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潟沼長老 広島で楽しい説教

2008-04-27 23:42:09 | モルモン教関連
高松支部で二度目の夫婦宣教師として伝道を終えた夫妻は、林徹ス
テーク会長の要請に応じて光ワードで特別な週日夕べの集会で話し
をされた。潟沼長老はいつものように、しかし円熟した風格をもっ
て、ユーモアをふんだんに交えた独特の話術で聴衆を魅了した。

冒頭 きれいな日本の自然を詠った短歌を板書し、会衆に何かほか
に気づいたことはないかと問いかけ、7つの虫が隠されていること
を示した。この隠し歌の遊び心と表面に見えない部分に気づく必要
を説かれた。

潟沼長老がこの夕べ繰り返し語ったことの一つは、教会は楽しくな
ければならない、(アメリカの教会ではジョークがよく聞かれ、楽
しい)、教会は自由を尊重する(各自の選択の自由がある)という
ことであった。

「長い間 指導的な立場にあったが、夫婦宣教師として前線でお休み
会員を訪問する務めは全く異質なもので、訪問拒否など厳しい反応
に遭って心底謙遜になることができた。いろいろな状況にある人々
を知る機会を得た。日本の教会は・・してはならないずくめであっ
てはならないことに気づかなければならない。人の行動や状況につ
いて白か黒かの二元論で決め付けるようなことがあってはならない」
と説かれた。

私の注目を引いた言葉は「教会は人がしてみたいことができる所で
ある(よほど道をはずれたことでない限り)」と言われたことであ
った。個人的に何かヒント(励まし)得たような気がしたのであっ
た。また、集会後個人的に言葉を交わした時、日本の教会で役職名
がカタカナを含んで変更されようとしていることについて、私の懸
念に理解を示された。

(最後の部分 08/1/29 「末日聖典の翻訳再改訂について」
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/e93fd10f1737fb84c188c4134b997b5f


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3 コメント

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是非、VSガチガチを! (コールスロー早瀬)
2008-04-30 05:51:45
NJさん、初めまして、おはようございます。

誰豚でたまに書き込んでる者です。

潟沼長老の仰ったことは確かに素晴らしいですし、一度は『世俗の生活』を捨てることを決意して『霊的な生活』に改宗してきたとはいえ、改宗以前には気付かなかった堅苦しさになんとか耐えに耐えてきた会員にとっては、一筋の光明を得た気持ちになれるでしょうね。

...ただ...

僕の所属ユニットにもいるのですが、何でもかんでも盲目的に信仰しちゃっているというか、一般常識がすっ飛んでしまってるガチガチ会員には、残念ながら通用しないのでは...。

確かにこのケースのように、ある意味『ステーク会長のお墨付き』な経緯で呼ばれた会員には直接言ってはこないのでしょうが、

何かの拍子に突如転入してきた会員が同じことをガチガチ会員の前で、なんの前触れも無しに言いだしたら...なんて、僕はつい思ってしまうのです。

このような懸念を持ってしまうことについて、NJさんはどう思われますか?
返信する
彼も昔批判されて・・ (NJ(確かに珍しいケース?))
2008-04-30 07:28:57
コールスルー早瀬さん、お早うございます。コメントありがとうございます。

確かに仰る懸念は理解できます。実際、潟沼長老も北海道で初めいたワードでかなり批判を浴びて苦労したと話していました。

この日は(あるいは)理解者たち、それとも何か現状打破を期待する聴衆に歓迎されたのでしょうか。皆にこにこ聞き入っていました。

「ガチガチ会員」には無理に変わることを求めないで距離を置きつつ、(その生き方を尊重して、できるだけよい間柄を保ちながら)少しづつ別の信仰生活のあり方を示していければと考えます。
返信する
ご回答ありがとうございます (コールスロー早瀬)
2008-04-30 22:37:07
>確かに仰る懸念は理解できます。実際、潟沼長老も北海道で初めいたワードでかなり批判を浴びて苦労したと話していました。

あぁ...やっぱり(汗)

でも、潟沼長老もよく持ちこたえられたものですね。僕なら、もうさっさと辞めてましたね、教会(苦笑)
しかも北海道にいらっしゃった...。同じ道産子としては耳の痛いお話です...(恥)


>「ガチガチ会員」に無理に変わることを求めないで距離を置きつつ(その生き方を尊重して、できるだけよい間柄を保ちながら)、少しづつ別の信仰生活のあり方を示していければと考えます。

「少しづつ」と仰るお気持ち、わかります。

ただ、あんまりのんびりやってると、その分だけ教会の発展も遅くなるように感じます。といいますか、はっきり申し上げますと、発展して欲しくありませんね。

少なくとも、潟沼長老と同じことを言える人がもっと日本中に増えないと、以前のように社会の教科書に教会の名前が載るような時代に戻ることはまずないでしょう。
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