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インディアナ大学名誉教授ジャン・シップスは、ゲスト講演者として第三回モルモンメディアシンポジウムに招かれていた(BYUソルトレークセンターで開催)が、メディアのインタビューに答えて次のように語った。(以下NJによる翻訳転載)
「新しいメディアの発達と共に、若いモルモン教徒はこれまでと違って孤立した教徒の中にいるというより、社会にとけ込んでいるという心理状態ですごしている。ひとつはメディアの進化によるものであるが、もうひとつは全米で福音派やペンテコステ派のキリスト教会がモルモン教会を以前のように敵視しなくなったことにある。なぜかよく判らないが、とにかく印刷物に見かけられなくなった。」
女史は1860-1960年という百年にわたる調査プロジェクトの結果、「昔はほとんどの米国民にとって、この教会についての主な情報源は、プロテスタント教会の説教壇から語られるメッセージであり、また諸教会の出す印刷物であった。その結果創りだされたこの教会と会員のイメージは1920年代まで極端に否定的なものであった」と振り返る。
しかし、それは1950年代にアイゼンハワー大統領がモルモンタバナクル合唱団は「アメリカの合唱団」であると言ったり、全国紙が「タバコを吸ったり、お酒を飲んだりしない、素晴らしいモルモン教徒たち。彼等は自立と家族を強調している」と報じたりして、変化し始めた。
ただ、こんにちソーシャルメディアが再び教会員のイメージを変えており、モルモン教徒にとっても非モルモンの人たちにとっても新しい問題となっている。末日聖徒の子供たちは昔何か聞きたいことがあれば親やスカウトリーダー、監督のもとへ行ったものだが、今は信頼度の低い情報源に自分で答えを求めに接触するようになっている。
「子供たちはモルモン離反者の所から答えを得る可能性が出てきている。この教会はネット上にふんだんに情報を繰り出して、自分たちの情報が先頭にくる(上位を占める)ことを望んでいる。カトリック教会でもペンテコステ派でも同じである。公的な外向けの歴史を語ってきた宗教はどこも実に深刻な問題をかかえている」シップスはこのように述べた。
Source: Historian: LDS Church moving from ‘us vs. them’ image
Friday , October 17, 2014 - 5:35 PM
By ANTONE CLARK, Standard-Examiner correspondent
参考
当ブログ 2014.10.09 モルモン教会にとってインターネットは、カトリック教会に対する聖書印刷に相当
やはりモルモンが共和党の候補になったのが大きいのでしょうね。
カトリックの枢機卿や南部バプテストの指導者がBYUで講演するなど融和が進んでいるのでしょう。
日本でもそうなると良いですね。
>この教会はネット上にふんだんに情報を繰り出して、自分たちの情報が先頭にくる(上位を占める)ことを望んでいる。
グーグルでもヤフーでも最近は公式や肯定的なのが上位に来てますね。
ほんの数年前までは反モルモン的なのが占めてましたが。。
その頃はその中にあって「モルモンの泉」健闘してたのになぁ
PBOのネット担当の兄弟からどうやれば上位になるの?って聞かれたことも。公式より上位だったから(笑)
(前半)日本ではまだまだですね。残念ながら。
そう言えばブリキ板とじ合わせたゴミ屑作ってモルモン書の金板でござーいとか言って、反モルモンのメンバーに笑われてた人がいたなぁ・・・
懐かしい。
今はむしろ作って発信してください、と言っていますね。
「認めたり 訪ねる(尋ねる)先は 公より民」
最近開かれたデジタル伝道のワークショップに出た感想です。人々は教会の公的サイトより「民」発信の頁に情報を求めて向かうとのことです。
実は検索サイト上位の方法を聞いてきたPBOの方が言っていたのですが、教会は個人の信仰のサイトまでは指示をしていない。
定員会とかワードレベルでサイト運営をしてはいけないという指示だったそうで、困っていたようです。
指示の内容をよく読めば意図は汲み取れると思うのですが、杓子定規なんでしょうね。
例のコーラーに関する指示も「生真面目な勘違い」であたかもコーラが知恵のことばの律法であるかのように広まったのと似てますね。
まぁ、普通に考えれば個人の信仰理解を教会が規制するはずはないのですけど。。
主は、これは戒めではないと言っておられます。
それがあたかも律法であるかのように広まったのですね。
聖典の内容をよく読めば意図は汲み取れると思うのですが、杓子定規なんでしょうね。
まぁ、普通に考えれば個人の信仰理解を救い主が規制するはずはないのですけど。。
末日聖徒イエス・キリスト教会は唯一まことのキリスト教会であることを証します(笑)
勘違いで済むのですから、本当に良い教会ですね。
最近辞任した日本の閣僚が聞いたらうらやましがるでしょうね。
いやー~素晴らしいな~勘違いって・・・。
理由は分からないですが、
4節と21節を読むといいでしょう。健康以外にも理由があるからでしょうね。
後は、自らの理解の賜物を求めて知るしかないでしょうね。
https://si.lds.org/bc/seminary/content/library/manuals/institute-student/doctrine-and-covenants-student-manual_jpn.pdf
P223
教義と聖約89:2 主はなぜ「戒めや強制としてではな く」と言われたのか
「これが命令や禁制としてではなく,知恵の言葉として 与えられた理由は明らかである。すなわち当時,もしもこ の知恵の言葉が命令として与えられたならば,これら有害 なものを常用していた人々は罪に定められてしまったであろう。
主は憐れみ深い御方である。律法として定める前に 克服の機会を与えられたのである。この知恵の言葉は,後 にこの壇上から,ブリガム・ヤング大管長により啓示であ り,主の戒めであると宣言された。
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教義と聖書89章前段にはこうあります。
最初の三節は、 霊感による 序論および 説明として、 預言者が 初版の 中に書き入れたものである。
つまり、初版の教義と聖書89章には「戒めや強制としてではな く。。」という部分はなかったということです。
律法になるべく啓示され、しかし、当時すぐに律法として運用できなから、「戒めや強制としてではな く。。」という最初の三節を書き入れたという流れですね。
この説明はセミナリーの教材も出てきます。