では家族なんてめったに改宗しない
これもまた理である
これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。
それから一つの・を話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。 はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。
このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい。
よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
オムナイさんも、よく現実を見極めて、夏が近いと悟った方が良いですよ。
もちろんだからと言って俯くことは無い。
「これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」
御無礼ながら、書き間違いかと
刈り入れの時は過ぎ、夏はもはや終わった
しかし我々はまだ救われない (エレミヤ8:20)
失礼しました、私のほうこそ勘違いでした
https://www.wlpm.or.jp/inokoto/2016/04/26/%E3%81%A4%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%A9%B1%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%80%80%E8%81%96%E6%9B%B8%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6-%E7%AC%AC9%E5%9B%9E-%E5%8F%8E%E7%A9%AB%E3%81%AE/
ユダヤでは秋に種を蒔き、春に収穫します。「主は……初めの雨と後の雨とを降らせてくださる」(ヨエル2・23)と聖書にあります。この「初めの雨」とは秋に降る雨、「後の雨」とは春に降る雨のことです。秋に雨が降って、地面がやわらかくなったところに鋤をかけて種を蒔き、春に雨が降ると一気に植物が成長し、収穫を迎えるのです。
つまり聖書は、「後の雨」が降るという表現で、収穫の時がやって来ることを表わしているのです。イエスの弟子たちに聖霊がくだったできごとは、ユダヤ教の収穫祭であるペンテコステ(五旬節)に起こりました。収穫の春は、たましいにとっても喜びの季節となったのです。
収穫された麦は、束をくぎのついた板に打ちつけてもみを外します。衝撃で軽いもみがらが外れ、それを自然の風で吹き飛ばすと、重い小麦の実だけが落下して残ります。風の力を利用するので、「打ち場」は小高い場所にあることが多かったようです。テルアビブのハアレツ博物館では、今でも復元された打ち場を見ることができます。
ガリラヤ地方のナザレの村の南に位置するイズレエル平野は穀倉地帯として有名です。「イズレエル」とは、「神が種を蒔く」という意味です。ガリラヤ湖周辺は山なので、果物やオリーブを作ることが多かったようですが、大麦、小麦の畑も作られました。特にガリラヤ湖の西側の地域は、広くはありませんが、良質の穀物がとれたことで知られています。
収穫された小麦の実は、石臼でつぶして製粉します。石臼には、大小二通りあり、大型のものはパン屋などで用いられました。小型のものは、直径二十~三十センチのたいらな玄武岩をふたつ重ねたもので、日本の古来のものと似ています。大抵は一家に一台あり、家でパンを食べるとき、その日の分だけひきました。
つい百年ほど前まで、よく見られた光景です。
Q果物やオリーブも作られたのですね。
夏は乾季で雨が降らず、土地が干上がってしまうので、水がなくても育つ柑橘類のくだものやいちじく、ぶどうやオリーブなどが作られました。今でもイスラエルといえば、グレープフルーツやスウィーティーが有名です。
預言者のアモスも、「一かごの夏のくだもの」(アモス書8・1)の幻を見たと、語っています。
ぶどう酒も聖書によく出てきます。ぶどう酒は、大きな岩を四角く掘った「酒ぶね」に収穫したぶどうを入れて、足で実を踏みつぶし、取れたぶどうの汁を土器のかめに移して作りました。夏は乾季なので、そういった屋外作業がしやすいのです。
この「酒ぶねを踏む」という作業は、真っ赤なぶどうの汁が足にはね返るため、血しぶきをあびる戦争のイメージがあります。聖書でも、次のように使われています。
「……御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった」(黙示録14・19~20)
オリーブも夏に育ち、秋に収穫する実です。木の下にござを敷いて枝をたたき、落ちてきた実を集め、つぶして網にいれ、石で押してオリーブオイルをとるのです。
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ちなみに聖書には、「金持ち」と「しもべ」のたとえ話も多く出てきますが、多くの人々は小作人として働いていました。旧約聖書の律法では、土地はそれぞれに割り当てられ、借金をしてはいけないということになっています。しかし、実際は一部の大金持ちと、土地を借りる大多数の小作人という社会構造が成り立っていたようです。
雇い主は、エルサレムなどの大都市に住み、現地での作業を小作人たちに任せることもありました。
「ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした」(マタイの福音書21・33)
あるいは、その地方の大地主として中心的存在になっている場合もありました。その場合は、立派な石造りの大地主の家の周りに、「麦の打ち場」「オリーブしぼり」「ぶどう酒しぼり」などの農作業施設が造られ、小作人たちはひとつの共同体として生活したのです。そこでは、農作物が盗まれないようにする「見張りの塔」や、さらには「お墓」まであったようです。
豚師匠ありがとうございます
勉強になりました
マタイやほかにも「イチジクの木」から夏が近いのを悟、と言う表現が出てきます。
下記のサイトの説明によると。ヘブル語では「夏」と「終わり」が似ているので、古くから、こんな使われ方をしているようです。
詳しくはNJさんに聞いて見ないとわかりませんが。
ヘブル語で「夏」を意味する「カイツ」(קַיִץ)と、世の「終わり」を意味する「ケーツ」(קֵץ)とは語根が同じです。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AF%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%8C%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E6%99%82%E3%81%AB%E6%9D%A5%E3%82%8B%28%E6%90%BA%E6%8C%99%E3%81%AE%E5%A5%A5%E7%BE%A9%29
モルモン教会を見てると、「ボチボチ終わりかな?」って気もします。
もちろん、私の終末の方が先だと思いますが。
でも、この世の終わりが近づいても、「前を向いて胸を張って顔を上げなさい」って言うのは、老人にとって元気が出ます。
元気すぎて迷惑になるかもしれませんがね。